私の大切な人

壱足壱 葉弐

私の大切な人

私の大切な人 前編

 テレビにニュースが映っている。

 報道している内容はいつもと同じ。けれど、何故か見てしまう。

 何か変化はないだろうか? とひそかに期待しているのだ。


 流れているニュースは「世界から人が消えている件について」。

 一か月前から問題になっている現象だ。現象が起こっていたのは実は一年前かららしいのだが、騒がれ始めたのはほんの一か月前。

 今日も、行方不明になった人物のリストが流れている。

 

「ねえ、お兄ちゃん。今日の朝ごはんいつものでいい?」


 キッチンにいる妹。高山美弥たかやまみやが俺に言う。

 美弥は踊るようにして料理を作っていた。機嫌が良いのだろう。

 現在、この家に住んでいるのは俺と美弥の二人だ。理由は簡単。両親は消えたからだ。二週間前に父さんが寝ている間に消えていて、一週間前に夕飯中に母さんが消えた。

 

「ああ、それでいい」


 俺は返事をする。オッケー、と美弥から返事があった。

 その言葉を聞いてまた思考を始める。

 おそらく美弥も俺も長くはない。


 世界の人口は八十億から、もう十億程度になっているらしい。

 八人のグループがあれば一人しかもうこの世界には残っていないというわけだ。

 一か月前から学校の登校義務もなくなり家で暇をつぶすことしかすることがなくなっている。

 しかし、古くからの付き合いがある友人とはまだ連絡を取っており、今日も一人から連絡が来ていた。


『幻覚が見えるようになってきたよ。そろそろやばいかもな。今日会えないか?』


 涼真りょうまからの連絡だ。

 連絡とリンクしているかのようにテレビのニュースでは消える前兆についていつものように説明していた。


『今回は消えた後、還ってきた軽井沢鳴海かるいざわなるみさんにゲストとして来てもらいました。よろしくお願いします。軽井沢さん』


『はい、どうも軽井沢です。私は五日前に消えました。しかし、今ここにいます。皆さん不思議に思うでしょう? ただ理由は簡単なんですよ。まず、消える理由について説明していきましょう。これは皆さんも知っていると思われますが、異世界に転移することが理由です』


 軽井沢という女はもう既に耳にたこができるほど聞いた説明を言う。俺はそんな説明に興味はなかった。けれど、異世界に転移したはずの軽井沢がこの世界にいる理由は気になった。


「お兄ちゃん、ご飯出来たよー。冷めないうちに食べてね」


 机にいつもの朝ごはんが置かれる。

 パンと、ベーコンエッグ、それとサラダ。なんとも洋風な朝食ではあるが、妹はまだ中学生なのだ。

 和食より明らかに簡単に済む洋食を選ぶのは仕方のないことだといえる。それにわざわざ俺のために作ってくれているのだ。文句を言う気は毛頭ない。

 俺はパンをかじりながらニュースの続きを見ていた。


『私は幻覚を見始めた翌日、体全体が光の粒子に包まれて意識を失いました。これがいわゆる異世界転移というものです。しかし、すぐには異世界に転移しませんでした』


『というと?』


 ニュースキャスターが軽井沢に問う。

 一息置かなくて良いからさっさと話せ。と俺は思ったがここで文句を言ったとしても画面の向こうの二人には伝わらない。

 おとなしく軽井沢の言葉を待った。


『神の間、とその時は説明されました。そこは見渡す限り真っ白の世界で、私の目の前には大きな大きな女神さまがいました。その女神の髪は長く金色で頭上には光っている輪がついていました。そして、その女神は私を見つめて言ったのです。「あなたはどんな世界に行きたいですか?」って』


『何と答えたんですか?』


『私は判断を誤ってしまったんですよ。今でも後悔しています。いいえ、きっと永遠に後悔するんでしょうね。これを聞いている皆様はこのようなチャンスがあればちゃんと考えた方が良いですよ。きっと後悔します』

 

 前置きをしてから軽井沢は答えを言う。


『私はね、「元の世界に戻りたいです」と答えたんですよ。だから、今ここにいます』


『それはなぜ失敗だったのですか?』


『理解できませんか? 簡単な話ですよ。今はまだいいですけれど、残念ながらこの世界からは人がいなくなっている。おそらく何人かはこの世界に戻ってくるでしょう。けれど、昔のような活気はもう取り戻せない。数人で繁栄できるほど人間はもう強靭な動物じゃないんですよ。すぐに衰退して滅びます』


 それが現実ですよ。もう希望なんてない。

 軽井沢は淡々と言う。感情はこもっておらずそのことが一層、彼女が絶望していることを表していた。

 ニュースキャスターは言葉を失い、二の句が継げなくなっていた。

 軽井沢は見かねて別の話題を振る。


『ただ、もう一つ覚えておいてくださいね。あなたの目の前に確実に女神が現れるとは限りません。私は運が良かったのですよ。私以外の還ってきた人の中に女神を見たという人はいません。だからこそ、もし会えたら絶対に間違えないでください。私のようにならないために』


