叙事詩 第一幕 宿敵 <後編>

 ヨーゼフ・クレイトン・フランクリンは警戒心と同時に、この奇跡に感動していた。


 魔法使いや魔女に出会う事は非常に稀な出来事。ほとんどの人達は出会う事なく人生を終えるであろう。


 今、目の前に二人もがいる。


 アリステラと同じくらいの長い髪、くるぶしまで覆うローブ、眼球の色、すべて紅に染まった者の名前はロッソ。


 精霊は色々な話をしてくれる。隠し事や嘘などは存在しない。「この人は誰?」と問いかければ、傍にいた精霊が答えてくれる。その精霊が知っていればという制限は付くものの大抵の答えは望めるだろう。


 アリステラとロッソはそうやって互いの名を知ったのだ。


 一体どんな会話をするのだろう。という好奇心。反面、アリステラには感じなかった禍々しい雰囲気は何だろうか。



 ロッソはアリステラの目の前まで来ると立ち止まり、彼女を見下ろした。


『子供を宿しているのか。なるほど……なるほどな……。ハィドォゥジェンが俺の命令をまったく聞かないわけだ』


 空を覆う真っ黒な雲は、大きく唸り声を上げ雷鳴を轟かせた。


「ハィドォゥジェン?」


 アリステラは尚も不思議そうに尋ねた。そして無意識に両手を腹部に当てた。


 ロッソは答える気もないのか、彼女を無表情で見つめ続ける。


 「アリス。ハィドォゥジェンとは173種の聖精霊せいせいれいの一つで、すべての水を司る存在だ」


 答えたヨーゼフにロッソが関心を示した。赤黒く濁った瞳はヨーゼフの杖を舐め回すように見た。


『ほう。人間にしてはやるではないか。聖精霊を正確に受信する魔具まぐは初めて見た。……なるほど……なるほどな」


 ロッソは片方の口角を上げ表情を歪めた。


 その瞬間、稲光と同時に大粒の雨が一斉に降り注いだ。雨粒が物凄い勢いで騒音を立てる。魔力など持たないヨーゼフでも分かった。鳴り止むことのない轟きと、打ち付ける雨音から感じる恐怖心。



 ハィドォゥジェンはロッソを拒絶している。



 そんな事があるのだろうか。魔女とは自然と調和する存在のはずだ。この世にある自然物すべてと意思疎通が可能で、共存していると思っていた。世界を構築する173種によって魔女は生まれる。正確に言えば精霊達の残留因子の集合体。拒絶されるはずなど、あってはならない。



 騒々しい雨音の中に、静かな低い地鳴りが響く。あっと言う間に地鳴りは雨音よりも大きくなった。大地も震えていた。


 木々が薙ぎ倒される音。そして大量の水が押し寄せてくる音。


 濁流が三人を洗い流そうと迫っていた。


『今回はこれで引かせてもらおうか。有益な収穫もあった事だし。アリステラ……次に会う時は、君にはいなくなってもらおう』


 ロッソはそう言うと、ゆっくりと透明になって霧散していく。身体が砂よりも小さな粒子になって消える感じだ。


「待って! あなたが連れている精霊は誰?!」

 大声で問いかけるアリステラに対しロッソは、不気味な笑みだけを残し消えた。


 迫る鉄砲水。その距離はすでに二人の目前であった。


 ヨーゼフはアリステラの前に立ちはだかり、水晶球を激しく輝かせる。内部の魔術文字が上下左右と高速で旋回し始めた。



 ―――すると、濁流はヨーゼフを避けるように割れたのだ。










 さっきまでの豪雨が嘘のように清々すがすがしい天気と空気。


 まだ湿り、掘り起こされた土の匂いと、青臭い植物の香りが微かにする。小鳥はさえずりり歌い、虫達はせっせと仕事に励んでいた。


「昔、大きな川を割った事がある。あの時は水流も激しくなかったから簡単だった。今回は上手くいって本当に良かったよ」


 大木に腰掛ていたヨーゼフは言った。隣に座るアリステラは笑顔で返す。


「ハィドォゥジェンだっけ? 水晶の中でうたっていた。ちょっと楽しそうだったよ」

「そうか、聖精霊が力を貸してくれていたのだな。実に心強い」


 そう言って水晶球を撫でるヨーゼフ。

 アリステラは小さな溜息をつくと、申し訳無さそうに話し出した。


「精霊達の名前を気にした事はなかった……。あの子、この子みたいな感じで。名前なんて無くても感じ取れるし、必要なかったから。でも、覚えられるかな。173人もいるのでしょう?」


「今まで通りで良いのでは? 無理して覚える必要はないだろう。それに聖精霊の名称は人間が勝手に名付けただけだ。彼等がそれを喜んでいるとは限らない……」


ヨーゼフは顎に手を当て、少し考えてから続けた。


「それよりアリス。ロッソに言っていた事が気になる。アリスの知らない精霊がいたのか?」


「うん。ロッソの周りにだけ。ずっと不思議だった。私の事を無視し続けていた。彼が笑った時、一斉にこっちを見たの。正直、怖かった」

 

「もしかしたら、未確認の精霊かもしれん」

「知らない精霊がいるのは構わないんだ。それよりも、あんなに敵意を剥き出しにされたのは初めてだったから……」


 ヨーゼフは立ち上がり、背伸びした。そして、アリステラの正面に屈み顔を覗き込んだ。


「さっき。ロッソの事を「彼」と言ったが、アリスから見て男だったのか?」

「えぇ、私の話を聞いてくれる精霊が教えてくれた」



「そうか……。アリス。落ち着いて聞いてくれ」

「嫌な予感しかしないんだが」


「すべて私の仮説だ。我々にとって、精霊を操れる女性を魔女とし、男性を魔法使いと言い分けている。だが私は本当のところは女性しかいないのではないだろうかと思っている。魔女は聖精霊の純粋な落とし子で、173種以外の精霊が混ざり合った存在が男性となり、魔法使いなのではないかと」


「じゃあ、ロッソの周りにいた精霊がヨーゼフの言う未確認の精霊という事なのか?」


「その可能性はある。このガイアに元々存在する聖精霊と、そうではない精霊がいると私は考えている」


「そうか。私は女性だから純粋なガイアの、聖精霊の子なのか……」

「そうなる。だが……」


 ヨーゼフは視線をアリステラの出っ張った腹部に向けた。



「ヨーゼフ、大丈夫だ。心配などしていないから」

 優しい笑顔を向けながらゆっくりとお腹を撫でるアリステラ。


「アリスは身篭った時から、男が生まれると分かっていたようだったな」

「そう。何故かそう感じた。名前がすぐに出てきた。ジョゼって呼んであげよう。って」


「不思議なものだな」


「だから大丈夫。ジョゼはロッソみたいにはならないから」

「嗚呼、アリスと私の子供だ。なる道理がない」





――叙事詩 第一幕 宿敵(後編) 完

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