「死ぬかと思ったわ」


 そう死んでいる猫が言う。


 いや、猫自体は死んではいないのだが。


 朝、眞鍋はあの井戸の近くで、怨霊入りの黒猫と話していた。


 成子以外の人間に見られたら、頭がおかしいと思われそうだと思いながら。


 命婦の許をなんとか逃げ出してきたらしい猫は、

「昨夜は、あの巨体に押しつぶされるかと思ったわ」

とぶつぶつ文句を言っている。


「だが、おかげで面白いものが見れたぞ」


 そういいながら、細くしなやかな尻尾を草の先をくすぐるように、ぱたり、ぱたりと揺らす。


「面白いもの?」


「夜な、命婦を見下ろしている女がおったのよ。

 こう、長い髪を垂らして、扇を持った女が、命婦の枕許に立っておったのだ。


 嫌な気配がしておったのだが、あれがその正体のようだのう」


 ……なにも面白くはない感じなのだが。


「扇……例の扇か?」

と訊くと、そうやもしれんな、と笑っている。


 黒く顔の細い猫が笑うと不気味だな、と思いながら、その顔を見ていた。








「おはようございます、成子様」


 朝一番にやってきたのは、命婦だった。


「まあ、道雅殿」

とまだ、どうしようかとオロオロしている道雅を見て、命婦が咎めるような声を上げる。


「道雅は、今、来たのよ」


 そう成子が言うと、……はあ、とどうしたものかというような返事をしてくる。


「嘘よ。

 神が道雅に入ってやってきて、此処に脱ぎ捨てて行ったのよ」

と溜息をついて見せると、


「そ、そうなのですか。

 そういえば、昨夜、居らしてらっしゃいましたね」

と命婦は言った。


 成子はそんな命婦を見上げて笑う。


「神は、こういう事態を上手く処理できないようなら、命婦が居る意味がないとか言ってたわよ」


 そう言ってやると、

「わかりましたわ。

 わたくしが、なんとかいたしますっ」

と命婦は突然張り切り始める。


 渡殿近くまで来ているのか、聞こえ始めた乳母たちのものらしき話し声に、はっ、という顔をした命婦は、道雅の首根っこをむんずと掴む。


「こちらにっ」

と言うや否や、御簾を跳ね上げ、道雅の身体を放り投げるようにして、階の下へと引きずり落とした。


 ああ……それ、神様が入ってた器なんだけど、と苦笑いしながら、成子は見遣る。


 命婦の腕力で転がされた道雅だったが、

「早くっ、控えなさいっ」

と命婦に言われ、慌てて、今、此処に来て、命婦に物を言っているていを取る。


「あら、道雅」

と命婦の小芝居が始まった。


 現れた乳母たちに、

「みんな、おはよう」

と挨拶をし、


「道雅が、成子様に捧げる、朝に相応しい歌が出来たと言って、わざわざ来てくれたのです」

と言い出す。


 まあ、と乳母たちは、頬を染めた。


「道雅殿、それはぜひ、我々も聞かせていただきたいものですわ」


 道雅が無茶ぶりをするな、という顔で、青くなっていた。


 確かに、軽く歌を詠むくらい道雅には造作もないことだろうが。


 わざわざ斎王に早朝捧げに来るほどの歌をいきなり作れと言われても。


「さあ、道雅殿」


 さあさあ、と命婦が道雅に詰め寄る。


 この状況をなんとか出来たら、それは、命婦ではなく、道雅のお手柄だろうな、と成子は思った。






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