博物館にて(2)

 月曜は休館日だ。

 なので、もう一度と約束をしたのは翌々日の火曜日。雨季は消滅したとでも言うのか、それともせっかちな夏がほの暗い梅雨を追い出してしまったのか、約束の日はからりとした好天で、帽子のつばの下から覗くお日様がしたり顔をしていた。「そうらみろ、お膳立てもばっちりだろう?」なんてお節介じみた台詞まで聴こえそう。

 雨季といえば、ブラジルは日本の真逆である南半球に位置し、十一月から四月が夏であるという。その夏が雨季であり、有名なカーニバルなども、まとまった雨に降られることもあってか、情熱と情緒が煮込まれた風物詩となっているようだ。

 ところが、こと傘となると日本とは事情が違うのだからブラジルも興味深い。日本人は、朝になると天気予報を横目に朝食を済ませる。「午後から雨が降るでしょう」そんな予報をお天気お姉さんが読み上げようものなら、濡れ鼠になどなってたまるかと傘を持って出勤する。ブラジルはそうではないらしい。天気が崩れるとしてもだいたいは日中で、日が高いうちは屋内にいるのだから、傘なんてわざわざ持ち歩かなくてもいいじゃない、いざとなれば雨宿りをすればいいじゃないといったふうにして実に楽観的なのである。

 わたしも、今日ばかりは洋傘を持ち歩く習慣のない、陽気なブラジル人の心持ちを真似てみたくなったけれど、やはり日本人の性はなかなか抜けないものだ。天気予報を念入りにチェックし、結局折り畳み傘が手放せなかった。お国柄とは、その国土に在住してこそ移り、表出する性質だ。東北の田舎町で暮らしている限り、わたしは外出先で雨に降られることを懸念する日本人女性でしかないのだろう。

 さて、郷土博物館は、一昨日の閉館直前と何ら変わりない空気を醸している。

 受付の女性も同じ顔であり、遺跡の番人は今日も黙々と入館料を受け取る。その変わらない仕事ぶりに内心敬礼し、寝息を立てている内部へと侵入すると、平日だというのに珍しく家族連れがいた。小さなお子さんを抱いているお母さんと、荷物を持つお父さんの三人である。遊びたい盛りであるだろう子どもは、母の腕の中で短い足をひょこひょこ動かしているけれど、これといって騒いだりもしない。玄関ホールで道順を相談する両親の声は退屈なようで、わたしを捕捉したどんぐり目は、好奇心に満ちた幼い肉食獣のあれだった。こっそり手だけ振り返しておく。

 例の絵画の部屋へ入ると、既に彼はそこに立っていた。

 後ろ姿は一昨日と同じである。うなじにかかるまばらな襟足は、主人にしがみつく猫の爪のように細やかで、深い濃紺の服地は彼をより洗練された人物として演出する。オフィスビル、高級住宅地、繁華街といった都心のイメージがそのまま背広を着て歩いているみたいに見える。事実あの人は東京の人間であるから、連想もあながち外れではないのだが。

「こんにちは」と挨拶をしたら、振り返った彼はにこりと笑った。となりに並ぶとひょろりと背が高くて、「あれっ、こんなにキリンみたいな人だったかしら?」と疑問が湧き出る。貸していたハンカチを受け取るついでに、まじまじと穴が開くほど彼を観察してみたら、雨に濡れていた日曜日よりも目に留まる点が多々あった。瞳の大きな眼、下がり気味の眉、少し癖があって毛先が遊んでいる髪。それから、あまり焼けていない肌と、ごつごつといかめしい腕時計。ピントがずれてふわふわと滲んでいた容貌は、ひとつずつ、先の細いペンでなぞられて、繊細な輪郭を浮き彫りにする。

 田園風景に立つにはあまりに垢抜けて、合成写真のモデルのようだった。オフィスビルが立ち並ぶ、コンクリートのクレバスで日々生活している人間ならば、こういった齟齬も生じるものなのかもしれない。

「ご親切に、どうもありがとうございました」と彼は頭を垂れた。下げる、というよりは垂れるという表現が相応しい、のったりとした動きだ。それがますます、眼下に向かって角度を傾けていくキリンによく似ていたもので、このときからわたしの中で彼の愛称が「キリンさん」に決定した。

「絵がお好きなのですか?」

 日常とは一線を画す面会において、立ち入った質問は控えるべきとわたしの品性が脳の端で言う。支障のない範囲、という前提を踏まえて言葉を探ると、なんともつまらない、有り体な切り口しか探し出せなかった。

