東京エデン計画
群司 一青
第1話
手の中の紙は、たった今そこで渡されたものだ。その人間味あふれる文体で書かれた内容は既にわかっていた。
『当裁判所職員の全面廃止が、正式に決まりました。つきましては、職員の皆様には2060年7月23日0時をもちまして、離職していただく形に成ります。今まで大変お疲れさまでした。皆様のご理解とご協力をお願いします。』
悔しがる気にもなれなくて、無言のまま手に力を込める。紙はクシャリと、手応えのない音を立てて潰れた。
「収入源……俺の収入源が……これからどうやって遊び暮らしていけばいいんだよぅ……」
《2016年:AIを使って執筆した小説作品が星新一賞にノミネートされる。》
俺はたった今、職を失ったところだ。もっともそれは裁判長のアルバイトにすぎない。すぎないけれど、毎月支給される永年失業保険(一度失業すると、一生涯それなりの年金が入る)では遊ぶ金が足りない俺にとっては大問題である。
《2016年:囲碁においてAIがプロ棋士に勝利する。》
東京地方裁判所を出ると、その前の広場には車――求人車がパラパラと並んでいる。
《2017年:東大入試を解くAIソフトが開発され、記述問題を制して合格点をマーク。》
職業のほとんどがAIに置き換わっても、生身の人間であることが求められる仕事はまだ存在している。でもその内容は、機械が出した答えをただただ読み上げるに等しくて。だからこうしてアルバイトや日雇いで済ませているというわけで……
《2018年:動画サイトで再生回数100万回を記録したボーカロイド曲が、AIによるものだと判明。更にブレイク。》
「ふざけるなよな~、働かなくても生きていけると思って、ほいほい首にしやがる……なぁそこのアンタ、これからどうするよ? 帰ってうどん食って寝ちゃう?」
十五歳ほどだろうか。やたら陽気な少女が、横から俺の肩をつついてくる。怪訝そうな顔で返す。
《2019年:メールを添削するスマホアプリが登場。仕事でも、友達でも、意中のひとでも、無設定で勝手に気の利いたメールになおしてくれる。社会現象、社会問題になる。》
「……なんですか貴方は、いきなり馴れ馴れしい。楽で金になる職を他に探すしかないでしょうが。働くのは物好きばかりと言われるこのご時世でも、俺はゲームに課金がしたいんだっ!」
「わーお、すごい熱意」目を丸くされる。
「す、すまない。熱くなってしまいましたが。そんなわけだから、貴方みたいな訳の分からないのとつきあってるわけには行かないんですよ。分かったらもう良いですか?」
「いいのかな、そんなこと言って。私は貴方を見込んで、そりゃ~もう素晴らしい仕事を紹介してやろうと思ったんだけど?」
アルバイト探しの鬼、新橋一成の目の色が変わった。気分はプロフェッショナル、BGMは『Progless』である。
「なんだって……じゃない、なんと言いました今?」
「……めんどくさい、タメ口で良いよ。だからね、アンタみたいな動機が不純な人でも勤まるような、お給料のいい仕事。やる気ない?」
《2020年:ビックデータとAIの連携による、大規模施設綜合警備システム(LFSSールフスー)が東京駅に導入。東京五輪中に計画されていたテロを未然に防ぐ事に成功する。AIと共存する社会に役立つ人材育成と銘打って、学習指導要領に大幅な改変がなされる。》
年下に見える少女にそう言われて、少しいらつく。
「いや、やるけどさ……動機が不純って、金の為に働くのは普通だろ? それともなにか、仕事自体に意味があるとでも言うのかよ」
少女の言葉はにわかには信じ難いものだ。今時、まじめに仕事をこなす人を俺は知らないし、そういう自分だって、法廷でAIがデータを集積し最適解を出すまでの間は携帯ゲームでRPGに勤しんでいた。時間が来たら、偉そうな顔で判決を言い渡すのである。これはなかなか面白い行為だったのだ。
《2025年:アメリカの自動車メーカーが、工場の人員を全てAIにすると発表。労働争議と株価の暴落で倒産。世界的な不況に陥る。》
……まぁ、今から考えればあのときの判断が全ての災厄の始まりだったわけだ。あの後少女にのこのこついて行った俺。連れてこられたのはなんとホストクラブ。しかも“かなり高級かつ怪しげな”とかいうレアな形容詞つき。
《2030年:あらゆる業界の企業で、AIによるリストラが当たり前となり、失業者が急増。一方、財の生産コストは大幅に下がり、価格の大幅な下落が起こる。失業率50パーセント。物価が安いこともあり、政府も公務員を大幅削減するなどの措置だけで生活保障費を捻出することが出来た。》
「まさか、俺にホストをやれとかほざくんじゃなかろうな?」額に青すじ。
「そのまさかってやつですね。それとも、ビビって帰っちゃいます?」満面の笑み。
「なんで俺が? この顔見りゃわかんだろ」
「いや別に、そっちの方はバーチャルリアリティでいくらでも補えばいいんですよ。大切なのは人間であること。最終的には性交渉さえ出来れば何でもいいじゃないですか。なにをいまさら」
「ちょっと待て、それって違法なんじゃ……」
「うん、でも大丈夫ってやつ。警視庁の長官も常連さんだから。」
……そいつもアルバイトだろ。権力あんのか?
