私の大切な人 中編

 家に帰ると通知が増えていた。

 涼真からだった。

 一瞬、目を疑ったが、すぐに時間差で送っていたのだと気づいた。おそらく自分が消える時間を既に予想していて、その数分後にメッセージを送るように設定していたのだ。


『拝啓、高山弘明様へ。

 どうも、涼真です。今は家にいる頃か? それともまだ公園で佇んでんだろうか? もう俺にはきっと知ることはできないんだろけど、予想としては前者だ。どうだ当たってるか?』


 当たってるよ、と消え入りそうな声でつぶやく。そのまま続きを読んだ。


『遺書、を書いているみたいなもんなんだろうけど、特に何も決めてなかったからだらだらと書いてるよ。こういうのってどうやって終わらせるんだっけ? まあ、どう終わらしたってお前なら許してくれるだろ。お前はそういう奴だ』


 スマホをスクロールする手に水滴が当たる。柄にもなく泣いているのだ、と理解した。だが、俺は涙をふくことなくスクロールし続ける。一刻も早く先が見たかったのだ。


『そして、俺はそんなお前にずっと甘えてきたんだろうな。今も、こんな愚痴みたいなメッセージを送ったとしてもお前なら受け入れてくれると確信している。本当にダメな奴だよ。すまないと思っている。けど、このまま書いていくよ。最後のメッセージになるからな。出来れば全文読んでくれよ? 読んでくれなかったら寂しいからな。と言っても書くことなんてほとんどないから、次の言葉で最後にするよ。』


 本当に自分勝手な奴だ。それでも、こんな自分勝手な奴とずっと友達をやってきていたんだ。最期の言葉ぐらいは聞いてやろう。

 いいや、こんな偉そうになれる権利は俺にはないな。

 聞かせてくれ、最期の言葉を。


『じゃあ、目を見開いて読めよ? 私、勝間涼真かつまりょうまは先に逝く。出来るだけそこに留まってから追いついてこい。もちろんお前が幸福に恵まれたのなら後悔しない選択をしろよ? 俺の事なんて気にしてくれなくていい。ああ、でも記憶の片隅ぐらいには置いといてくれないと泣いちゃうからな』


 その文章の後、少し空白があった。改行がしてあった。

 その言葉を目立たせたかったのだろう。


『今まで楽しかったよ、弘明。すまない、先に逝かせてもらう』


 スマホの液晶の解像度がだんだんと悪くなっていく。

 使えないスマホだ。割ってやろうかと思った。

 液晶はゆがんでほとんど見えなかったけれど、俺は何度もその文章を読みなおした。


 ***


 その数日後、美弥が消えた。

 生まれて初めて自殺しようかと思った。

 俺がいつも通り、美弥が作った朝食を食べてテレビで流れる異世界転移についてのニュースを見ていたら、いつもとは違い、美弥が外出をしてくると言って家から出て行った。

 あの時、確かに夜には戻ってくると言っていたのだ、俺はその言葉を信じていたんだ。きっと踊るようにして料理を作っていたのは機嫌が良かったからじゃなかったんだろう。幻覚が見えていてきちんと立つことができなかったんだ。


 また、置いて行かれた。

 その事実だけが重く俺にのしかかる。

 幻覚は未だに見えない。すべてが幻覚だったらいいのに。なんて現実逃避をしてしまうぐらいには精神的に参ってしまっていた。


 リビングのソファーに寝転がる。

 天井についている照明は光っていなかった。点けるのを忘れていたことに初めて気づいた。

 そこまで疲弊してしまっていたのか、と自分の状況を整理する。ゆっくりと目を閉じて頭を落ち着かせた。

 冷静になってきたところで近くにあったスマホを手に取る。そして、電源をつけた。

 一番上には美弥からのメッセージが表示されている。

 何のあてもなく下にスクロールしていき、一人のメッセージ欄が見えたところでスクロールをやめた。

 表示されていた文字は『美玖みく』。

 そういえば、涼真からの伝言も伝えていなかった。

 会いたい。切実に思った。きっと会えば何か変わるはずだ。

 俺は何故か確信していた。迷うことなく、美玖。俺の彼女にメッセージを送った。

 

『会いたい。今日、会えないだろうか?』

 

 返事はすぐに返ってきた。


『分かった。どこが良い?』


 どこにしようか。思い立ってすぐに連絡をしたので場所や時間は一切考えていなかった。けれど、すぐに、決める。一刻も早く会わなければいけない。会わなければ俺はどうにかなってしまう。


『学校はどうだ?』


『了解、すぐ行く』

 

