相変わらず、容赦ないですね


 そういえば、神様来ないな。

 まあ、来なくていいんだが、と思いながら、成子は欄干のところから庭先に居る白いカメを眺めていた。


 あっ、という感じで、カメは悪霊ではない猫に転がされている。


「白いカメではありませんか!」

と後ろで男の声がした。


 道雅だ。


「なんの瑞兆でしょうか。

 めでたいですね」

という道雅に、


「そうねえ。

 でも、命婦はこのカメが来てから、おかしなことが起こるから捨ててくると言っているわ」

と言うと、ええっ? と言う。


 まあ、女の方が現実的だからな。


 特にご利益がないのなら、元号が変わるほどの珍しいカメでも、捨てるか食べるかしてしまえと言うのだろう。


 黙ってカメを見下ろしている道雅を成子は申し訳程度に扇で顔を覆い、見上げる。


「詠まないの?」

「は?」


「歌、詠まないの?

 なんだか珍しいカメじゃない」

と言うと、


「……詠みますよ」

と意地になったように道雅は言い返してくる。


 やっぱり湧き上がってはこないではないか、と成子が思っている間も、カメは呑気に猫に転がされたりしていた。


 その様子を見たまま、道雅は沈黙している。


 まだ沈黙している……。


 成子は立ち上がり、奥へ引っ込もうとした。


「お待ちくださいっ、斎王様っ」


 呼び止めようと道雅は成子の腕をつかんだが。


「ああっ、申し訳ございませんっ」

と動揺して、すぐに離す。


「いやいや。

 私が居たら、邪魔になって詠めないかなと思って」

と成子が言ったとき、


「まあ、やはり、カメのせいで良くないことが起こりましたわ」

と声がした。


 命婦が現れた。


「道雅殿が歌を詠めなくなるなどと。

 きっとこのカメの呪いですわ」


 いや、この男、結構な確率で詠めてないけど。


 考えすぎて、と思っている間に、

「やはり捨ててきましょう」

と行動の早い命婦が下に下り、カメを抱き上げた。


 ええっ?


「ちょっと待ってっ」

と成子は止める。


「でもまあ、もしかしたら、神の遣いということもあるかもしれませんから、斎王様の居室から遠い池に放してみますわ」

とカメを抱えた命婦は言った。


 まあ、それならば、と成子は思ったが、遠い池とは、斎宮の外の池のことであった。


 本当に命婦は容赦ない。




 夜、成子は珍しくきんことを弾きながら思い出していた。


 そういえば、命婦は、昔から、よくうちの屋敷に出入りしていたけれど。


 子どもの頃、私が捕まえたスズメを、

『逃さないでね』

と言ったら、


『はいはい。

 逃がしませんとも』

と言いながら、目の前ですぐに逃がした人だった……。


 ……大人って、こんなもんなんだな、ということを非常にわかりやすく体現してくれる人だ。


 そんなことを考えていたとき、ふと、妙な気配を感じた。


 成子は顔を上げ、あの巻き上がる御簾を見上げる。


「……来るぞ、成子」

と緊迫した悪霊の声が床下からした。


 手を止め、御簾を見つめていると、じわりと御簾に赤いものが滲み出してくる。


 血だ。


 やがて、御簾は細かく揺れ始め、そこに人影のようなものを映し出した。


 まるで、御簾の向こうに居るかの如く映し出されているが、風に揺れる隣の御簾との隙間には、誰も見えない。


 ……人?


 違う、あれは……。


「鬼?」

と成子が呟いたとき、パンッ、と御簾が勝手に巻き上がった。


 だが、いつものように留め具で止まってはいない。


 道雅が手で支えていた。


「やれやれ。

 やっと私の出番が来たようだな」


 道雅の顔からは、いつもの自信なさげな様子が消えていた。


 不遜な目つきで自分を見下ろす道雅に成子は言った。


「なんだ、神様。

 いらっしゃったんじゃないですか」



 

 

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