いやいや、お前は根本的に間違っている



 道雅はカメを抱え、娘を追って夜道を走っていた。


 速い。


 なんて足の速い娘だ。


 全然追いつかないではないか、と思った道雅の脳裏に、あの娘、本当に生きた人間なのだろうかという思いがふとぎる。


「人ではない、あやかしのたぐいか……。

 だから追いつかないのだろうか」


 走りながら思わずそう呟くと、

「いやいや」

と言う声が胸許からした。


 道雅が声をたどって見下ろすと、そこには自分の手に抱かれたカメが居る。


 ……カメがよじよじ手足を動かしている。


 それだけだ。


 気のせいかな、と思い、道雅は娘が今、かき消えた林の方を見ながら呟いた。


「こんなところで消えるとは、やはり、知っている娘のフリをしていた狐狸妖怪の類いなのか?」


「いやいや」


 それ以上娘を追うでもなく、林の入り口に立ったままの道雅の手の中でカメがまた言う。


「いやいや、違う違う。

 おぬしの足が遅いだけじゃ」


 道雅はカメを見つめたまま、固まっていた。


 この間、猫がしゃべり出したばかりなのに、今度は、カメ。


 どうしようかな、と思いながらも、そうっと下に下ろそうとしたとき、カメが言った。


「お前、今、私を捨てて帰ろうとしたであろう」


「……人の心を読むとは、やはり、このカメただものではないのか」

と道雅は呟いたが、カメはまた、


「いやいや」

と手だか足だかわからぬものを振る。


 成子が居たら、

「しゃべってる時点でただものではないでしょうよ」

と言っていたところだろうが。


 カメは言う。


「怖がりのお前のことだ。

 私を下に置き、見ないフリをしようとするに違いないと思っただけだ。


 あの娘がお前の前からかき消えたのは、単に、お前の足が遅く、」


 ……はっきり言うカメだ。


「あの娘の足がいつもより速くなっていたからだ」


 娘の足が速くなったのは、ものに取り憑かれてのことかと思ったが、カメは、


「ほら、よく言うであろう。

 逃げ足だけは速い人間が居る、と」

と常識的なことを言ってくる。


 存在自体が非常識な、しゃべるカメなのに。


 カメは斎宮の建物を振り返り、

「あそこを離れたせいで、こうして話せるようになったのやもしれん。


 あそこは不思議なところだ。


 神に仕えるものの住まう場所だと言うのに、多くの邪気が飛び交っている」

と言ってきた。


「で、では、今の斎宮は乱れていると?」


 それはゆゆしき事態だ、と道雅は思っていた。


 何故なら、それは、成子の神への祈りが足らないということであり。


 今の天皇の御世が繁栄せず、長く続かないという未来につながることであるからだ。


「ところが、それがそうでもない」

とカメは小首を傾げて言ってくる。


「あの斎王の周りには悪しきものがつどいがちだが。

 うまい具合にそれらの調和がとれておる。


 まあ、本来、あれは斎王にはなれぬものだから、ああして、よくないものが寄ってくるのかもしれないが」


「……斎王になれないものとは?」


「斎王とは神に祈りを捧げる人間。


 だが、あれは……


 あの魂は」


 ひとではない、とカメは言った。





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