ジョゼの店 第六章 恋心と雨

 この街 には掟がある。


何人なんびとたりとも自由を侵害することをゆるさず」


 誰に迷惑を掛けても構わない。

 そんな街。「フォートレスト」


 人口一万人にも満たないこの街は、移民者で構成されている。

 あらゆる文化が入り混じり、様々な人種や言語、思想が混沌とした雰囲気を漂わせる。政治犯やお尋ね者、居場所の無くなった宗教家、没落した貴族などのいわく因縁付きの者も多く暮らしている。


 事件事故に怪現象は日常茶飯事だ。




 朝靄あさもやかかる街並みに徘徊するまばらな人影。

怪しげな店が軒を連ねる裏路地の一画。道幅は狭く、大人が行き違うのがやっとの路地である。


 ある一軒の店。生活雑貨から魔術の儀式に使用する材料まで取り揃えている。その店名は「和洋わよう古今東西ここんとうざい。雑貨あるある店」

 勿論、説明するまでもなく店名を考えたのは、あの男である。通称「和今わこん」はフォートレスト住民に愛されていた。


 品揃えはすこぶる良いが店は小さく、まるで駄菓子屋を連想させる仕立てで、店員はアンナ・ヴァーミリオン独りである。つまり彼女が店長であり、経営者だ。齢25にして祖母から受け継いだ店を切り盛りしている。栗色の髪は祖母譲りであったし、長髪を簪で纏めるのも亡き祖母の面影を残している。艶良い大人の美貌を持つ彼女は、世の男達を魅了するには十分であった。しかし、アンナは独身で恋人もいない。

 数多くの常連客の一人で何でも屋を営んでいる男。祖母が開業したこの店を命名した男。そうジョゼに想いを寄せていた。


 アンナは生真面目な性格である。故に客として来店しているジョゼに想いを告げる事など出来るはずもない。店員と客の立場と言うものがあるのだ。そう自分に言い聞かせアンナは店内を隅々まで物色するジョゼを眺めていた。

 彼は新しい物に目がない。いや、新しくても古くても構わない。彼の知らない何かがそこにあれば良いのだ。未知なる探究心。それは彼の育ての父である大魔道士ヨーゼフ・クレイトン・フランクリンの影響だろう。


 ジョゼ曰く、この店は珍しい物が陳列される可能性が多大にあるらしい。なぜならば、アンナの祖母であるクローネット・ヴァーミリオンはヨーゼフの親友であり、良き理解者だったからだと説明した事があった。果たして、その二人の間柄に恋愛があったかどうかは定かではない。ヨーゼフとクローネットの物語はまた別の機会にでも語るとしよう。


 店内の物色が済んだジョゼはアンナの居るカウンターへ向かってきた。彼女は自分の想いが知られないように必死に普段の通りを装う。


「いつものタバコを頂こう」

「はい。畏まりました」

 カウンターを背に大きな戸棚がある。一番使い勝手の良い場所にジョゼが吸うタバコが配置されていた。彼女はそのタバコと巻紙を添えて紙袋に包んだ。


「巻紙はサービスです。いつもご利用ありがとうございます」

 零れるような満面の笑みでアンナは言った。


 それに対しジョゼは頭を軽く下げるだけで笑顔を見せることは無い。アンナはそれで満足出来た。まったく無駄がない仕草、言動が彼を構成している。機能美と言えば良いのだろうか。洗練された美しさにアンナは兎に角、惹かれていた。


 代金を受け取り、彼が店から出て行くのをカウンターから見送る。とても小さな声で彼女は言った。

「嗚呼、もし……もし、お店以外の場所でお会い出来たら……私は、きっと」


 いつもの癖で彼女は簪を撫でた。その簪は蛇のフォルムをした純度の高い銀で出来ている。蛇の瞳にはピンク色の宝石が埋め込まれていた。




 店を出たジョゼは正面の宝石店に目をやった。ショーウィンドウに陳列されている煌びやかな石を必死に眺める小柄な少女。腰下まで届く髪の毛。彼女が頭を揺らす度に長髪も左右に動いた。ぶつぶつと呟く声が聞こえる。言葉の内容は綺麗、美しい、光っている、美味しそう、欲しい等の単語を法則性もなく繰り返していた。


