私の大切な人 後編

 誰かの絶叫が校庭に響いていた。


 うるさい、うるさい。黙ってくれ。今は絶叫なんて聞いている場合じゃないんだ。もうどうにかなってしまいそうなんだ。

 頭を抱え込み、耳をふさぐ。しかし、声の大きさはほとんど小さくならなかった。


 だからだろうか。


 その絶叫が自分が起こしているものだと気づくのには時間はかからなかった。

 口を閉じ、ベンチに座りなおす。さっきまでとなりにいたはずの美玖はもう既にそこにはいない。

 跡形もない。もしかしたら、美玖に会っていたのも幻覚じゃないのだろうか、なんて思ったが、そんなわけがなかった。本当に俺の幻想によって生み出された幻覚の美玖なら消えるはずがない。あくまでも俺の理想通りに動いてくれるはずだ。

 いや、もしかしたら……。

 そう考えて、途中で考えるのをやめた。


 冷静になってふと周囲を見回す。

 周囲にいる学校に滞在していた生徒達が俺のことをおかしな人間を見るような目で眺めていた。

 当然か。大声で叫んでたんだもんな。

 その中の一人がこちらに近寄ってくる。老婆だ。杖を突きながら歩いていた。 


「あんたさん、いきなり叫んでどうしたんじゃ? 近所迷惑じゃよ」


 ああ、確かにそうだな。近所迷惑だろうさ。そんなことは俺にでも分かる。言い訳をしたいのはやまやまだが、今回は俺が完全に悪い。


「すみません。ちょっと正気を失ってました。すみません」


 俺はベンチから立ち上がり、頭を大きく下げて、老婆に謝罪をする。周囲の人々の目が少し優しくなったような気がした。しかし、まだ居心地悪かったような気がしたので少し追加する。


「周囲の人にも迷惑ですもんね」


「そうじゃよ。もう寝る時間じゃからな」


 言われて時計を見る。もう午後の十時。

 老人ならもう既に就寝時間なのかもしれない。なら、なおさらうるさくするわけにはいかないな、と思った。

 周囲の俺を見ていた生徒たちも荷物をまとめている最中のようで、俺も彼らにならい帰宅することにした。

 頭上ではさんさんと太陽が輝いていた。


 ***


「死にたい……」


 心底そう思った。

 心の底からそう思った。

 自殺は悪いことだ。親の苦労を踏みにじる行為だ。とずっと思っていた。今でももちろん思っている。

 しかし、ここまで気分を害することしか起きないとすべてを投げ出して死にたくなる。

 優しい嘘なんて要らなかった。せめて俺ぐらいには本当のことを打ち明けてほしかった。

 相談相手になれるかは分からないけれど、本当のことを言ってくれるぐらいには俺のことを信用していると確認ができたはずだ。

 大きく息を吸い込んで、はあ、と大きくため息をつく。

 最近はよくため息をついているな、と他人事のように思った。


「死にたい……」


 やることもなく先ほどと同じ言葉を繰り返し口から発した。

 その後、リビングのソファーに寝転がる。部屋の様子が目に入った。

 電気は点いていない。当たり前だ。家に帰ってすぐにリビングまで放心状態で歩き、そのまま倒れたのだから。

 しかし、テレビの電源は入っていた。画面が表示されているのだから間違いない。

 テレビに映っていたのは一人の男の様子だった。


『ハロー、高山弘明君。僕は、幻想の人。聞こえるかい?』


 何を言っているんだろう? テレビの中の男が俺に話しかけてきている。いや、ありえない。そんなことは色々な方面からありえないと断定できるはずだ。

 普通のテレビ。何もおかしな点はない。むしろ安価な方のテレビ。

 俺の目がおかしなくなっているのかもしれない。ああ、きっとそうだ。俺は疲れているんだ。


『大丈夫かい? 聞こえるかい? 返事がないと分からないよ』


 いや、これは俺に話しかけてきている。たとえこれが俺にしか見えないであったとしても間違いなくこちらに話しかけてきている。

 なら、返事をするべきだ。


「ああ、聞こえる。聞こえるよ」


 画面の中の男は笑う。


『そうか、良かった。ハロー、弘明君。今は暇かな?』


 暇だ、暇だよ。みんな、俺を置いてどこかへ行ってしまったんだ。もう俺にはやることなんて残ってないんだよ。

 明日の朝食すらまともに作れないんだ。明日、部屋で何も食べるものがなくて倒れてしまうんだ。


「話ならいくらでも聞くよ。俺の暇つぶし相手になってくれ。会話できるなら誰だっていいんだ」


『なら、良かったよ。でも、あまり長くはならないよ? 一つの質問がしたいだけなんだ』


 男はそう前置きをして質問を言った。


『弘明君。君の願いは何だい?』


 願い。

 今、俺が一番望んでいることは何だろうか。

 

 死にたい。

 先ほどまでずっと願っていた。これが俺の願いなんだろうか。

 いいや、違う。あんなものは願いなんかじゃない。たった一つだけ残された俺にでもできる選択。世界から逃避するという最低最悪の選択。

 なら、俺の願いは……。


『決まったかい?』


 男は俺に聞く。


「ああ、決まったよ。お前に言えばいいのか?」


『残念。僕には君の願いをかなえるだけの力はないよ。だから、転移してくれ。飛ぶよ。準備して』


 男の言葉を引き金として俺の体が光に包まれる。

 

 ああ、そうか。これが俺の幻覚だったのか。すっかり忘れていた。

 やっと、消えることができるんだな。

 

 俺は安心して目を閉じた。その後、転移した。


***


 見渡す限り真っ白の世界。

 何もない。あるのは白という色のみ。

 いや、白ではなく光。俺のいる世界は光り輝いていた。


「はは、なるほど。最期にはきっと幸福だったか……」


 俺は笑う。

 自らの幸運に感謝する。

 その後、改めて目を見開いて前方を見た。


「ようこそお越しくださいました。弘明様」


 そこにいたのは女神。言葉では形容できないほどの美貌を持った存在。

 女神は世界と同じように光り輝いていた。


「会いたかったよ、女神様」


 俺の言葉を聞いて女神は微笑む。美しかった。


「あなたの願いをお聞かせください。あなたはどんな世界に行きたいですか?」


 その言葉を待っていた。答えはもう決まっている。 

 

 涼真は、俺のやりたいようにしろ、と言ってくれた。

 美弥は、最期に俺ではない人物を選んだ。俺に負担をかけなかった。

 美玖は、俺を置いて先に逝った。優しい嘘を俺についた。


 さっきさんざん悩んだんだ。色々な選択肢の中から一つを選びだしたんだ。

 なら、また思い悩む必要はない。後悔はしない。ちゃんと考えた結果だ。

 大きく息を吸い込む。

 言葉を吐き出した。


「―――――――—」


 女神はまた微笑んだ。美しかった。

 俺の体が光に包まれていく。

 俺も微笑み、初めて安堵のため息をついた。


***


 目を開くと、そこは西洋風の建物が立ち並ぶ世界だった。

 周囲を見回してとある人物を探す。

 その人はすぐに見つかった。

 以前会った時と変わらず、全体的に白色の服を着ている少女。その少女は腰まである茶色がかった髪を揺らしながら俺の方を見た。

 優しそうな印象を与えるその顔は笑っている。


 俺は一歩を踏み出した。その少女と話すために。


 きっと、また会える――



 

 




 

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