ジョゼの店 第八章 思い出の剣(後編)
ワリステン・グラナード・エンドルフィアは「英雄の剣」を前にしていた。
小銭が入ったどんぶりに、銅貨を投げ入れる。
そして、フードを勢いよく捲くると、
静まり返る店内はある種の緊張感が走っていた。
それは剣が抜かれるのではという期待。または魔法を見られるという好奇心。はたまた、ハイエルフ独特の神聖な美しさ。それらが混ざり合った空気が店内を支配した。
《汝ら精霊に命じる……。我の声に耳を傾けよ》
彼女がそう発し終わると同時に、手元が淡く緑色に輝いた。
《この剣を抜く力を貸せ》
今度は鮮やかな光が手から剣、そして岩石全体を覆う。
腕を振り上げると、台座ごと持ち上がった。
仁王立ちで、剣に岩が突き刺さった状態のまま腕を高く挙げるワリステン。この時、彼女の魔力はある魔力と共鳴していた。
小さく、本当に小さくワリステンは呟く。
「温かい……懐かしいです。……ヨーゼフ様」
結局、ワリステンも岩から剣を引き抜く事は出来なかった。
彼女が店内に残した台詞「無理。これはそういう物じゃない」は新たな挑戦者を遠ざけた。
ハイエルフでさえ選ばれし者に成れない。これに客達は絶望し、ちびちびと酒を酌み交わし始めた。ただ一人、エダだけが余韻に酔いしれていたのは言うまでもない。
ワリステンはカウンター席に戻ると、珍しくアターゴに自分から声を掛けた。
「アターゴ様。思い出しました。貴方様が作って下さる料理の味」
「え? は、はい。味でございやすか?」
アターゴにとっては脈絡もない振りであった。
「私の古く……遠い昔の、想い人が作ってくれた味にそっくりなのです」
ごく自然な笑み。高貴な美しさではなく、少女のように無邪気な表情であった。動揺するアターゴ。
あの頃のワリステンは、果実に勝る食べ物はないと思っていた。
風に乗り世界を旅していた頃の話だ。フォートレスト周辺の森によく似た、人里から離れた大自然の中でヨーゼフに出会った。
ハイエルフの力を使って探しても、その辺りにはそもそも果実が実っている地帯はなかった。新芽で柔らかい葉や草で
出会ってすぐにワリステンが空腹であると察したヨーゼフは、彼女の為に料理を作り始めた。
人間が作る食べ物はハイエルフにとって命を奪いかねない。警戒するワリステンにヨーゼフは目の前で、一つ一つ手順を説明しながら調理した。
そんな思い出話をアターゴとアンネクライスに披露する。
今宵のハイエルフは上機嫌だ。
「そういやぁ〜、妹のアンナがやってる店。たしかぁ、ばぁちゃんが開業するまでに、ヨーゼフっていう偉大な魔道士に随分と助言してもらったぁ〜とかぁ言ってたようなぁ~」
アンネクライスは腕を組み、酔った頭で更に何か思い出そうとしている。
「そんでぇ、ばぁちゃんはヨーゼフにホの字だったぁ〜とかぁ」
それを聞いた瞬間、ワリステンの笑顔が僅かに引きつった。その変化に気付いたのはアターゴだけであった。そして、彼の表情が曇ったのを見た者は……残念ながらいなかった。
カウンター席は恋話で盛り上がっていたのに対し、ジョゼとジョージのテーブルは毛色の違う盛り上がりをしていた。
二人に注文の料理を通すヴァグダッシュ。
「いやぁ、ワリステンの姐御が挑戦されるとは思いもしなかったですよ~」
いつもの調子で更に続ける。
「しかし、高貴なハイエルフ様でも抜けないとなると、選ばれし者なんて本当にいるんですかねぇ」
黙って食事を開始するジョゼ。代わりに返したのは少し不機嫌な様子のジョージだった。
「いませんよ。それに英雄の力などは手に入りません」
「聖ジョージは何か秘密を知っている御様子だ」
わざわざ食べ始めた手を止め、ジョゼはわざとらしく大袈裟に言った。
「何? 何? 何を知ってるのさぁ? 教えて下さいよぉ」
人懐っこい
「勿論、話します。ですから、やはりあんな人を騙すような余興はお辞め下さい」
「やめるやめる! すぐやめるから教えてぇ〜」
調子の良いヴァグダッシュ。
「あの剣と岩は一つの素材で出来ているんです」
真剣な顔つきで話し始めるジョージ。
ヴァグダッシュは衝撃の事実に面食らっている。
「え? それは……どういう事?」
「私の知る限り最も硬い鉱石、ウルツサイトの巨大な塊を、剣と岩の形に彫刻したと言えば分かり易いですか?」
唖然とするヴァグダッシュ。代わって話し出したのはジョゼだった。
「古典的なペテンだな。だが、ウルツサイトは超高温で処理すれば、鋼のような色になる。お
ジョゼは冷静な声色で解説した。ジョージはそれに頷き、続けた。
「それは弱い者が挫けない為に作られた希望の剣だった。戦争で虐げられる者、その者達が何もかもを諦めてしまわないために。弱い者が抗う為の希望。力を持っていれば……そのカを鍛える為にも、抜けない剣が必要だったのだと、そう伝え聞いています」
ジョージはヨーゼフにこの話を直接聞いていたが、それは伏せて語っている。彼はジョゼの育ての父親がヨーゼフである事に気付いていた。だからこそ、伏せたのだろう。
本当は剣など無い方が良いのだ。力を求めればそれもまた争いの種となる。それは分かっていた。しかしあの戦争の最中では、そうする事が最善であろうと。希望は必要であるとヨーゼフは言った。
抜けない剣は今も、誰かの希望になるのであろうか。ヨーゼフの思いは誰かに伝わっていると信じたい。
明くる日、ヴァクダッシュ酒場での「英雄の剣」を使った余興は行われなかった。代わりに亭主の返金作業が始まる。
事情を知った客達は本当は抜けない剣であった事、力が手に入らない事実にがっかりしていたが、皆、一様に「楽しかった」「面白かった」と語った。
挑戦料も返って来て、そのぶん大いに食べ、飲んで盛り上がった。
当のヴァグダッシュとしては、懐も痛めず集客と返金による好感度アップが出来て満足である。
だから、ペテンなのだ、とジョゼは確かに言っていた。
――ジョゼの店 第八章 思い出の剣 完
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