神を宿す者
今日はちゃんと几帳の向こうに成子は居た。
眞鍋は、それを少し残念に思う。
「猫、おいで」
と成子に呼ばれ、猫は愛らしい足取りで、たたたたっと成子の許に行った。
床下で干涸び、無のような表情をしていた頃の面影もない。
「その猫、成仏……
失礼」
此処では、仏教にまつわる言葉は忌みことばだった。
「上へ上げてやらなくてよろしいのですか」
「大丈夫よ。
満足したら、そのうち消えるわ。
ねえ、猫」
と言うが、あの床下の霊と同じく、このまま、成子が気に入って居座るのではないかな、という気がしていた。
まあ、いいか。
今、あの猫が居なくなったら、成子が淋しがりそうだから。
親族から離れたこの遠い伊勢の地で、成子の心を慰めるものに、この猫の霊がなるのなら、と思っていると、成子は言った。
「真鍋。
今日は、私を呼び捨てにしないの?
誰も居ないわよ」
「私が斎王様を呼び捨てになどしましたでしょうか?」
と改まって言うと、そのくらいの勢いだった、と成子は笑う。
「別にいいのよ。
此処ではみなが私にへりくだるので疲れていたところ。
お前のような生意気な男が居ると、ほっとするわ」
生意気ってな。
身分は成子の方が遥かに高いが、年は俺の方が随分上なんだが、と思っていた。
「あーあ、なにか面白いこと、ないかしら」
「なくて結構です」
成子の言う面白いことなど、ロクでもないことに決まっている。
「ちょっと外に出てみたいんだけど」
「御簾の外にですか?」
「いいえ、外に、よ」
警備の者が大変だろうが。
斎王がそう簡単に表にひょいひょい出られるわけもない。
「成子様……斎王様」
「成子でいいわ。
いつも斎王って呼ばれていると、なんだか私の人格までなくしてしまった気がするのよね」
あの騒動と同じよ、と成子は言う。
斎王を想う意識の塊が求めていたのは、斎王という器だった。
「此処に残した斎王様がたの想いもあったのですよね。
その斎王様たちは、此処を出られて、その相手の想いには答えられなかったのでしょうか」
「なかなか上手くはいかないわよね。
出る頃には年老いていたり、誰かの許に嫁がされたり。
まあ、そこは斎王でなくとも、同じかもしれないけどね。
いっそ、市井に降りたいわ。
そうしたら、無理に結婚させられることもないでしょうに」
「どなたか想われる方でもいらっしゃるのですか?」
「いや、居ないけど」
そうだろう。
この斎王、美しいが、色気は皆無だ。
唯一、それらしきものを漂わせているのは、怨霊と対峙しているときのみ。
それも単に、嬉しくて、輝いて見えるだけに違いない、と思っていた。
彼女はいつも退屈しているから。
「暇ね」
案の定、成子はそう呟く。
「ああ、暇暇」
そう言いながら、しどけなく脇息に寄りかかり、猫を撫でているようだった。
この居室に間の抜けた足音が近づいてきていた。
道雅だ。
すぐにわかる。
この足音が消えるときが神が彼にのり移っているときだ。
だが、つい、身構える。
道雅という存在自体が成子にとって危険な気がしたからだ。
成子は道雅の中に神の面影を追ったりしないだろうか。
なにせ、同じ顔なのだ。
そこまで思って気づいた。
ならば、成子は自分の中に怨霊を見ているのではないかと。
手を組まないか、と言った怨霊の言葉が甦る。
冗談じゃない、と思った。
道雅が神で自分が怨霊。
もう完全に勝ち目がなくなる気がしていた。
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