ジョゼの店 第五章 帰路にある物語
遠くから旅人が来る。流れ者の行き着く地、フォートレストへ。
「あれは嘘だ」
ジョゼはきっぱりと言い放った。甲高い声を上げるセロと、対照的な態度を表したのはエセ魔法使いのエダだった。
「だ、だろうな……俺は気付いていた」
「ジョゼ様ッ! 嘘はいけませんッ! 折角、折角、私のイケメンハーレム計画が…なんて事……なんて事……あぁ、なんて事……」
頭を直角に落とし、ぶつくさ言葉する少女にジョゼは冷静な口調で言う。
「セロ。大人には色々な事情があってな。事の始まりは……ジュヴァドゥーゲが」
ジョゼが語り出すとエダは「俺、帰るわぁ」と肩を落とし店を出た。扉の開閉を意味する鈴の音がする。
エダと擦れ違いに入ってきた男が、状況を察した台詞を捻り出した。聖ジョージ。彼は空気が読める美男子である。
「お忙しいところ申し訳ないのですが、ジョゼ殿に相談があるのです」
「いえ、ご心配なく。まったく多忙ではありません」
ジョゼはセロに見向きもせず、自信満々な発言をした。一方、彼女は美男子の登場に気付かない様子である。それほど重症なのだ。彼女から、かもし出される負のオーラはジョゼ以外は居づらいに違いない。ジョージも例外ではなかった。
「よろしい。では、場所を変えましょう。今日は依頼ではなく相談と言ってましたな。契約書は不要のようだし、私が解決しなければならない訳でもないようだ」
「そうさせて頂けると幸いです」
ジョゼはジョージの些細な変化を見逃してはいなかった。確かにセロは負の世界に浸っている。気が利く彼が気にしないはずはない。しかし、それだけではない事をジョゼは確信していた。ジョージがエダと擦れ違い、こちらに向かってくる十数歩の間、彼の視線はセロを指していた。勿論、露骨な視線ではなかったし、ジョゼの事もちゃんと見ていた。普段のジョージとの違いを言うのであれば、視線移動の割合であろう。目の動きから想定すると、無自覚にセロの事を意識している。ジョゼ以外の人間では到底気付けるものではなかった。
二人は場所を移した。困惑少女を住居に残し、商業区画にある喫茶店へ向かった。ここはジョゼ行き付けの喫茶店「カフェ・ノナ」である。西洋風のシックな店で派手な飾りはなく、白と黒を基調とした配色が特徴である。椅子やテーブル、ティーセット等のあらゆる場所に、小さく困った顔の猫のイラストが描かれていた。それがこの店のシンポルだ。まるで盲点を突いたように描かれる小さなイラストを探すのがジョゼの密やかな楽しみであった。
天気も良好なのでテラス席に陣取る事にした。昼食の賑わいも落ち着いた時間帯であった。大通りに面して店のテーブルが並ぶ。どこからが道で、どこからが店の敷地か曖昧なテラスだが誰一人とも気にする様子もない程度の配置なのだ。
ジョージは少し心配していた。あまり他人には聞かれたくない話であったし、通行人も含め、盗み聞きが容易な状況に思えたからだ。それを感じとったジョゼは店の自慢を含めた話をし出した。
「席に着いて気付かないかね?」
僅かに首を動かし周囲を確認する美青年。
「音楽だよ。ジョージ」
彼は中空をやや見上げ耳を澄ます。店内から流れる音楽が聞こえた。蓄音器が奏でる優雅な音は自然に溶け込んでいる。街のざわめき、隣の席に座る老夫婦。逆隣の淑女達の会話が耳に残らない。
「このトリックをご説明しよう。大きなギミックは二つある。一つは拡声器の向きだ。壁の反響を考慮した音響は複数の拡声器を設置する事で可能にしている。音色同士がぶつかり合う空間は話し声を邪魔せず、音色の通る空間を作る事で他の雑音を遮断するのだ。二つ目は座席の位置にある。人間の声は当然ながら口から発生するものだ。その声は真っ直ぐ正面に飛ぶ。今度は聴覚だ。これも当然ながら人間は左右に器官がある。ふっふっ、例外の話はするなよ。より長くなるぞ。これらを考慮した座席の配置こそが、密集していながら個人的な空間を作り出しているトリックなのだ」
なるほど、と感心するジョージ。
「鋭い洞察ですね。さすがジョゼ殿だ」
「店のオーナーに依頼され、私が作ったのだ」
お決まりの展開に適応しているのは、同居人のセロと悪友のエダぐらいなものだろう。ジョージはまだその域には達していなかった。
注文した紅茶が二人の前に置かれた。ジョゼはティーカップを持ち、顔の正面に位置させ香りを楽しむ。
「さて、相談とやらを聞こうではないか。存分に話してくれ」
ジョージは赤茶色の液体をまじまじと眺めた後に、ジョゼの目をしっかり見て語りだした。その声色は低く重かった。ジョゼは覚悟を決めて、騎士の称号を持つ男の話を聞いた。
「私がフォートレストに来てから三ヶ月は経ちます。およそ二百年間、様々な国や村を視て来ました。そして数々の戦にも参加しました。時には空腹を満たす為、弱い者を守る為。仲間の為。居場所を求める為に行動し、私は私自信を維持し続けた。お尋ね者になった事もしばしばある。周囲の国々から見れば盗賊と思われるのも仕方が無い日々だった」
「そうだったな。初めて私のところへ来た時は、盗賊団の頭だったな」
ジョゼは紅茶を一口飲んだ。
「えぇ、気の合う仲間だった。まさか自警団程度にやられてしまうとは」
