ジョゼの店 第九章 幻想の館 <前編>

 遠くの山々から狼の遠吠えが、フォートレストの闇夜に響き渡った。


 ヴァグダッシュの酒場から、ほろ酔いで満月を眺めつつ帰路に着く巨漢の男。自称魔法使いエダ・マサトシは、上機嫌で夜の街並みを独り歩いていた。




 周知の事実だが、彼は魔法が使えない。


 それでも彼が自称魔法使いと言い張るには理由があった。




 ――浪漫を。そして夢と希望を。




 筋肉隆々な風貌からは想像も出来ない手先の器用さ。そこから繰り出される手品を見破れる者はそうそういない。


 カードやコインを、大きな手の平から自在に消したり出したりする様子は、正に魔法のように見えた。


 今宵、彼はヴァグダッシュの酒場にて主人公であった。


 

「あのクソマッチョの魔法にはタネがある。しかし、ここにいる者には見破れはしますまい」


 このジョゼの一言で酒場は大変盛り上がった。


 エダは惜しみなく技を繰り出し、周囲の者をあざむく。彼を囲むように酒場の客達は凝視するが、誰も見破れない。


 どの角度から見ても彼の手品は完璧であった。


 纏うローブを大袈裟になびかせ、巨大な体を激しく動かし視線を誘導する技術。はったりを利かせた台詞の数々。ジョゼの言う通り見破れる者はいなかった。



 店の隅にあるカウンター席では、その光景を冷静に見守る三人がいた。

 料理長のアターゴ。葬儀屋のアンネクライス。そして、ハイエルフのワリステンである。


「すいやせん。また騒がしくなってしまって」

 アターゴは熊のような大柄な体を小さくしながらハイエルフに謝罪するが、答えたのはアンネクライスだった。


「いつもの事じゃねぇか。なっ? アネゴ」

 ハイエルフにこんな雑なしゃべり方で接するのは、フォートレストでも彼女だけであろう。


「……如何にも。いつものこと」

 ワリステンはグラスを傾け呟いた。



 エダ・マサトシが主役であること以外は、いつも通りの賑やかなヴァグダッシュの酒場。


 閉店まで居座っていた彼は、整然とした石畳の街道を歩いていた。月明かりを頼りに家路を辿る。



 その道すがら事件は起きた。



 フォートレスト北部区画へ真っ直ぐ続く大きな街道。小さな石造りの住宅が密集する区画だ。深夜独特の静けさの中、エダの足音だけが響いていた。


 ほろ酔いとは言え、巨漢の男は超一流の戦士だ。更にフォートレストは彼の庭同然。すべての抜け道、すべての建物。その坊主頭の中には精密な地図がある。


 だが今、彼の目の前にある屋敷は見たことがない建物だった。


 街灯もなく、隣接する住宅から漏れる明かりもない。


 月の光だけが屋敷を照らし出していた。


 周囲の建物は小さく、ところ狭しと隙間無く建っているのに対し、その見たことのない建物は庭付きの屋敷。エダの視界に見える石造りの建物とは、あきらかに違う木造建築であった。


 エダの脳裏にはロッソの存在がチラつく。


 それは当然であろう。フォートレストの中心地に、彼の知らない建造物があったら、まさに魔法としか考えられない。


 その木造りの見慣れない住宅は傷んでいて、ずっと昔からあったような佇まいだった。




 警戒心が高まり、血液が熱く激流のように流れるのを感じた。


 汗が噴き出し、背筋にも流れる。

 生ぬるい夜風が全身を撫でると同時に寒気を覚えた。


「これはヤバイかもな」


 滅多に発さない真面目な声色で呟く。



 一刻も早くジョゼに連絡をしようと考える。しかし、エダは目の前で起きた事象に対し好奇心を押さえることが出来ない。




 なぜならば。




 ゆっくりと開いた扉の奥。

 

 そこには、ヨーゼフがいたからだ。



 それはエダの記憶している彼よりも若く、優しく手招きしていた。



 ――続く

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