誘惑
昼過ぎ、真鍋が渡殿を歩いていると、道雅がやってきた。
爽やかに挨拶する道雅に頭を下げたあとで、手にしていた入った包みを渡す。
道雅は、え、という顔をした。
「昼の残りだそうだ。
今、そこでもらった」
「……何故、それを私に?」
「いや、腹が減っているのではないかと思って」
「私、どちらかと言えば、食が細いのですが」
知っている。
だが、あのとき、白い衣は釜の側に落ちており、釜を漁った跡があった。
「霊がとり憑くと、腹が減るのではないか?」
自分が憑かれたときにも、急激に体力を消耗した感じがあった。
自分にとり憑いたのは怨霊で、道雅にとり憑いたのは、神に似たもの。
どちらも、生命力を吸い取られそうな強さがある。
「本当なのでしょうか」
と道雅は憂い顔で呟く。
「何故、私などに神が憑いたりするのでしょう」
……顔じゃないかな、と真鍋は思っていた。
本人が気弱な表情でしゃきっとしないから、あまりそうは見えないが、道雅はとても奇麗な顔をしている。
そして、魂にもそう穢れがないように見える。
だからこそ、神が憑いたのではないか。
「そうかな」
ふいにそんな声がした。
道雅と別れ、斎王の居室の前に差し掛かったときだった。
「執着と欲望が深いからこそ、神に憑かれたのかもしれないぞ」
声は床下から聞こえているようだった。
「あれは一途で思い込みが強い。
あんな風に見えて、こうと決めたら、迷わないからな。
お前とは違った意味で使える男だ」
「人の頭の中を読むな」
と足許に向かい、文句を言うと、
「真鍋?」
と御簾の中から声がした。
張りのある甘い声だ。
どきりとする。
「……はい」
と真鍋は短く答えた。
「成子の側に行きたいか」
霊は笑いを含んだ声で、そう訊いてくる。
「いいだろう。
私が協力してやるよ」
「逆だろう。
お前が私に身体を貸して欲しいのだろう?」
どちらでも同じことだよ、と霊は言う。
「斎王である成子は、本来の好みはともかくとして、怨霊よりは、神に気を許す」
お前、今のままでは道雅に負けるぞ、と言われた。
「真鍋。
成子を手に入れたいのなら、私と手を組むのが賢いぞ」
「……此処での話、成子に筒抜けているのだろう?」
いいや、お前にだけ、話しかけているのだよ、と霊は言う。
それが本当なのかは知らないが。
そのとき、御簾の下を潜り、愛らしい黒猫がやってきた。
くるぶしの辺りに顔を何度もこすりつけてくる。
撫でてやりたいが、霊体のなので、触れられない。
「猫」
と成子が呼ぶのが聞こえた。
名前、つけてやれ、と思いながら、
「此処に居ますよ」
と声を張り上げ、成子に言った。
怨霊からの誘惑を振り払おうとするように。
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