「てなわけで、給料は最高級を保障するよ。どーする」
ここで帰っても、ここよりも待遇のいいところはまず見つかるまい。そしてこんなところで課金を諦める俺ではない。
「……まぁ、給料が高けりゃなんでもいいよもう。もう知らん、好きにしろ全く!」
《2035年:企業の中で、面白がって試しに人間を雇う事が大流行する。今までの当たり前がそうでなくなり、大問題になる。》
《2040年:AIによる作品が席巻する出版業界で、人間味がある、と好評だったライトノベルが、実は当時最新式のAIによるものだと判明。 機械が人間味の面で人間を越えたことに危機感を覚えた市民が、大規模なデモ運動を起こす。これを受けて政府(のAI)は、AIを使用した場合にはそのことを明記することを義務づけた。》
《2045年:秋田県の県立高校の生徒が、夏休みの自由研究で完全に人間を再現した人工知能を作り上げた。人間の体の構造だけをインプットしたソフトに、人間の子供から大人までのあらゆる刺激を予想して与えることで作られ、これにより経験論は皮肉な形で証明された。 政府と学会はそのソフトを永久に停止することを命じた。》
《2050年:複数のスーパーコンピュータの連動で動く都市管理システム“Polissシステム”が新宿区知事選挙に立候補。当然参政権はないので、開発者が使用することを公約に掲げることで出馬した。下馬評を独占したが、機械に政治のトップを任せるのは人間として抵抗があり無惨に落選。》
《2055年:AIに置き換わらなかった職業、つまり司法などの人間としての責任が直接関わる職業(AIの責任はそれを管理する人の責任になる)、裁判官や社長、国や地方自治体のトップなどの人を支配するイメージのある職業、機械のメンテナンスをする職業(機械をメンテナンスするロボットやAIは作れるが、そのロボットをメンテナンスする必要がある)、わずかに残った芸術系のクリエイター達。そのうちAIを補完する職業が消えだす。AIに人間の補佐が必要ならなくなったからである。》
まぁ、そんなことがあって、俺はここでずいぶんと長い間働いている。決して楽な仕事ではないが、なんだか妙な罪悪感めいたものがあって飽きない。
さてと、今夜のお相手は……
「やぁ、元気そうで何より。今夜は……」
何だあのときの少女か。もう少女とは呼べなくなってるけど。
《2060年:初立候補から10年。その間に都知事になった人はそろって公費使い込みをした。失望した市民によって、AIが改良した“polissシステム”が東京都知事に選ばれた。その名は『Tokyo』と言った。
電子頭脳は、過去の様々な膨大なデータを取り込み、結果と照合させてどの状況でどうしたらどのような結果になったのかを学習する。それの繰り返しによって最適解が出せるように成長する。Tokyoは過去の様々な為政者のデータから、人民が為政者に望んでいるのは自分の生命の保証と国や都市の発展である、と言う結論を出した。人々の心を豊かにします、と言った政治家の多くは失敗し、人々の生活を豊かにしますと言った政治家が成功してきたのは誰でも分かる話である。》
「そういえばずっと聞きたいと思ってたけど、あんたはここの何なんだ?」素朴な疑問。
少女は、少し表現に迷った様子を見せたが、すぐに答える。
「どうなんだろう、いわゆるオーナーってやつ? お金だけ出してふんぞり返ってる役だよ?」
いや、疑問符で返されても……
「なるほど、ではオーナーさん。今夜は何の用で?」
《2062年:POLISSシステムは効率化を進め、古いAIをどんどん置き換えていった。そして、東京という町を一つの完成されたシステムにする“東京エデン計画”を開始した。今までバラバラに動いていたAIを連動させることで無駄を省いた。町だけでなく、東京全体を計算して区画整理をしていった。人間の私利私欲が邪魔をするところだが、なんせ相手はAI、最適解を知っている。ことはスムーズに進む。》
「貴方クビ。そして、お客さんに向かってそれは失礼じゃない? 何をするかぐらい分かってるもんでしょう?」
……は?
