「し、師匠っ」

と黒猫の細い手を掴む道雅を、なにやってんだ……と思い、眞鍋は見ていた。


「私に、歌の道をご教授ください」


 そいつは猫だ。

 いや、猫じゃなくとも、悪霊だ……。


 だが、猫も満更でもなさそうな顔をしている。


 こいつ、あの神様とやらと比べると、かなり人間臭いよな。

 まあ、元は人間なのだろうから当たり前だが。


 それにしても、どんな恨みを抱けば、人は怨霊になり得るのか。


 今の自分には想像もできない。


 川のほとりで偉そうに語る猫に、道雅はいちいち深く頷いている。


 猫が喋っているという異常事態も特に気にならないようだ。


 本当に、ひとつの道だけを向いている専門莫迦というか。

 いや、そういうところは嫌いではないのだが。


 ……気に入らないことはひとつだけだ。


 神がこいつの身体を使おうとすること。

 ただ、それだけ。


 だが、それだけで、この男は、誰よりも成子の側に行けるから。


 そのとき、自分の側にある井戸から毒々しいまでに艶やかな蝶がふわりと浮き上がるのが見えた。


 井戸の中から? と思ったが、それは幻だった。


 光の加減かな、と思い、視線を戻す。


 ひんやりとした井戸の側を離れ、道雅の許に行く。


「お前、怨霊と師弟関係なんぞ結んだら、成子の神様とやらに見放されるぞ」

と言いながら、その襟首を掴んだ。








 昼過ぎ、成子の許に帝から文が届けられた。


 良い香りのする美しい舶来物の染め紙だが、どうせ、また、なにかの愚痴だろう、と成子は思っていた。


 だが、中身は、本当に普通の歌だった。


 どうも、成子に、というより、『斎王』に送ってきたようだ。


 誰かに言われて送ったのかもな、と思い、立ち上がる。


「真鍋」

とちょうど庭を見回っていた男を呼んだ。


「道雅を呼んで。

 形式的な歌を自分で考えるの、面倒臭いから」

と言うと、お前、なんのために、道雅について歌習ってんだ、という顔をされた。








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