道雅

  




「素晴らしかったですわね、道雅殿の歌」


 成子の髪を梳きながら、うっとりと三人の乳母たちは言う。


 はあ、そうね、と相槌を打ちながら成子は、道雅には、なにかあとで褒美をやろうと思っていた。


 歌を詠む道雅を、離れた井戸のところから、真鍋と見覚えのない黒猫が見ていたのが、ちょっと気になるところだが。


 成子の気のない返事に気づき、乳母の一人が言った。


「まあ、成子様は素敵な殿方に歌を贈られるのなど、日常茶飯事でしょうから、今更って感じかもしれませんけど。


 我々でしたら、あんな美しい殿方にあんな情熱的な歌を贈られたら、すぐに恋に落ちてしまいますわ」


「でも、確かに、成子様には帝ですら、せっせとお歌を……」


 その話は、と別の乳母が咎めていた。


 なにが歌だ。

 あいつが歌など贈ってくるものか。


 紙や香に意匠を凝らしたあの手紙は、ただの宮中の愚痴なのだ。


 あとなにか欲しいものはないかといつも最後に書いてある。

 祖母からの手紙よりも、身内らしい手紙だ。


 それにしても、今朝の道雅の歌は、確かに素晴らしかったが、道雅にしては珍しい感じの歌だった。


 爽やかな朝の歌ではなく、朝起きても、すぐに君を想う的な恋の歌だったのだ。


 反射的に作った歌があれとは。


 あの朴念仁にも好きな女性とか居るのだろうかな、とふと思った。




 



 みなが道雅の歌を絶賛している頃、本人は落ち込んでいた。


 信じられない。

 あんな歌を人前で披露するとは……。


 都から使者が訪れたときなどに、曲水の宴が行われる水辺にしゃがみ、道雅は、その流れを眺める。


 以前、此処で詠んだ歌を斎王様も帝の使者も大層お褒めくださったのに。


 そんな感慨に耽っていると、後ろから、

「道雅、水の中から女がお前を見ているぞ。

 引っ張り込まれないよう気をつけろ」

とちょっと面白い感じの声が聞こえてきた。


 はて、聞き覚えのない声だが、と振り向いてみたが、そこには猫しか居なかった。


 落ち込むあまり、幻聴まで聞こえるようになったのか、と首を傾げ、前を見ると、

「今日の歌は素晴らしかったぞ」

とまた聞こえてくる。


 再び、振り向くと、

「いつもほど、技巧に走っておらず、心に訴えかけてくるものがあった」

と言う音声に合わせ、常に笑っているかのような猫の小さな口が動く。


 ひいっ、と後ろ手をついて、逃げかける。


 ね、猫がしゃべっているように見えるのだが、気のせいだろうか……。


 そう惑っている間にも、猫は喋り続ける。


「お前の歌はいつも、技術が先走って、感情が薄い気がしておったのだが、今朝の歌は素晴らしかったぞ」


 その後も、道雅の歌の何処が素晴らしく、何処が問題あるのかをつらつらと挙げてくる。


 自分の師匠でさえ、うむ、と渋い顔をしながらも、言ってこなかったことを猫が遠慮会釈なく言ってくるのだ。


 師匠が言わなかったのは、それぞれの個性があるし、あまり抑えつけても、伸び伸び詠めないから、というのがその理由のようだったのだが――。


「し、師匠っ」

と道雅は細い尻尾を優雅に揺らしている猫の手を片方取る。


 肉球がひんやりしていた。

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