『夢の花綵』「夢でさえ、なくていい」4

 デパートでなく、コンビニが好きだとあのひとはいつも口にしていた。好きなものを誰をも気にせず買えるからと。街には万屋というべきものしかなく、外商部という存在を当時のおれは知らなかった。そもそも百貨店という場所に行ったのでさえ、小学校にあがってからだ。


 あるとき高校を中退したと話したこのひとは、何かを羞じ、それが酷く重大事のような顔をしていた。おれはまるで気にとめなかった。おれの生まれたところでは大学に進学する人間のほうが稀だったから。それだけじゃない。海や雪のせいでかんたんにひとが死んだ。高校で何人中退し事故にあっただろう。おれは、どざえもんの男女の見分け方をあのひとから教わった。それがほんとうかどうかは知らないが。


 おれは浮いていた。どうしようもなく浮いていた。それはそうだろう。おれはあの土地を出て行くと知っていた。そうこころに決めていた。


 いじめられはしなかった。けれど成績がよかったために教師には煙たがられた。おかしな奴と思われていた。中学にはいってすぐ背も伸びた。男どもは単純だ。この顔のせいで女子には嫌われない自信があった。


 怖いものはなかった。


 遠巻きにされたいと望みながらそれでいて無視されないことは快い。おれは、おれの自惚れという愚かさゆえにひとりだった。そうと知ったのはこのひとを好きになったときだ。


 あのひとだけが、おれを理解してくれている、いや、理解できるのだと思っていた。


 自惚れは思春期ゆえの驕りだろうか。

 恋の愚かさだろうか。

 裏返しに、おれは、あのひとを理解できるのはじぶんだけだと思い上がっていたのだろうか。


 今となってはそれさえもよく思い出せはしないのに。 


 ときどき夢のなかで海鳴りの音を聴く。叔父の家に響いていた罵声やものの壊れる音、我が家の暗い言い争いを避けて、あのひとの家へ駆けていったときに聴いたそれを。一人住まいにしてはやけに広い邸宅は海のすぐそばで、冬は怖いような場所だった。

 けれどあのひとは恐れなかった。あんなに気の弱いひとだったのに海をこわがったことはいちどもない。


 音がないと眠れないと哂った。おれの無知を無垢と取り違えるやさしいひとだったが、そのときばかりはそんなことも知らないのかと呆れたようにわらった。

 都会に来て理解した。

 あのひとを取り巻いていた騒音を。

 そして夢使いがことのほか恐れるのが無音、つまりこの視界の静止するときだということを。


 似ているところが、あとひとつ、あったか。

 髪が、長いところが似ている。


 おれは笑った。

 夢使いはたいてい髪が長い。

 その長い髪を揺らして果てるのを見るのはたまらなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る