『夢の花綵』「視界樹の枝先を揺らす」3

 妙な縁というものがある。

 むかし戯れに弟子にはなした。己の爺に並ぶほどの夢使いが北の地にいると。それがあの男だ。都会と違い地方には夢見の儀式が多く残っている。なかでも北は格別に、それゆえに優れた夢使いを輩出する。そんなはなしをしたときのことだった。

 あの男は北の出身ではないが、経緯はどうあれ結果的にはあの土地に望まれたのだと考えている。

 弟子の恋人にあの男のはなしをしたことはない。だが双方それとなく了解している。己は彼が調べた夢使いの資料とその出身地から、あちらは己の履歴と弟子のはなしから察したようだ。肝心の弟子はたぶん気づいていない。それでいい。個人的なことだ。まして背負わずにすむ重荷を預けるつもりはない。いつか違う形で識ることになるはずだ。


 はなしを戻す。

 あの男は夢使いである自身を隠さなかった。変わり者でとおっていた。避けて通る学生もいた。夢使いの存在なぞ到底理解されず、ましているのかどうかすら疑われはじめていた時代だった。


 当時己の髪は短かった。ものごころついて以来、つまり七歳以後夢使いになる証のように伸ばしていたくせにだ。いまさらこう記すと馬鹿げているが学生のあいだだけでも周囲に溶け込んで暮らすつもりでいた。ここでならそれが叶う。そう思っていたはずが初日に当てが外れた。己はたぶん、あの男を少しばかりうらんだ。


 だからというわけでもないが大学内でその姿を見かけてもじぶんから話しかけはしなかった。だが無視もできないでいた。あの男にはこちらの居場所が筒抜けだったからだ。


 己はあの男の取り巻きが恭しく運んできた手紙でたびたび呼び出された。イニシアルが型押しされた麗々しい舶来物のカードにやけに達筆な走り書きの文字があった。紺青のインクで時間と場所だけ記されていたこともある。安物の紙巻煙草を口に咥えて待った。吸い終わる前に来なかったことはない。繊い指で横から吸いさしを奪い口をつけてすぐ眉間に皺を寄せた。ずいぶんと味気ないものを、と吐き出すように投げ捨てて背を向けて歩きだす。薄い背に貧乏学生ですからと反撥めいて口にすると、金を恵んでほしいならわたしの言うことをきけばいいと嫣然と微笑んでこちらを仰ぎみた。反射的に首をふった。施しを厭うわけでなく空恐ろしかったのだ。あの男は己の拒絶に高笑いしたのち、きみは不躾だなと口を尖らした。そんなときの顔だけはかわいらしかった。


 春風駘蕩たる貴人とおもわれていた。だがそれだけでなかった。


 初めての呼び出しのさい己の顔をみるやいなや、ここで初めて遭った夢使いが半人前とはねと哂った。黙ったままの己の後ろ首に手をやって撫で廻し、さっぱりしすぎだよと微笑んだ。入念にして残酷な愛撫にたえて見おろすと、まるでそこを斬りおとすために検めるような奇妙な陶酔をたたえた白面があった。

 それまで爺と並ぶほどの夢使いを知らなかった。つまりみな、まだ半人前のじぶんより劣っていた。だがこの男は違う。しかも名前や所属どころか住まいまで知られていた。そこに連れていけと命じられ仕方なく素直に従った。


 刃向うのは苦手だ。楯突かれるのも。


 あの男には己の知らなかった秘密も知らされた。きみは逃げる性じゃないと断言され、だが追うこともないと肩をそびやかした。そのとおりだった。きみが追うところを見てみたいねと視線をはずした。中高の相貌に翳がさした。それでも己は黙っていた。


 夢を見ないと言っていた。夢使いには珍しくない質だが徹底していた。たまに己が香音の残滓をまとわせているとみっともないと眉を顰めた。己はそれだけは直さなかった。爺相手にも枉げなかった。それでよく殴られたがやめずにいた。香音の揺曳に身を任せる以上の恍惚はない。はっきり言おう。あいつを娶ったのはあの身がうつす香景ゆえだと。


 あれは己のものだ。はじめてそれを降ろしたのはこの己だから。あれをあがない、あがなわれたのは己だ。

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