 そのメッセージを見て、俺も急いで支度を始めた。


 一時間後、俺が指定した場所。俺と美玖が通っている学校に着いた。

 指定した時刻より早く来たので美玖はいない、と思っていた。

 しかし、俺の予想に反して美玖は学校にすでに着いており、正門から少し離れたベンチに座ってこちらに手を振っている。

 腰まである茶色がかった髪に優しそうな印象を与える顔。そして、全体的に白色の服を着ている美玖はいつも通り、笑顔で俺を迎えてくれた。


「こんばんは、弘明君。こんな時間に会いたいなんてどうかしたの?」


「……妹の美弥が消えた。今、俺は精神的にやばい状況にあるんだ。何か拠り所が欲しかった。ごめんな、いきなり呼び出して」


「ううん、別にいいよ。妹が消えるなんて災難だったね。私もちょっと悩んでて、よかったら聞いてくれない?」


 美玖は首を横に振って、ベンチの空いているスペースを指さす。

 座れば、という提案であることは言葉なんてなくても分かる。断る理由もないのでベンチの空いているスペースに腰を掛けた。


「悩んでることって何?」


「うーん、色々あるんだよね。何から話そうかなぁ……。良いことと悪いことの二つがあるって言ったらどっちを聞きたい?」


 悩んでいるのに良いこと、というのはどういう事だろうか、なんて不謹慎なことを思いながら答えを考える。

 今は悪いことは聞きたくない気分だった。悪いことばかりが周囲に起きていて、さらに美玖からも悪いことを聞かされるなんて考えるだけで嫌だった。


「良いことの方を聞かせてくれよ」


 美玖は大きく頷いて、話し始めた。


「良いことの方はね。大学の推薦が来てることなの。でもね、私達っていずれ消える存在でしょ? というか、近い未来に消えてしまう存在。なのに、大学の推薦が来るのよ。行ってみたいとは思うんだけどね。私達には時間がなさすぎる」


「……そうだな。俺達には時間がない」


 本当にそうなのだろうか? 置いて行かれて、置いていかれて、すでに俺は自分が消えれるのかどうかすら疑問に思ってしまっている。

 美玖も俺を置いて行くのだろうか。いや、考えても仕方のないことだ。


「大学の方は美玖のやりたいようにすればいいさ。良い方のことはそれで終わりか?」


「そうだね。良い方はそれで終わりだよ。大学どうしようかなぁ……。異世界に転移しても行けるのかな」


「どうだろうな。そもそもどんな異世界に行くかどうかだと思うぞ。異世界がこの元の世界っていう場合もある」


「だね。私はこの世界は嫌いじゃないけど、戻ってきたくはないな。行けるのだとしたら別の世界に行ってみたいよ」


 美玖はベンチの背もたれに思い切り背中を預けてそのまま首を傾け、空を見上げた。そして、右手を空に向かって伸ばす。

 空は黒く、まばらな星が光り輝いていた。

 星は人の数ほどあるという話を聞いたことがあるが、人が消えるとともに星も消えているのだろうか、そんなくだらないことを考える。

 美玖がなぜ、そんな行動をしているのかは分からなかったが、俺も真似をして空を見上げながら右手を伸ばした。


「悪い方の話をするね」


 美玖は態勢を変えず、話を始めた。


「ああ、頼む」


「私さ、幻覚が見えるんだ」


 息が止まった。

 まさかそんな言葉を聞かされるとは思わなかった。

 慌てて咳をする。


「……いつからだ?」


「そんなに慌てないでよ、……今日の昼からだね」


 今日の昼、そこからならまだ今日一日は問題ないはずだ。

 

「そっか……。お前にも見えるのか、幻覚が」


 俺には全く見えない。いや、もしかしたらもう見えているのかもしれない。そのはずだ。俺には幻覚が見えているはずなんだ。

 俺は洗脳のように念じながら呟いた。


「そうだね、見えちゃうんだ。今も空に一人の魔法使いが飛んでるよ。弘明君には見えないんでしょ?」


「……ああ、見えないよ」

 

 魔法使い、か。見えないな。どこにもそんなおかしな奴はいない。いっそ、美玖に見えている魔法使いが俺に魔法をかけてくれればいいのに、なんて夢みたいなことを考えた。

 

「ごめんね」


 俺は思考を強制的に中断し、真横を見る。そして、目を疑った。

 そこには光輝く美玖がいた。


「なんでだ……? 今日の昼から幻覚が見え始めたんだろ……? なら、まだ消えないはずだ」


 俺は祈るように話しかける。美玖は涙を流しながら、無理やり微笑んで俺に語りかけた。


「……ごめんね、あれは嘘。本当はもっと前から見えてたんだ。でも、弘明君を絶望させたくなくて」


「なあ、やめてくれよ……! なんで、お前も俺を置いて行くんだ……! ちょっと待ってくれよ!」


 空に向けていた右手を全力で美玖の方に伸ばした。


「本当に――ごめんね――」


 しかし、俺がつかんだのは虚空だった。

 そこに美玖はいなかった。




 


 

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