斎王
儀式の場に赴く自分に向かい、誰もが頭を下げる。
その姿を見、当然のように受け止める自分と、気恥ずかしく思う自分が居た。
私はそんなに立派な人間ではない。
みんな私の何を見て、そのように、へりくだるのだろう。
すべては斎王という称号の為せる業だろうか。
「お疲れのようですね」
と道雅に言われた成子は、脇息に寄りかかり、そうねえ、と適当な返事をする。
「疲れるのよ、斎王に相応しい振る舞いとやらをするのは」
道雅は小首を傾げ、
「特にご無理されてるようには見えませんけどねえ」
と言う。
「そう見えるのなら、成功ってことでしょ。
人に敬われるのに慣れてないだけかもね」
さやさやと良い風が吹きつけてくる。
こんなとき、いい歌でも詠めればいいのだが、あまりその手の才能はない。
道雅たちの指導のお陰で、それなりの形にはなっているかもしれないが。
魂を揺さぶるようなものじゃないな、と自分で思う。
私の歌なんかより、そこの御簾からひっそり、こちらを覗いている霊の方が余程、魂を揺さぶるが。
以前、風に揺れた几帳の隙間から霊が自分を見ていたときには、さすがにどきりとした。
昨日は霊が見えるなどと抜かしていた道雅だったが、案の定、霊が頭の上に居ても、平気で講釈を垂れている。
「ねえ」
と霊と道雅を見ながら言った。
「今、誰も居ない?」
と言うと、道雅はしゃべるのを止め、辺りを見回す。
はい、と答えた。
「今、貴方の上に霊が居るんだけど」
ひっ、と息を呑んで、道雅は上を見る。
やはり見えないらしく、腰を浮かして、落ち着きなく、周囲を窺っていた。
「大丈夫。
貴方には見えないし、影響もないわ。
でもさ、此処は霊も多いし。
不思議な霊が夜な夜な現れて、よく眠れないのも事実なのよね」
とりあえず、あれをなんとかしたいわ、と言うと、
「とりあえずって」
と言われる。
「幻じゃないわよ。
夕べ、真鍋も確認したから」
「真鍋が、昨日、この周辺を警護していて気づいたんですか?」
「いや、私が夜更けに来いと呼んだから」
と言うと、道雅は固まる。
「……なんてことをしてるんですか、貴方は」
「いけない?
真鍋は私とこの居室を警備してくれてるんでしょう?
霊もついでにしてくれてもいいじゃないの。
あの男は本当に見えるようだし」
「どんな霊なんですか?」
と問われて、昨日、真鍋と確認した御簾の向こうの影の話をすると、道雅は眉をひそめた。
「それ、此処の神様なんですか?
神様なら、祓っちゃまずいでしょう」
「……でしょうね。
でも、神でないのなら。
例えば、神を騙るものなら、どう?」
道雅は溜息をつき、
「悪霊なら、弦を鳴らして、祓ったらどうですか」
と言う。
弓に矢をつがえず、弦を鳴らすことで、魔が祓えると信じられていた。
「弦を鳴らして消えれば、怨霊。
消えなければ、神なんじゃないんですか」
少し怖がってはいるようだが、道雅らしく、こんなときにも筋の通ったことを言ってくる。
だが――。
「悪霊がそんなもので消えるわけないじゃない。
そう信じてる方が気楽でしょうけどね。
物陰に居るものがなんなのか、実際に覗いてみるまではわからない。
貴方が今、話している相手もそう。
私だと信じているけれど、違うかもれしない。
気をつけなさいよ。
相手の顔も見ずに求婚するのもいいけれど。
几帳の陰に、潜んでるのが女だとは限らない」
それは命のないものかもしれない――。
ほころび、と呼ばれる几帳の隙間から直接、道雅の顔を見て、成子は笑う。
その堅物にそんな話をして通じるのか。
ちょうど警備で庭を通りかかった真鍋は二人の話を聞いていた。
道雅も自分を堅物だと思っていることなど、真鍋は知らない。
座っている道雅の向こう、几帳の帳(とばり)の隙間から、艶やかに笑う女と目が合った。
だから、顔を出すな、と思う。
思うのだが、絶対に見てはならぬというのなら、こんなほころびなど作らなければいいのに。
まあ、ほんのりと見せるのがいいのだろうが。
この女の場合、全然、ほんのりじゃないからな、と思った。
「では、そんな気持ちを歌に詠み込んでみてください」
道雅が案の定な、空気を読まないお堅いことを言い出す。
「悪霊について?
悪霊、で始まっていい?」
いい訳ないだろうが。
斎王は自分の詠む歌が好きではないようだったが。
月を愛でるとき、花を慈しむとき、彼女の心は、いつも、そこにはない何かを見ているようで。
人とは違う歌を詠むので、興味深い、といつか、道雅が言っていた。
「あら、雨ね」
と斎王が呟く。
いつの間にか降り出していたようだ。
しとしとと天から落ちる雫は、菖蒲の長い葉に落ち、揺らしていた。
呑気に歌を聞いていても仕方ないので、真鍋は居室から遠ざかる。
中に入ろう。
隣の建物に入ったときには、庭が雨に霞み始めていた。
土や草葉に雨が弾かれる匂いが此処まで漂ってくる。
吐息をもらし、そして、気づいた。
自分が緊張していたことに――。
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