第225話 ベースキャンプまで

 夜明け前にホイヘンス山の麓に到着した俺たちは、この場所でのんびりと身体を慣らしている最中だ。

ついてすぐに暗闇の中を錬成魔法で洞窟を作り、ジローさんと自分たちの居場所を確保した。

現在地の標高は3238メートルと富士山の山頂より500メートルくらい下回った場所にいる。

ここで24時間を過ごし、明日から一日に500メートルずつ高度を上げて身体を順応させていく予定だ。

当面の目標はベースキャンプとなる5400メートル地点にたどり着くことだ。

そこまでは斜面も急ではないし、ルートもしっかりしている。

先行させたスパイ君の情報では見張り小屋のようなものはあるが無人で、周囲に魔物や魔族のいる様子はない。

引き続き警戒はするが、どうやらここは魔族にとって不可侵の聖域サンクチュアリのようだ。

「頭痛や吐き気、身体がふらつく人はいないかい? 症状に思い当たる人は必ず申し出てね。無理をすることによってパーティーが全滅する可能性もあるんだからね」

気にしていた高山病に罹るものは今のところ出ていない。

全員の血中酸素飽和濃度を計測したが、90%を切るものは出ていなかった。

「マスターの体調はいかがですか? 予想どおり気圧が低いですが」

ゴブが俺を気遣ってくれる。

「俺は大丈夫みたいだ。数値も正常だったしね」

「それでしたら結構です。気象観測気球からの報告が届いています」

この先、気象予報は重要になるのでこちらに来る前に観測用の気球を何台も作ってある。

「どうだった?」

「残念なことに夜半から雨になるようです」

明日は雨の中を登ることになるが仕方がない。

頂上付近だったら雪なのだろう。

まだ3200メートル程の高度なので多少の悪天候でも移動できるが、ベースキャンプ(5400m)より上は天候によってかなり行動が制限される。

転送魔法陣までは一カ月くらいはかかる長丁場になりそうだ。


 次の日は予想通り雨の中を出発した。

ほとんどの物資は車両が運んでくれるので、荷物の運搬に問題はない。

ひたすられきの上り坂が続くが、全員が一流の冒険者なので体力が続かないという者も出なかった。

ジローさんの運用はゴブに任せ、俺も徒歩で山道を進んだ。


 道はフンダル川という川に沿っている。

濁った灰色の水が流れる川だ。

これは山の上の氷河が岩を削り、その削りかすが解けた水と一緒に流れ出しているからこの色になる。

試しにグラスに川の水を汲み静かに放置すると、白濁した水はすぐに砂の層と透明な上澄みとに分離した。

俺たちは生活魔法や水魔法で飲料水を得ることは簡単にできるのでこの水を使う必要はない。

それにしてもフンダル川の水は冷たい。

少し手を入れているだけで痺れてくるほどだ。

途中、何カ所か橋が壊れている個所があった。

マジックシールドを橋代わりに渡河したが、そうでなかったら1日以上をその場所に費やしたかもしれない。


 その日は、3816メートル地点にキャンプを張った。

この山には魔物も少ない。

今日は一本角を生やした白い巨大な豹のような魔物に遭遇しただけだ。

スパイ君が先に見つけて遠距離から狙撃・排除しているので、近接戦闘にはなっていない。

質の良いDランク魔石を落としたことから見ても、まともに戦えばかなり強かったのだろう。

俺の新型ライフルF20000はここでもいい仕事をしてくれた。

ただ、この先はおそらく魔物に遭遇することはもうない気がする。

標高が上がれば上がるほど、たとえ魔物でさえも生きていくのは難しい環境になっていく。

結局のところ、人も魔物も水が液体として存在できる場所が一番住みやすいのだ。

そして空気の薄い場所でまともに活動できるのはゴブとアンジェラなどの酸素を必要としない生命体だけだ。

そう考えれば、ゴーレム的な敵がいる可能性は否定できない。

 ここでも冷たい岩塊に、錬成魔法で洞穴を掘って休憩場所にしている。

中は魔導コンロで暖房しているので寒くない。

ジローさんを日中動かすのはまずいので、深夜にゴブが運んできてくれる手はずになっている。

