白い男 弐
深夜、成子が目を閉じていると、それは現れた。
すっ、すっと音をさせずにすり足のように移動してくる音。
成子は目を開け、ゆっくりと身を起こす。
几帳越しにそれを見た。
御簾の向こうに立つ影。
成子は立ち上がり、几帳を通り越して、そこに行く。
その影に向かい、呼びかけた。
「こちらに入ってきてはくださらないのですか?」
影は黙って立っている。
だが、昨日より長く、此処に居る気がした。
やはり、そうなのか。
影はそっと御簾に右手を触れてくる。
なんとなくその手に成子は己れの手を重ねた。
清廉な波動が手を通じて伝わってくる気がした。
だが、手はすぐに離れ、男は向きを変えた。
「待てっ」
と外で真鍋の声がした。
「お前は何者だ」
そのとき、風に御簾が大きく揺れた。
白い衣を肩から羽織った男の顔が露になる。
予想していたはずなのに、息を呑んだのは、その男の美しさにだった。
なんで? あの顔なのに。
魂の放つ光のせいか。
命婦が腰を抜かすわけだ、と思った。
太刀に手をかけた真鍋が庭先に居る。
御簾の外に駆け出た成子は、
「待って」
と真鍋と男に向かって言い、男の手を掴んだ。
その瞬間、男から神々しい空気は消えていた。
まるで、成子と一瞬足りとも触れ合えぬように。
男は、一瞬、おや? という顔をし、己れの手を見下ろした。
「斎王様。
どうかされましたか?」
いや、あんたがどうかしたのかだよ、といつものようにぼんやり顔に戻った道雅に思う。
「あれっ? この衣は」
と肩にかけている白い衣を見て言う。
「それは神に捧げる衣よ。
近くの神社で織っている」
ひいっ、と道雅は、畏れ多さから、それを投げ捨てる。
かえって罰当たりな感じがするのだが。
成子は腰を屈めてそれを拾い、
「昨日、命婦が白い衣の美しい男を見たらしいのよ。
そして、釜の近くにこれが落ちていた」
はい、と成子は道雅の鼻近くに衣を持っていく。
「これは……っ」
「そう。
貴方が好んで使う香の匂い。
今、羽織ってたからじゃないわよ。
今朝、これが見つかったときにもついてたの」
「ということは――」
「私の寝所の現れ、鱗を落としていく白い男の正体は貴方だってことね。
鱗は?」
「そっ、そんなもの知りませんっ」
と慌てて両手を上げ、道雅は首を振るが、その手から白い鱗がこぼれ落ちた。
「それっ」
と大きな声で言うと、ひいいいいっと絵に描いたような悲鳴を上げる。
「じゃあ、私は怨霊になっていたというのですか」
「怨霊でも悪霊でもないわ。
あの這いずる霊は此処に入れた。
だけど、貴方に憑いている白い霊は入れなかった。
あれはやはり、神に近いものなのよ。
この場所が人の怨念によって、穢れているから、神は入れないのよ」
先程まで居た悪霊。
床下に居る怨霊。
そして、殺された黒猫。
この斎宮の中で、此処が一番問題あるような、と思った。
「神ねえ」
そう胡散臭げに真鍋は言う。
「神だろうが、怨霊だろうが、お前に……斎王様にしようとしていることは同じでしょう」
そんなことを言い出す。
不満そうだ。
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