「セロ。帰るぞ」

 ジョゼはガラス窓に引っ付いた彼女に声を掛け帰路に着こうと踵を返す。


「のぉ~。待って下さいジョゼ様!」

 慌てて彼の後を追い横に並ぶ。なにやら宝石の素晴らしさについて語っていたようだが、ジョゼの耳には入っていない。それを知っていたかは不明だがセロは宝石についての話題を提供し続けた。


「ローズクウォーツの宝石言葉は愛と優しさの象徴なんですよ! 女性の秘める美しさを表す石なんですよ!」


 薄桃色の宝石の事だ。そう、あの女店主が付けていた蛇の簪。その瞳に装飾されている宝石がローズクウォーツであった。


 無論ジョゼは、彼女の仕草や服装、髪型、ネックレスや指輪のデザイン等検証済みだ。ここ数ヶ月、指輪やイヤリング、ネックレスは変えるのに簪だけは同じであった事を思い出した。






 次の日は雨が降っていた。


 この街の年間降水量は比較的多い。山々に囲まれた地形で雨雲が溜まりやすく霧も発生しやすい環境である。昼下がりを迎えるというのに、ここフォートレストはどんよりとした街並みであった。


 街の中央に位置する広場では露店が所狭しと並び、通行人達は雨具を装着して買い物をしていた。ジョゼはその様子をカフェテラスから眺めている。

 こんな雨の日に限って行商人の一団が訪れたのだ。他の国では捌けない商品をフォートレストで処分したいのだろう。つまり抱えた在庫の処理だ。

 商品は主に魔法関係の道具や素材だった。周辺諸国では規約や規定が厳しく、売買に時間がとても掛かる。行政機関を通すので早くても二週間は要した。「時は金なり」を信条としている商人にとっては、個人売買できるフォートレストは魅力的な土地に違いない。


 セロの強い要望で買い物に来たものの、ジョゼの興味をそそる物は当然無かった。一方、セロはまだまだ見飽きないようで帰る気配がない。今も露店が集まる中心部にいる。


 カフェテラスから見える風景は、傘やコートで雨から身を守る人々がちらほらと居るばかり。行商人達には可哀想だが今日は天気が悪かったな。そんな事を思いながら彼はテラスに設置されているパラソルの内側を見つめ、椅子にもたれ掛かった。座席ごとに設置してあるクリーム色でシックなパラソル。その骨組みをただ見つめている。雨の日にテラスを利用する者は彼だけだった。


 小雨から大粒へと変化し激しい音を上げ始める。ロングコートの胸ポケットからタバコを取り出し火を点けた。あたりは雨音以外は何も聞こえない。土砂降りの大雨だ。露店からの物音も雨音によって掻き消された。