「たぶん、格別この絵が好ましいんです」

 こちらの緊張を見抜いているのか、キリンさんの応答はとても柔らかい。そっと寄り添って語りかける、ある種慈母然とした響きに、わたしは聞き入る。

「二年前、この絵を名古屋の展覧会で見かけました」

「名古屋……」

「出張先で、偶々、息抜きに立ち寄ったらこの絵がありました。ちょうど、僕もいろいろ行き詰まっているときで……一目見て、寝起きに冷や水を飲んで、目が冴え冴えとするみたいな、そんな心持ちになりました」

「示唆に富む絵ですものね」

 絵画の少女の行動は至ってシンプルだ。題されるがままに、段差に足をかけ前に進もうとしているだけ。だがこれを、例えば己の人生に置き換えてみるとするなら、どうだろう。人生は常になだらかであるとは限らない。不安定な足場や、乗り越えるために幾十幾百の煩悶を重ねなければならないときもあるだろう。だから絵画の少女は額縁のあちら側からわたしたちに説いている。「こんな足でも歩くんだよ」と。そんな解釈も可能ではないだろうか。

「悩みを見透かされた、と思いました」キリンさんの瞳が細くなり、澄んだレンズに絵画が映り込む。「お前は何をもたもたしているんだ、と背中を叩かれたのかもしれない。タイトルを見たら、余計、そんなふうに感じました」

 不撓不屈の娘は、期せずして若者の光明となったのだ。もし自分も、そこまで深く感慨を抱く何ものかに出会えたのなら、ふとした衝動と熱望に揺さぶられ、北の果てだろうと南の無人島だろうと、我先にと飛び出して行くのかもしれない。

 それにしても、とわたしも絵画を見やる。

「名古屋にあったなんて、意外でした。この絵、わたしよりも長旅をしているんですね」

「旅行とか、なさらないので?」

「あまり。移動にかける時間と費用を計算しただけで、白目を剥いてしまいます」

「成る程、堅実な方だ」

「お上手ですね。こなれてらっしゃるみたい」

「えっ、それは困ったな……」

 苦笑いに困惑が混じり、わたしは「冗談です」と言い添えた。

 しかし、お上手というよりは、人を和ませる妙技を持つ男性なのだと感じたのは事実だった。涼しげな声がその印象をより強調するのだろうか。キリンさんの声は、なんだかとても耳心地が好いのである。耳たぶからじんわりと管を濡らし、やがて散っていく。後味を残さずに、わずかな芳香だけが抜けていく、上質な清酒を髣髴とさせた。

 舌の上で遊ばせる余裕もないまま、すっきりと消えていく余韻が惜しまれて、わたしにしては珍しく、たくさんの言葉を重ねた。キリンさんが柔和な笑みを湛え、他愛無い会話に応じてくれることに調子付き、柄にもなく、不器用な口がよく回った。

 火曜日はずっと晴れていた。心配性で、つい折り畳み傘を持ってきたことも話題に挙げたら、こちらの梅雨は涼しいですねとキリンさんが言うので、おそらくそこから、都会と田舎の違いを並べるのが、楽しくなった。空気の匂い、店舗の規模、料理の味、人の歩く速度。エスカレーターでは止まるのか、歩くのかなんて些細な話題に事欠かず、その日だけでは時間が足りなくて、わたしから「またお会いできませんか」と二度目の約束を取り付けた。次に待ち合わせたのは木曜日だ。木曜は雨、金曜も雨、そして日曜日もざあざあ降りの雨。こんなに強く降る日でも、ブラジル人は傘を差さないのかしらと不思議がっていたら、キリンさんが疑問を解消してくださった。

「ブラジルでは、雨雲を見つけたら傘売りのおじさんが現れるそうです」

「傘売りですか?」

「どこからかひょっこりやって来て、両手いっぱいの折り畳み傘を、道行く人たちにどんどん売り捌いていく。だから、急な雨でも彼らは慌てない」

「へえ……お詳しいんですね。ブラジルにも、ご旅行に行かれたことが?」

「いえ、誰かからの受け売り。誰だったかなあ……」

「まあ」

 そこで正直に種明かしをするのが、彼の人柄なのだろう。可笑しくて笑っていたら、額縁の中の娘も、険しい表情をそのときだけは和らげたように、わたしには見えた。

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