代筆
「いいじゃないの、この紙で」
真っ白な味も素っ気もない紙を用意しようとする成子を、
「いいわけございませんっ」
と命婦が止めていた。
高欄越しに外を見ながら、騒がしいその声を道雅は背中で聞いていた。
成子の居室からは、良い香の香りがしている。
いつか見た、瑠璃の器に入っていた薫物を焚いているようだ。
「要するに、私は此処から国が繁栄するよう、ちゃんと祈ってますから、帝は安心なすってくださいって詠めばいいんでしょ?」
「……詠めばいいんでしょって、詠むのは道雅だろうが」
と庭で聞いている眞鍋が突っ込んでいる。
「道雅はそういう歌より、意外にも、恋の歌の方が上手いのにね」
は? と道雅は振り返った。
「朝の歌、良かったわ」
聞いてて、どきりとしたと成子は言う。
少しその言葉が引っかかった。
「成子様でも、歌に詠んだようなお心を抱かれることがあるのですか?」
そう道雅は問うてみた。
成子に好きな男など居ないようだったが、何故、あの歌で、どきりとするのだろうと思ったからだ。
「さあ?
なんだかそんな気がしただけよ」
御簾のところまで来ていたらしい成子は遠くを見ているようだった。
彼女との間には少し距離があるが、衣擦れの音も近く、成子の好む香りがすぐ側でする。
目を閉じた方が、実際には視界にない成子の姿が艶やかに浮かんだ。
詠めそうだ。
今ならいい歌が、と道雅は思っていた。
今、成子たちが必要としている歌ではないが。
階にあの猫が居たが、今はただの猫なのか、ちらとこちらを見ただけで、あとは、ただ黙って、日向で目を閉じていた。
こうして見ると、神とは、まるで別人だな。
そんなことを思いながら、成子は欄干の側で、熟考を始めた道雅を見下ろす。
中身が違うと、器まで変わって見えるから不思議だ。
特に最近、道雅の器は、神と馴染んで見えるから。
初めの頃のように、人の形の中に違うものが入って動かしている感じはない。
じっと見ていると、御簾越しに道雅がこちらを見、嫌な顔をする。
「あのー、斎王様。
見つめないでください。
集中できないので」
貴女の人格に成り切らないと代筆は難しいのです、と道雅は言う。
「あら、そうなの。
ごめんなさい」
と言いながら、なんで私が見てるくらいで集中できなくなるのよ、と思っていた。
道雅は食事中でも、道端でも、突然、自分の世界に入り込むから困ると以前、誰かが言っていたのに。
だが、集中している道雅の顔は普段と違い悪くない。
いつもはぼんやりして、人が良さそう、という印象なのだが。
見るなと言われたのに見ていたが、なんとか歌は出来たようだった。
代筆と言っても、代わりに道雅が考えてくれるだけで、書くのは自分だ。
道雅の指導で、なんとか美しく書き上げ、使いの者に文を持たせる。
歌に合った花は添えられなかった。
都までの道中枯れそうだったからだ。
やれやれ、と一息ついたあとで、命婦に、
「道雅になにか取らせて」
と言うと、はい、と頭を下げる。
そのとき、命婦の側に強い気配を感じた。
なんだろう。
誰か居る? とそちらに目を凝らしたとき、道雅が、
「斎王様。
それでは、これで、失礼させていただきます」
と言った。
「ああ、ありがとう、道雅。
そうだ。
ねえ、朝の歌は誰を思って詠んだの?」
道雅が固まる。
訊くか? という顔をその場に居た全員がしていた。
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