叙事詩 第二幕 ヨーゼフの思惑(前編)

 まだ薄暗い森には全体に白くもやがかかり、鳥達の声は無く、控えめに虫達の音色が木霊していた。遠くの山々のきわは、微かに白み始めている。


 ロッソが現れてから二日が経った。


 気まぐれな豪雨はあるものの、名も無き土地は平和そのものである。


 ヨーゼフが一番近い集落へ何か買出しに行きたいと言うので、アリステラは数頭の野生の馬を手懐てなずけた。

 警戒心の強い彼等に何食わぬ素振りで近付き、優しく撫で、囁く。


「このヨーゼフという人間は私の伴侶だ。どうか、乗せて行ってはもらえないだろうか? 大切な人なんだ」


 すると群れの中で体付きの良い馬が三頭、ヨーゼフの前でお辞儀した。


「その子達が人里まで連れて行ってくれるみたい」

 アリステラは笑顔で言った。


「ありがとう。帰りに荷物を運ぶことになるが、構わないか?」

 馬はひとついななくと腰を下ろし、乗るように催促する。


 アリステラに確認すると彼女は頷いた。


 鞍を掛け、荷物を運ぶ籠を残りの二頭にも提げる。


 朝露がきらめく中、彼等は人里へ下りた。





 そのような経緯いきさつがあり、アリステラは朝から一人で過ごしている。いつもなら、動植物と対話をしたり精霊達とたわむれるのだが、今日はやる事がしっかりあった。


 ヨーゼフがまとめた文書を、確認してほしいと頼まれていたのだ。

 彼は「これまでにあった出来事の推測と、これからの予定のようなもの」と言っていた。人里への買出しというのも、きっと関係しているのだろう。


 アリステラはいつもの安楽椅子をテントの中へ移動させ、ヨーゼフの机の横に置いた。茶葉の小瓶を取り出し、銀の小鍋に水を汲み火にかける。机の上は本や紙が山積みにされていたが、その文書は一番上に目立つように置いてあった。


 その文書の束を手にとり、深く安楽椅子に腰掛ける。




 文章の書き出しは、こう始まっている。


 ―――愛するアリステラへ―――


「ふふ、これじゃ恋文ね」

 どうせ内容は堅苦しいのでしょうけど。彼女は含み笑いをしながら用紙をめくった。


 ――私とアリスが出会った日よりも一ヶ月前。この土地に小さな隕石が落ちた。雨風によってその跡は既に目立たないものになっている。私はこの隕石の落下がアリスの魔法に作用していると考えていた。アリスはゴーレムを召喚しようとして失敗したと言っていたな。それは失敗ではない。ガイア以外の鉱物でゴーレムを生成した結果、アリスに敵意を持つ存在のゴーレムに生成された。


「そうだった。風の精霊を使ってゴーレムを倒したんだった。その後、急激な立ち眩みが襲ってヨーゼフに介抱されたんだ……」


 ――173種の聖精霊せいせいれいはガイアが生み出した自然な存在だ。女性のアリスは173種の聖精霊からなる魔女。それに対し男性の魔法使いは173種以外の未知の精霊が関与していると私は考えている。お腹にいるジョゼに隕石の落下によってもたされた、未知の精霊が宿っているのは間違いないだろう。そして、ロッソも未確認の精霊を含んで生まれた存在だと推測する。


「……あの時。悪戯いたずらにゴーレムを作ったわけじゃないんだ。地面の奥深くから声が聞こえて……形に成りたがっている声に応えただけ……。初めての召喚魔法だったから失敗だと思い込んでいた」


 ――男性の魔法使いの伝承や記録は少ない。私もロッソが初めて見た魔法使いだった。それに外見は中性的容姿で私には判断出来なかった。過去の伝承や記録にも多く魔女が記述されているが、勝手に魔女だと解釈されたものが多いのかも知れない。


「私も精霊達が教えてくれなかったら分からなかった……」


 ―――今、突発的な豪雨が頻繁に起きている理由についてだが、二つの聖精霊が関係している。我ら魔道士が呼ぶところの『水の精』は、ハィドォゥジェンとザウアーシュトッフという聖精霊とが交わったとき発生するのだ。ザウアーシュトッフは空気の中に存在し、どこにでもいる精霊だが、最も活発に存在する場所は大地の深部だ。隕石落下後に山岳地帯のどこかが咆哮をあげたのだろう。それによってザウアーシュトッフが大量に出て来たのではないだろうか。これもアリスがゴーレムを召喚させようとした結果なのかも知れない。


「また、新しい名前が……えっと、ザウアーシュトッフ。多分、この子達のことね。よく植物から出てきて、動物や人間の呼吸で吸われていく子達」


 アリステラは人差し指を空中にくるくると回し、ザウアーシュトッフ達を撫でた。


「あなた達はハィドォゥジェンと仲良しだもんね」



 ――ここからは、これからの話をする。私はアリスを守る為、この人里離れた土地を開拓しようと思う。世間にうといアリスは知らないかも知れないが今、人間達は争い続けている。もう百年以上も争い続け、魔女であるアリスが安心して暮らせる場所は少ない。ならば、山岳に囲まれ鬱葱うっそうとしたこの土地に選び抜いた人材を集い、小さな集落を作ろうと思うのだ。魔法使いも魔女も利用しようとしない者達。人間に限らず、あらゆる種族が混合し暮らす集落を。アリスとジョゼの為に。



「……知ってるよ。人が争ってる事ぐらい」


 読みかけの文書の束を膝元に下ろし、テントの出入り口から空を見上げた。陽射しが木々の隙間から降り注ぎ深緑の大地を照らす。


 アリステラはお腹を優しくさすり、遠くを見つめた。



「ジョゼ……。これからにぎやかになりそうだよ」




 ――後編に続く

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