「こんにちは。ジョゼ」

 線の細い女の声が彼の耳に入る。タバコの煙とパラソルの骨組みを眺めるジョゼ。


 そのまま呟くように返答した。

「なんの用ですかね?」

 感情なく返答するジョゼに対し

「今日は一日中雨ですね」

 うっとりとした甘い声色が返ってきた。


「そのようで」

 ジョゼは気にせず相槌をうつ。

「あら。セロちゃんは今日はいないのですか?」

 女性の声も変わらずの音色で尋ねた。

「買い物中だ。用件はセロにあったのかな?」


「いいえ。ジョゼが独りで良かったですわ」

 彼女の声は嬉しそうだった。

 雨は一層強まった。露店の客は足早に雨が当たらない場所へと避難しただろう。

 激しい雨音だけが、その世界を支配した。


「そう興奮するな。洪水になったらどうする」


「いやだジョゼ。恥ずかしいですわ」

 雨は彼女の感情に呼応するように小気味よく降り注いだ。






 小雨から大雨になった時、小娘は声を荒げていた。

「のぉー!」

 露店の雨除けからセロの第一声。


「なんで?! こんな雨じゃ買った物が濡れちゃう!」

 小柄な体を震わせながら紙袋を両手で抱える。


「ありゃ、こりゃアレだ。少し雨がおさまるのを待った方がいいぜ」

 スキンヘッドに汚れたエプロン姿の行商人がセロに助言する。

「通り雨だといいのですが」

「大丈夫だよ。こんな強い雨が続くはずがねーさ」


 セロにある考えが過ぎった。主人であるジョゼに取り憑こうとする水の精霊。いや、聖精霊せいせいれいと彼は呼んでいた。精霊の種類は173種あるが、それぞれの各代表の精霊のみ「聖」が精霊名称の頭に付くのだと言う。ジョゼは勝手に「水の精霊」と言っているが、173種の分類から正確に表現するのであればハィドォゥジェンの聖精霊と言うのが正しい。


 その精霊が活発に行動を起こす時、大量の雨が降る。今回の様に局地的に豪雨となる事を思い出した。

(きっとジョゼ様に何かあったに違いない!)

 彼女はそう思い込むと土砂降りの中走り出した。






 大粒の雨がテラスの傘を叩く。その音は周囲の気配さえも消し去ってしまう程の騒音であった。


「ジョゼ。そろそろ私を取り入れて下さっても良いと思うのです」

 激しい雨音の中、彼女の声は不気味なほど鮮明に響いた。


 ジョゼは誰も居ない露店街を傍観しながら曖昧な返事で答える。


「ふふ、相変らずの返事ね。……そんな処もアリステラにそっくり」




「ジョゼ様ぁあぁぁッ!」

 セロの雄叫びが聞こえた。視線を向けるとずぶ濡れ少女が必死に走って来るのが見える。それはもう息絶え絶えの全力疾走であった。勢いの付いたまま、そこに座るジョゼに抱き付く。その衝撃で椅子ごとジョゼは倒れ地面に仰向けになった。彼の腕の中にはセロがちゃんとそこに在った。


 テラスに設置されているパラソルの範囲から飛び出した為、二人は雨に晒される。腕の中で小さく震える少女は肩で激しく呼吸していた。その頭を撫でながらジョゼは言った。

「安心しなさい。何も問題はない」


 その言葉に彼女は答えなかった。ただただ、彼の胸に顔をこすり付ける。

 数秒後、降りしきる雨は突然止んだ。街のあちらこちらで虹が生まれる光景は異様であったが神秘的である。激しい雨音からの静寂。太陽の光が雲間から差し込まれ、鳥達が中空を自由に羽ばたいた。


 ゆっくりと。とてもゆっくりと街のざわめきが鳥の鳴き声と共に蘇る。



 セロの呼吸が整い出した頃、ジョゼは身体を起こした。しがみつく少女を立たせながら彼女の濡れた髪を絞る。

「では、帰宅しよう。服も身体も適切に乾かせなければならない」



 濡れきった服を纏い帰路に着く二人の前に見覚えのある人物が現れた。これは偶然なのだろうか。それとも必然か。アンナ・ヴァーミリオンは明らかに着飾った格好をしている。肩から胸元に広く開いた服は彼女の艶やかな人物象を更に引き立てていた。