 大人だな、と俺は思った。

 自分自身で絶望の未来しか待っていないことに気づきながらも、そのことを受け入れ、他人を道連れにするでもなくただ忠告をする。

 子供にはできない芸当である。

 少なくとも俺にはできないだろう。俺はそんなに大人じゃない。

 ニュースのゲストに呼ばれても出ることなんてしないはずだ。きっと目の前にいるニュースキャスターを殴り飛ばすんだ。

 人の不幸がそんなに嬉しいか、って叫びながら。


「ねえ、お兄ちゃん。今日はどこかに出かけるの?」


 美弥の言葉で頭が現実に引き戻される。

 ああ、そういえばそうだった。俺はとある場所に行こうとしていたんだった。

 俺は思い出し、涼真に『どこがいい?』と返事をした。


「ああ、涼真から連絡があってな。あいつも長くないらしい」


 俺の言葉を聞いて美弥は少し顔を暗くする。しかし、すぐに笑顔を取り戻した。両親がいなくなったことでもう既にかなりの精神力は持ち合わせている。

 それが良いことなのかは俺には分らなかったが、少なくとも今だけはそのことに感謝した。


「そっか、残念だね。幻覚が見えたの?」


「らしい。だから、今日は会いに行くよ。明日にはもう会えなくなってるかもしれないからな」


 まだ、会えるうちに別れは済ませておくんだ。そうしなくちゃ、きっと後悔してしまう。

 

「じゃあ、昼食は各自で済ますでオッケー?」


「オッケー」


 俺は親指を立ててグッドサインを出した。


 ***


 涼真から指定された場所は公園だった。

 子供のころによく遊んだ公園。

 あの頃はまだまだ純粋で、確か十人以上の友達と追いかけっこをして遊んだ記憶がある。他にもたくさんの遊びを皆でした。

 しかし、もう既にその半数以上はこの世界に存在しない。もう会う事すら叶わないのだ。

 

 はあ、と俺はため息をつく。

 依然として俺は消える予兆が見えない。幻覚を見ることが異世界転移の予兆らしい。だから、涼真は俺を呼んだ。幻覚が見えてしまった涼真に未来はない。余命は一日前後。

 俺だって消えたいわけじゃない。それでも、周囲の友人が次々と消えていくのをただ見送っていると、「置いていかないでくれ」、「俺も連れて行ってくれ」と思わずにはいられない。

 はあ、ともう一度ため息をついた。


「どうした? 俺がいなくなるのがそんなに寂しいか?」


 顔を上げると涼真がいた。


「ああ……。そうだな。寂しいよ。お前と初めて会ったのいつだっけ?」


 俺は涼真にゆっくりと問いかけた。涼真は答える前に近くにあったブランコに座ってこぎはじめる。


「お前も遊べよ、子供の時みたいにさ」


 涼真は隣にあるブランコを指して言う。

 ブランコに座ると、ギィと金属がこすれる音がした。

 久しぶりに聞いたな。子供のころはよく靴を飛ばして遊んでいたような気がする。一周回れるんじゃないか、とか馬鹿なことを考えて試したこともあったっけ。

 

「なあ、弘明ひろあき。話があるんだ」


 涼真は俺の名前を呼んだ。そして、改めて話題を提示した。


「ああ、なんだ?」


「俺さ、もう長くないんだよ。凄く怖いんだ。明日消えるかもしれない。今までは送り出すのが怖かったのに、いざ送り出される側になってみるとこっちも怖いもんだな」


 今にも泣きだしそうだよ。涼真は言う。

 泣けばいいじゃないか。俺は思う。

 けれど、何も考えずにそのことを言うのはあまりにも無責任だ。

 俺はまだ涼真の立ち位置に立ったことがない。明日死ぬかもしれない。消えるかもしれない。という危険にさらされたことがない。

 だから、本質的には涼真の悩みは理解できない。

 そんな俺が、無責任な言葉をかける権利があるのだろうか?

 いや、違うな。それを決めるのは俺じゃない。少なくとも涼真は最後の話し相手に俺を選んでくれたんだ。

 なら、期待には応えるべきだ。


「泣けばいいじゃないか。誰も止めやしないさ。なんなら俺が抱きしめてやろうか?」


「はは、男には抱きしめられたくないな。でも、弘明に抱きしめられるのは悪くないかな」


「ツンデレかよ。俺も男のツンデレは勘弁だな」


 二人で一緒になって笑いあう。子供のころに戻ったみたいですごくうれしかった。もちろん今も子供とみなされる年齢ではあるけども。


「この公園。ここが弘明と初めて会った場所だよ。確か幼稚園児だったな。あの時、俺も弘明も自転車の練習をしてたんだ。弘明なんて三輪車に乗ってんのにこけるんだからな。昔から変わんないよな。弘明は」


「そんなところは涼真も子供のころから変わってないよな。あの時は美玖みくもいたっけ。ああ、そうだ。美玖も呼ぼうか?」


 俺の提案に涼真は首を横に振ってこたえた。

 

「やだよ。消える間際までお前らカップルのイチャイチャを見せつけられたら不愉快だ。まあ、でも。美玖には伝言を頼めるか?」


「ああ、なんだ? 言ってみろ」


「さようなら、今までありがとう。って伝えといてくれ。さて、そろそろ帰るか。俺の存在はもう限界だろう」


 そう言いながら立ち上がった涼真はふらついていた。

 限界という言葉通り、幻覚がひどいことになっているのだろう。まっすぐ歩けない程度となると本当にひどい状態だ。最期まで会話をしていたいという気持ちはあったが、涼真の意見を最優先すべきだと考え、提案に乗った。

 涼真は俺の方を振り返って笑いながら見る。瞳は潤んでいて、体も震えていた。


「また会えたら、酒でも飲もうぜ。きっとそん時は成人してるはずだからさ」


 さっさと去ろう。

 そう思って俺は踵を返して涼真を視界から消した。背後から涼真の声が聞こえる。


「ありがとな、弘明。じゃあ、……また」


 その声は震えていて、鼻声で、聞き取りづらいことこの上なかった。普通の状況であったなら、文句の一つでも言っていたことだろう。しかし、そんなこと言う気にはなれなかった。

 その聞き取りづらくて文句を言いたくなるような声で発された言葉が心に響いているからだ。


 俺は振り返る。

 そこには誰もいなかった。

 公園から出る直前、今までで一番大きくため息をついた。

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