今、一生涯でそうそう聞かないワードが同時に二つほど飛び出した気がするんだが気のせいだよな? え、ちょっと待って、落ち着く時間が……
「ニュース見てないか。あのね、東京都内で、すべての物とサービスが無料になったの。つまり、この町はお金が要らない街になったって訳。で、働いてお金を稼ぐ必要がないからこの店も閉めることにしたのよ、あなたにとって、私が最後の客ってことになるわね」
《2063年:そこまで長い時間をかけずに、Tokyoはわざと効率を無視して働きたくない人間を働かせるのは意味がないと結論づけた。(そのころの若い人間は、働かないのがつらい人のために国によって作られた仕事を半ば義務的にやるのが一般的だった。多くの人が、皆がやっているからそう言うものだろうと深く考えずにいやいや仕事をしていた。》
その事実を受け止めて、浮かんできた感情は、驚き、期待、興奮、そして、理由もない不安と絶望。
なぜ、そう思った。もう働かなくていい。嬉しい限りじゃないか。でも、それらは次第に心を埋めていく。
「分かん、ないよ……これから、どうなるのか……」
そんな弱音が、唇から滴り落ちる。
「私も。そうなんだよ。だから今夜は、何もしなくてもいい。ただそばで、私の愚痴を聞いてほしい」
「相槌ソフトを使わないの?」
「ううん、話なんか聞いてくれなくてもかまわない。そばに、いて欲しい」
さっきの話とは全く逆の現象が起きた。頭では理解できないけれど、それがこころ、とか言う臓器の底に、しっかりと落ちてきた。
《2065年:ついに、人間を労働から解放した。労働に意味を見いだせない人々は喜んだ。東京からお金が消えた。稼ぐ人がいない社会にお金は必要ない。人々はただ、消費だけすれば良い都市が誕生した。
神がエデンから人類を追放してから
幾星霜が過ぎただろうか。
科学力が神の奇跡を越え、
エデンは人類によって再び地上に創られた。
エデンの知恵の実は、人類を悪に染めただけではない。人類を人類たらしめているのはあの知恵の実である。知的好奇心、異性への愛、向上心、想像力。それら人間に災厄を持ち込み、そこから救ったものたちは全て知恵の実に入っていたのだ。知恵の実によってそれらを手に入れた人類に、エデンは退屈すぎた。人類にとって、幸せの園に停滞しているのは幸せとはほど遠いものになった。》
夜明け前、俺たちは言葉少なにクラブを後にした。
《人類はエデンから追放されたのではない。》
浸み込むような寒さを更にまして感じさせるような、人気のない道で駅を目指す。
駅前で、旅支度をした人たちが、同じように不安そうな顔をして始発列車を待っているのを見つけた。
沈黙した改札を抜け、俺たちはうなずき合って、発車を待つ列車に、
《人類がエデンを、棄てたのだ。》
乗り込んだ。
《どんなニートでも、進んで社会から必要とされない人間になったわけじゃない。どんなものぐさな人でも、人間である以上、停滞した幸福には耐えられない。普段は気づかない程の感情が、エデンという極限状態で浮き彫りになった。
労働から解放された人々は、東京(エデン)を棄てた。
もしAIに感情があったなら、この結果に驚いただろうか。対策はほとんど必要なかった。消費者は住民よりも圧倒的多数が世界にいる。東京はもう、人間を必要としない町になったのだ。
既に東京をモデルに各都市でエデン計画は始まっている。
全世界がエデンになる日も遠くないかもしれない。》
加速していく列車の窓から、ほおずき色の空を背負って、解体中のスカイツリーが見えた。向かいに座る少女は、眩しそうに眼を細めた。
《人口0の都市、東京は》今日も明るく発展中である。
東京エデン計画 群司 一青 @b787
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