「復讐を思案しているのかね?」
「いえ、それはありません。復讐は新たな復讐を生むだけ。彼等に未練がないとは言いませんが、致し方がない状況もあるのは承知していましたから」
ジョージは紅茶に手を付けた。
「横槍を入れてしまったな。続けてくれ」
ジョゼはカップをソーサーに置き、催促する仕草を静かにした。
「今までお話したように、色々な事を見てきました。ですから、外道な行いも世界には沢山存在し、変えられない事実も知っているつもりです。フォートレストは自由を尊重する土地ですから、そこらの常識なぞ凌駕する悪党も存在するでしょう。この街に住むにあたって教えられた言葉があります」
「何人たりとも自由を侵害する事は赦されない」
そう言ったのはジョゼであった。
「はい。その言葉です。掟のようなものと住人登録時に区長に教わりました。実際に規則のようなものではないようですね。フォートレストの住人なら、ごく当然に持っている考え方。私はそのように受け取りました」
「結構。まさにその通り」
「弱肉強食は自然の摂理です。弱き者が強き者に淘汰されるのは、よくある現象になっています。騎士とは弱き者を守る。その精神の裏にも結局のところ弱肉強食の摂理は存在し得るのです」
ジョゼは黙って聞いていた。しばらく、ジョージは考えてから続ける。
「この街でも人売りを見ました。初めて見る光景ではありません。何度となく見て来た光景です。しかし、貧しい土地で起きていても、ここ程の豊かな場所で目にするとは思わなかったのです」
「ふむ。続けて」
「フォートレストは商業が盛んな地域です。あまり知られていませんが周辺諸国も圧倒する程の経済力を持っています。だからなのでしょうか。人売りに子供が多いのは…」
ジョージはジョゼを真っ直ぐ見た。返答を待っているのは誰だって分かる。
「ジョージの想像通りだ。フォートレストの人買いの連中は労働力が欲しいわけではありますまい」
毅然と答えた。ジョージは瞳を落とすと重々しく口を開いた。
「あの子供達の運命は変えられないのか……」
誰に言うわけでもない言葉がジョージの口からこぼれた。
「左様。運命は変えられない事が非常に多い。そもそも運命という言葉は過去形の意味が多分に含まれている。運命とは、人智では手に負えない事柄を指す。過去の出来事を変える手段は禁忌の術を使う事以外考えられないし、その禁忌の術を使う事、それ自体が更に考えられないのだ」
「つまり、彼等の未来は変えられると?」
「運命という単語の選択が間違っているのだ。未来は常に変わっている。逆に決まった未来など存在できない程にだ」
ジョゼは真剣な顔でカフェの献立が書かれているメニュー表を高く上げた。すぐに看板娘が注文を取りに来る。彼は特大のチョコレートパフェを頼んだ。
「ジョージはどうする?」
「い、いや。遠慮します」
「では、一つ注文させて頂こう」
ジョージは腕を組み、難しい顔をしてみせる。それはジョゼの行動にではなく、子供達の未来について考えているのだ。
「ジョゼ殿。大人と子供の違いとは何か。教えてくださるか?」
「容易い事だ」
チョコレートパフェを待ち望む視線を厨房へと送りながら答えた。
「己の食い扶持を確保する事が出来れば、年齢など関係なく大人だ」
「しかし、普通の者は年を取るにしたがって体力も落ち、自足するのは困難になるのでは?」
「何を言う? 長年培ってきた人脈、知恵、蓄えたものは様々だ。それらを容易く有効に活用できるのが老人であろう。聖ジョージ…。老人を甘く見ない方が良い。彼等は強いぞ」
看板娘が特大チョコレートパフェを持って現れた。ジョゼ曰く、「カフェ・ノナ」最大の長所は料理の早さだと言う。他の客は間違いなく看板娘の美しさを絶賛するだろうが彼は違った。早い、安い、美味いは彼にとっての料理美学だそうだ。
デザートをむさぼるジョゼを尻目にジョージは思案し続ける。思案してはジョゼに質問を投げかけ、彼はそれに答えた。その問答は夕方まで続いた。最後にジョゼはジョージにこう言った。
「何人たりとも自由を侵害する事は赦されない。これはジョージにも当てはまる言葉だという事を忘れないように」
聖ジョージ。本名、ジョージ・ネルソン。
フォートレストに現れ、数ヶ月で傭兵の代名詞となるほどの信頼と実績を積み上げる。彼は護衛の任務しか受けなかった。生涯を通じて彼が争いを望んだ事は一度もない。夕方まで続いたジョゼとの会談でジョージはある決意をした。
人売りに出ている子供を一人残らずに買い、大人になるまで育てる事。つまり孤児院の設立だった。ジョゼの話ではフォートレストには孤児院はなかったのだ。
遠い未来の話ではあるが、孤児院で育った者は孤児院の為に働き、新たな孤児達の面倒を見る。その子供達は大人になると孤児院の為に、血の繋がらない子供達の為に生きた。この連鎖はフォートレスト全体を覆う思想の、一つとして認知されていくのであった。
そして……永遠の命を宿した騎士は、今日も子供を買っている。
――ジョゼの店 第五章 帰路にある物語 完
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