「ジョゼ様、ずっとお慕いしておりました」

 アンナは満面の笑顔で、そう口火を切った。

 あまりに突然な告白にセロは腫れた瞳をジョゼとアンナへと交互に動かす。一方、愛の告白を受けた張本人は、動じる事なく彼女を見据えた。


「ところで……お前は誰だ」

 一呼吸置いて静かに問いかける。

「えっ!? 誰だって、そんな~ジョゼ様ぁ! 雑貨屋のお姉さんですよぅ!」

 冷たく突き放す一言に、セロが一層あたふたしジョゼにすがる。そんな事は気にもせずジョゼは続けた。


「お前は、誰だ」


 そう言って彼女へとゆっくり歩む。アンナは顔色一つ変えず笑顔のまま立ち尽くしていた。


 十秒間ぐらい、二人は見つめ合った。


 そして、ジョゼは自然な速度で彼女の顔の脇に手を差し出す。

「ふむ。やはり正体はお前か」

 そう言ってアンナの簪を抜き取った。それは銀で出来た蛇の簪。ローズクウォーツが瞳にはめ込まれた簪だ。


 纏め上げられた栗色の長髪がはらりと解けると、彼女の表情は砕けた。動揺が伺えると同時に恥ずかしそうな顔をする。


「ジョゼさん? あら……? 私、一体……」

「こんにちは。アンナ・ヴァーミリオン」


 ジョゼは口角を上げ、笑ってみせた。珍しい彼の笑顔に再度動揺し、頬を赤らめるアンナ。それをしっかり確認したジョゼは口を開いた。


「行商人達の露店に行かれるのですね? しかし、今回は期待なさらない方がよろしい。和洋・古今東西。雑貨あるある店の仕入れならば尚更だ」


「えぇ……。そう、そうです。仕入れに来たのです。で、でもジョゼさんの姿を見たら……その、身体が勝手に」

 とても気まずそうだし、心底恥ずかしいのであろう。彼女は俯いてしまった。


「結構。心配には及びません。すべてはこの簪が仕出しでかした事」

「あ! 私の簪……」

 アンナは自分の頭を撫でる。どうやら一部の記憶がないようだ。ジョゼは「お前は誰だ」の言葉から簪を抜き取るまでの記憶を失っていると推測していた。簪に住まう何がしかを動揺させるのが目的で、彼はこの機会を待っていたのだ。


 アンナ・ヴァーミリオンと偶然、出会う機会を。


「さて、話は変わりますが。この簪を譲って頂けないだろうか?」

「え? これをですか? 別に構いませんけど……私なんかが使っていた私物ですよ? いいんですか? お店に行けばもっと良い品がありますよ?」

 またも彼女は顔を赤く染める。


「いえ、この簪が良いのです。いくら支払えばよろしいか?」

「そ、そんな代金なんて頂けません! それは随分使い古した簪なんです」

 両手を左右に振り、慌てふためく。


「よろしい。では、遠慮なく頂こう」

 素早く簪をコートの内ポケットに納めた。

「あの……何故、その簪が良いのですか?」

 不思議そうに、そして僅かに恥ずかしそうにアンナは尋ねる。


「致し方ない。簡潔に言えば、あなたの想いが簪に集約し意思を生ませた。そして簪は自我を持つようになり、今回のような行動に及んだわけだ。実に興味深い現象だと思わないかね」


 赤面するアンナを尻目にセロは「そこまで言っちゃうんだー」という思いを込めてジョゼを遠い目で眺めていた。


 アンナは何かの適当な用事をでっち上げ、その場から身を引いた。彼女の心情は察するが相手が悪いとセロは思った。


「では、風邪を引く前に帰ろうではないか」

 無神経なのか計算なのか解からないがジョゼは張り切って帰路に着く。蛇の簪を取り出し歩きながら、ローズクウォーツを見つめた。


「本当にそれ。どーするんですか?」

 困った表情でセロが問いかけた。

「しばらくは私が管理しておく。女性の手に渡らないようにな」

「はぁ……。また面倒な品が増えるんですね」

 セロがそう言うと簪の瞳がギラリと彼女を睨み付けた。そう、見えただけかもしれない。


 ふふん、とジョゼは鼻を鳴らした。

「蛇ってやつは嫉妬深いんだ」

 得意げに簪を見つめる彼の言葉に深い溜息をするセロ。また心配事が増えたのだ。


「どうも私は変わったモノに好かれるようだな」

 ジョゼは濡れたセロの頭を軽く撫でる。





 二人の近くにあった水溜りが静かに波紋を作った。そして、透き通る女性の声が微かに雑音に混じって聞こえる。


「本当。あなたはアリステラに似ているわ」




――ジョゼの店 第六章 恋心と雨 完

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