井戸の中

 

 



 別に斎王様のお顔はいつも通りだと思うけど。


 女官は階を下り、井戸へと向かっていた。


 命婦様は元から斎王様とお親しいようだけど。

 なんというか、過保護というか。


 恐れ多くも帝の代わりに此処に来られている方をまるで子ども扱い。


 帝と言えば、密かに斎王様に想いを寄せられていると聞くけれど。

 斎王様がこちらにいらしてしまわれて、今はどんなご心境なのかしら。


 こんなことを考えては、不敬なのかもしれないけれど。

 なんだかいろいろとわくわくする。 


 帝は今も成子に不自由はないかと意匠を凝らした手紙を寄越しては、物を贈りつけてくる。


 その思い入れようは、尋常でなく。

 成子を退下させるために、成子の身内に不幸を起こしかねない有様だ。


 斎王の身内に不幸があれば、斎王はその任を解かれる。


 斎王様のお身内というと、斎王様をお育てになられた、お祖母様。


 今上帝にとっても、お祖母様ということになるから、この方を無理矢理どうにか、ということもないでしょうけれど。


 御結婚のために不幸はなくとも、退下された斎王様も過去いらっしゃったそうだけど。


 もともと、うちの斎王様は帝の後宮に上がらないよう、謀略により、斎王に選ばれ、伊勢に飛ばされたって話だから、無理そうね。


 確かに、帝が成子一人に寵愛を注ぐようでは、いろいろと問題が生じてくるだろうことは、自分のようなものにでも想像がつく。


 それにしても、帝からの贈り物が運ばれるのを見ている真鍋様の眼つきとか。

 ああ、今にもなにかが起こりそうでゾクゾクする。


 暇な斎宮の生活で、女官たちは話題に飢えていた。


 都からの使者で、斎王様に想いを寄せている方もいらっしゃるようだけど、さらっとお歌でかわしてしまわれるし。


 面白くないわ、と思いながら、井戸の水を汲もうと覗き込もうとした女官は、はっとする。


 白い手が、井戸の縁にかかっていたからだ。


 身体はない。


 井戸の中から、ただ白い手が――。


 女官は手にしていた器を落とし、悲鳴を上げた。


「どうした!?」

 すぐに駆けつけた真鍋に女官は縋りつく。


「真鍋様っ。

 井戸から手がっ。


 井戸から……っ。


 ……あら?」


 恐る恐る井戸に近づいていった女官は苦笑いし、


「すみません。

 蔓でしたわ」

と鳥でも落としたのか、切れた蔓が井戸の縁に引っかかっていたのを掴んで笑ってみせた。


 どさくさ紛れに、真鍋に抱きつけてよかった、と思いながら。






「すみません。

 蔓でしたわ」

と笑う女官の後ろに、まだその白い手は覗いていたが、彼女にはもう見えないようだった。


「真鍋ー」

と斎王の居室の方から自分を呼ぶ声がする。


 命婦だ。


「斎王様がお呼びですよ」


 その声に、何故か目の前に居る女官の方が目を輝かせる。


 なんなんだ、と思っていると、彼女は、

「真鍋様っ。

 お呼びですよっ」

 さあさあ、と嬉しそうに、急かすようなことを言う。


 本当になんなんだ……。


 眞鍋は、首を振りながら、階へと向かう。


 



 やったわっ。

 楽しくなってきたっ。


 真鍋の背を見送りながら、にんまり笑った女官は、


「何時まで、水を汲んでるのっ」

と命婦に怒号を飛ばされても、はいっ、と機嫌良く、白い手の側で水を汲み上げ、急いで居室へと戻っていった。






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