恋 弐
「道雅、好きな人とか居るの?」
「……おりますよ」
そう答えたのは、ズバリ、売り言葉に買い言葉だった。
ま、敢えて言うなら、貴女ですけどね、と道雅は思っていた。
でも、きっとそれは、憧れに近い感情だ。
真鍋のように他人が見てもそれとわかる強い想いではない。
だが――。
ほとんど意味をなしていない扇を手に、庭で木々を眺める成子の横顔を見ていると、時折、強い恋情が湧く。
これは自分の感情だろうかな、と不思議に思っていた。
何処か遠くからやってきて、突然自分を支配するもの。
それが恋というものだと命婦などは訳知り顔で言いそうだが。
酸いも甘いも噛み分けた女には、どんな男も口で敵いはしない。
風に吹かれ、成子の髪が自分の鼻先に届く。
えも言われぬ良い香りがした。
無性に成子を抱き締めたくなる。
あの幾重にも、身を護る鎧のように重ねられた衣の下の細い身体を感じたいと願う。
これは自分に時折乗り移るという神により、与えられた感情だろうかな、と道雅は己れを客観的に眺めながら思った。
すると、神というのは、随分と人間臭い。
神もまた、人のように、こうして恋をするのか、と思った。
それは、成子が自分に与えられた斎王だからか。
それとも――。
「どうしたの? 道雅」
と成子が振り向く。
「いえ。
神というのは、恋をするのだろうかな、と思いましてね。
気になる題材です」
と言うと、成子は笑い、
「いつも歌のことを考えているのね。
そういう実直なところは嫌いじゃないわ」
と言う。
どきりと心臓が跳ねた。
これもまた、神の作用か。
神は自分の目を通して、成子を見、耳を通して、その囁きを聞いているのか。
そして、この矮小な人間に自分の感情を降ろしているのか。
「誰に認められても認められなくても、貴方はいつも変わることなく、ただ黙々と歌を詠んでいるって、貴方のお師匠様が」
はあ、となんだか照れくさく、曖昧な返事をする。
そして、不思議だった。
先生がそのように自分のことを人に語っておられたとは。
直接、そのような褒め言葉を頂いたことはなかったので、意外だった。
もともと、成子は自分の師匠に師事していたのだが、師匠が成子について、伊勢に下るわけにはいかないので、自分がついてきたのだ。
「神様って、誰かを好きになったりするのかしら。
一人の人間を愛したりして、いいのかしら。
誰もを同じように愛してくれるものだと思っていたわ」
そう言い、庭園を流れる小さな川のほとりまで来た成子は、その流れを見つめる。
確かに。
神には平等に人を愛して欲しい。
そう願うのは、自分が神に愛されない人間になりたくないからかもしれないが。
だが、成子は特別、神に愛されているように見える。
美しく、才に溢れている。
もっとも、彼女の生い立ちは決して幸せなものとは言えないが。
そして、今、また、残り少ない身内との残り少ない時間を取り上げられ、こんな遠くまで追いやられている。
「私に憑いている神は――」
勝手に神の心を代弁してもいいものだろうかと思いながらも、成子を慰めたく、口にする。
「貴女を愛してらっしゃいますよ」
たぶん。
だが、成子は首を捻る。
「そうかしら。
そうとは思えない。
斎王は神の花嫁。
嫁に来たのだから、通わなければと思っているだけのような気がするのよ」
「どうしてですか」
成子が少し顔を近づけてきたので、思わず、後退するが、成子は構わず、扇を自分との境にではなく、外界との境にするように使い、小声で囁いた。
「だって、今朝、夢で、神様に井戸に突き落とされかけたのよ~っ」
斎王として不名誉だと言わんばかりに、成子は嘆く。
誰にも聞かれたくないようだった。
「そのお話は真鍋には」
「言ってないわよ。
どんな毒舌を返してくるか、わかったもんじゃないじゃない」
と成子は言う。
少し嬉しかった。
あの真鍋にも語らぬことを自分に話してくれたことが。
なんといっても、今、もっとも成子の近くに居るのは、真鍋だろう。
実際、自分が女だったら、彼のような男に心惹かれると思うし。
だが、そう考えた瞬間、少し、胸が痛んだ。
これも神の感情だろうか。
「大丈夫ですよ、成子様」
都に居たときと変わらぬように、道雅は彼女をその名で呼んでみた。
「神は貴女を想っていらっしゃいます。
それはただの夢ですよ」
そう慰めてみたが、そうかなあ、と成子はまだ、納得がいかない様子だった。
投げ捨ててしまったんです。
だって、貰うとよくないものだと聞いたから。
斎王様に――。
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