井戸の側

  




 もうひとつの朝廷と呼ばれる斎宮。

 大勢の人間が暮らす、その閉じられた空間を大きな月が照らし出していた。


 その月の光が流れる雲に遮られた夜半過ぎ、真鍋は定時の見回りをしていた。


 成子の居室の近くに来たが、あまり近寄らないようにしようと思った。

 あの霊がまた誘惑してくるからだ。


『成子を手に入れたくないのか』


 だいたい、お前が憑いたからって、成子がなびくわけでもないだろうが。

 そう思い、少しそちらに傾きかけた気持ちを抑える。


 だが、わかっていた。


 そういう不浄な手段でも使わぬ限り、あの清らかな斎王を自分のような凡人が手に入れることなどできないということは。


 道雅のように神に選ばれれば別だが。


 どうして、道雅なんだろうな。

 成子の側に居る若い男という条件は同じなのに。


 やはり、魂の違いだろうか。

 道雅も自分も曲がったことは嫌いだが、自分の魂には穢れたところがある。


 自分は守るべき斎王に懸想している。


 いや、待てよ。

 それは恐らく、道雅も同じではないのか。


 この恋心が邪念なら、それは道雅の内にも存在しているはずなのに。

 あの成子の側近くに居て、心を奪われない男など居るはずがない。


 そのとき、笑い声が聞こえた。

 床下からだ。


「恋は盲目とはよくぞ言ったものよ。

 お前の趣味嗜好がすべての人間に当てはまるわけでもあるまいに」

とまた勝手に人の心を読んでくる。


「成子が手に入らなくて暇だろう。

 それ、そちらに面白いものがあるぞ」


 面白いって、と思い、振り返ると、たまに現れる女の霊が居た。

 井戸を黙って見つめている。


「面白いとか言うな」

と言うと、床下の霊は鼻をならし、


「なに。

 困った霊を見捨てるのなら、お前も私と変わらぬだろう」


 そう挑発してくる。


「見捨てているわけでは――」


 そう答えながら、つい、罠にはまった。

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