『夢の花綵』「視界樹の枝先を揺らす」1
何をどう話せば死者について語り得るのかを己は知らない。なにしろあの男が死んだことすらも随分後から知った。友人とも呼べない仲だった。せいぜい大学の先輩と後輩、その程度だ。
そうだ。大学のはなしをすればいい。まずは始まりの四月……。
長髪を靡かせて前をいく男が「夢使い」であるのは察していた。己も夢使いだ。まだ正式に夢秤を手にしていたわけではなかったが、そのくらいのことはわかった。互いにそれは了解していたはずだ。あの男は桜並木のしたを悠々と、人波をよけて泳ぐように歩いた。そして舞い落ちる花びらを手ですくいとり、己へと見せびらかすように掌をひらいて――……大学の門を潜った。
世に云う最高学府でまさか夢使いに遇うことがあろうとはさすがに息をのんだ。だがあちらはそんな驚嘆なぞどこ吹く風、そう、いつでも涼しい顔でいた。
大学をやめると口にした時でさえ。
己は日記の断片をうつしながら当時の記憶を頼りにこれを書いている。うまくやれなくともかまわない。己は物書きじゃない。夢使いだ。語りに通暁していないとは言わないが、あれには型というものがある。いったい誰が型にはめて自身の体験を語りたいと思うものか。己はごめんだ。好きなようにやらしてもらう。
爺は最高学府でないなら大学に行く必要はないといった。夢使いになるのだからそれも道理だ。仕方がないのでそこを目指した。ただの飾りにしかなるまいと思いながら爺にひとつくらい勝るところがないのは癪だった。不世出の夢使い。それでいて中学も出たかどうかあやしい祖父。その息子、つまり己の父親は国立大学を無事に卒業して教員になった。が、両親とも後に己をおいて出奔し野垂れ死んだ。母は父の教え子だった。そのあたりの詳しいことは知らない。まして祖父と父の相克は己の与り知らぬものだ。
己の弟子の両親も教師だった。小綺麗な一軒家に住み、朝はトーストにコーヒー、ゴミ出しを父親がしていた。母親のスーツの襟には金のブローチが控えめに光っていた。あの子は学業スポーツともに優秀でクラス委員をつとめた。非の付け所のない家庭だった。
ところがあの子は毎度まいど息苦しそうな顔をして己の家にやってきて縁側に座りぼうっとしていた。そういうときは声をかけず抛っておいた。気が済んだころに摺り足で寄ってきて傍らに正座して頭をさげた。顔つきが変わってじぶんを取り戻していた。この子は夢使いの厳しい修行のほうがふつうに暮らすより楽なのだ。哀れに感じたが羨ましくもあった。おのれの本分を知る者の業とおもえたからだ。
弟子の両親は己を嫌っていた。それも無理のないはなしだ。その昔から愛人を何人も抱えていたのだから。面倒なので商売女に手を出さなかったが客とよく通じた。商売女のほうが面倒なのかと問われたらそのとおりとこたえる。己はヒモをやれるほど女に身を入れられなかった。むろん色を売ったつもりもない。だがそう思われても致し方ない態度だった。
だがあの男は色を売るのも仕事の内だと言い張った。
己はいまだにそうは言い切れない。さりながら彼のいうことにある一定の「理」があるとわが身で識っている。
歴史的にも伝統的にもそれが正当な仕事だと言い張る男は現実にそのとおりのことをして大学を辞めさせられた。
客でも大学でもなく、親族に。
島流しだと哂った。
あいにく島でなく北の外れの町だった。己はその場所を地図で確かめて我知らず溜息をついたことがある。この縦に長い花綵列島の、北の海へ突き出た小さな町へとあの男は旅立った。
これから主にあの男との邂逅について語る。出来得ることなら視界樹の枝先にこの言葉が届くように。すでに地をはなれ《誓》へと降った者が再びあの視界樹の華麗な枝先に宿らんことを。
この視界の主、夢秤王に祈る。
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