カミサマ

 



 今日は、成子は真鍋とともに、几帳の陰に隠れていた。


 あの御簾の向こうの影を待つ。


 真鍋は太刀に手をかけているが、それは、ほとんど飾りのような気がするが、と成子は思っていた。


 真鍋が何かの気配を感じて立ち上がる。

 そういえば、今、微かに女の声が聞こえたような。


 そのとき、御簾に男の影が映った。

 こちらに向かい歩いてくる。


 何故かぼんやりとしかわからないその影は、昨日とは少し違うように思えた。


 影が白い。


 昨日より。


 その影は正面で立ち止まり、やはり、こちらを向くが、そこからは入ってこない。


 真鍋が立ち上がり行こうとした。


「待……っ」

と言いかけた成子は悲鳴を上げる。


 自分の手首を誰かが掴んでいたからだ。


 それはあの這う男、だった。

 いつの間にか自分の後ろに居た。


 見れば、動いた弾みに蹴ったのか、塗りの箱が開いていて、そこから髪がこぼれ落ちている。


 それは風もないのに、床の上で、さわさわと揺れていた。


 抑えた悲鳴を上げると、立ち上がっている真鍋が下を向き、舌打ちをする。


「今、私に舌打ちしたわねっ」


 さすがの成子も今の事態で悲鳴をあげずにいることは難しかった。


「だから、貴方が代わりに此処に潜みなさいって言ったのよ、昨日っ」


「騒がないでください」


「御簾の霊ならもう居なくなってるわっ」


 成子はそう言うや否や、御簾の外に出る。


 床の上に白く輝く鱗が落ちていた。

 そっとそれを指先で摘む。


「やっぱりね……」

と呟いたとき、一度見た鱗にはもう興味を示していない真鍋が少し先から呼びかけてきた。


「おい。

 いえ、斎王さま」


 あんた、今、おいって言った……。


「おい、でいいわよ、なに?」

 私ももう、改まったしゃべり方するのやめるから、と真鍋に告げた。


「そこに女が倒れてる」

「女?」


「……年配の」


 言葉を選べ。


 ひょいと角から先を覗いた成子は言った。


「もし、生きてたら、あんた、命婦に殺されてるわよ」


 微妙な年齢なんだから、と言うと、

「お前こそ、言葉を選べ。

 生きてるぞ」

と言い、真鍋は命婦の側に膝をつき、彼女に向かい、呼びかけた。


「起きてください。

 命婦殿」


 真鍋がいい声で呼びかけたせいか、命婦はすぐに飛び起きた。


「神様が!」


 は?


「神様がそこに!」


「大丈夫?

 何処か打った?


 そんなもの、居るわけないじゃないの」


「……お前、その発言は斎王としてどうだ」


 まあ、霊が居るくらいだから、神も居るのだろうが、とりあえず、見たことはない。


 仏と違い、神は像を作ってはならない。


 あるにはあるが、一応、禁じられている。


 そもそも、神にお姿などあるのだろうか。


「ねえ、神様って、どんな風だった?」


 命婦は腰を抜かしたまま、うわごとのように呟く。


「……それはそれは美しいお姿でした」


「妄想か?」


「それはちょっと見てみたいかも」


 成子の軽い調子に、真鍋は、あのなあ、という顔をするが、いや、あんた、どさくさ紛れにひどいこと言ってるって、と成子は思った。


 欲求不満の命婦が自分好みの男の幻を見たと思っているらしい。


「美しいお姿ね。

 例えば、どんな?」

と訊いてみたが、命婦は答えられない。


 ただ、美しく神々しい姿だったと繰り返すばかりだ。


「それって、霊みたいに、ぼんやりしている感じなの?」


「とんでもない」

と命婦は言う。


「神々しいけれど、本当にそこに居るような感じでした」


 ただ、思い出そうとすると、どんな顔だったのかわからないと言うのだ。


「なるほど、わかったわ。


 もう下がっておやすみなさい」


「ありがとうございます。

 斎王様」


 そういえば、そもそも、命婦はなんでこんなところに居たんだ、と思ったとき、彼女がいきなり、真鍋の腕を掴んだ。


 真鍋が、は? という顔をする。


「では、失礼致します」

と真鍋をも引きずっていこうとする。


「あ、あの、ちょっと……」


 もうちょっと打ち合わせをしたかったんだが、と呼び止めようとしたが、命婦は、

「斎王様に何事かあっては困りますのでっ」

と言いながら、真鍋をそのまま連れ去ろうとする。


 真鍋も女相手では乱暴に振りほどくこともできず、そのまま引きずられていっていた。


「い、いや。

 何事もないように真鍋を――」


「そういう意味ではございません!」

とぴしゃりと言われた。


 いや、この朴念仁が何をすると言うんだ、と思いながら、成子は渡殿を渡っていく二人を見送った。


 



「やれやれ」


 部屋に戻ると、そこはいつものように静かだった。


 髪の毛とあの男は?

 そう思ったとき、小さな声が聞こえた。


「……はい」


 それだけだった。


 成子は御帳台の前に立ち、誰も居ないはずのその中を見つめ、考える。





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