大きな荷物はそれまで待たなくてはならないがそれなりに快適に過ごしているぞ。

シャワーの代わりに洗浄魔法が今日も大活躍だ。


「おはようございますイッペイさん。ちょっとよろしいでしょうか」

翌朝、眉間に小じわを寄せてセシリーさんが話しかけてきた。

「どうしたの? もしかして頭が痛い?」

高山病を心配してしまう。

「それは大丈夫です。血中酸素濃度でしたっけ? あれも許容範囲内でした」

「それじゃあ……?」

「もしかすると私にだけ現れている症状かもしれないのですが、魔力の回復が遅いような気がするのです」

どういうことだ? 

慌てて自分のステータスを確認する。

999897/999999。

アンジェラが近くにいるのでMPが少しずつ消費されているが、すぐ戻るレベルの減り方だ……。

ん? 

若干、戻りが遅いか……。

「いかがですか? ひょっとしてこれも高山病の症例の一つでしょうか?」

セシリーさんは心配そうだ。

もし高山病が発症してしまえばジローさんで待機になってしまう。

だがこれは……。

「いや、俺も同じだ。僅かだがいつもより回復が遅い……」

「どういうことでしょう?」

それまで外を警戒していたゴブが振り返る。

「マスター、標高が上がればそれだけ空気は薄くなります。同じように大気中の魔素濃度も下がっているのではないでしょうか?」

「俺も同じことを考えていた。今のところすぐに魔力切れをおこすような濃度じゃないみたいだけど、5000メートルを超えたら酸素ボンベに加えて携行するMPポーションの量も増やした方がよさそうだな」

それにしてもよく指摘してくれた。

普段から繊細な魔力操作を心掛けているセシリーさんだからこそいち早く異常に気が付いたのだろう。

「ありがとうございましたセシリーさん。お陰で早い段階で魔素の問題を察知できましたよ」

「いえ、そんな……。でも標高が上がれば上がるほど魔素は薄くなるんですね。少し心配です」

魔法使いであるセシリーさんやハリハミにとって、MPの枯渇は死活問題ともいえる。

「当分は大丈夫でしょうが、最悪の場合はジローさんの中でMPの回復を図ってください。船室内なら空気を圧縮していますので、魔素濃度も地上とそんなに変わらない筈です」

気圧だって0.9気圧で地上とほとんど変わらない。

「マスター、これからはジローさんを先行させた方がいいかもしれませんね。幸い今のところ魔族の影はこの地域にはありません」

何が起こるかわからない場所だ。

いつでもジローさんの中で休憩できるようにしておいた方がいいだろう。

「そうだね。次回から夜明け前にジローさんを先行させるとしよう。ゴブ頼んだよ」

「心得ました」

MPポーションの在庫もチェックしておいた方がよさそうだ。

後でハーミーに頼んでおかないと。

いろいろ予測して計画は立てているのだが、じっさいその場に来てみないとわからないことが多いものだ。

それにしても魔族も魔物もいないわけだ。

奴らは俺たち人間よりも魔力に依存した生活を送っている。

魔素の薄い高高度に魔族や魔物がいないのは当然ということだったのだ。


 その後、三日目に4321メートル、四日目に4902メートル地点を経て、五日目にしてベースキャンプとなる5398メートル地点に到着するのだった。

ここは河原のように無数の石が積み重なった平地だ。

そしてその平地の端からホイヘンス山の急峻きゅうしゅんが始まっている。


「警戒用のセンサーは全て設置してきたわよ」

見回りに出ていたパティーたちがキャンプに戻ってきた。

「ありがとう。全機正常に作動してるよ。アタック隊の皆はミーティングをするから30分後に本部に集まるように伝えて」

「わかったわ。声をかけておく」

ここからはいくつかの班に分かれて行動することになる。

全員が転送魔法陣を目指すわけではない。

バックアップ班とサポート班、そして頂上を目指すアタック班に別れるのだ。

アタック班は俺、ボニー、パティー、アンジェラ、セシリーさんという構成だ。

パーティーの中で特に戦闘力の高いボニー、パティー、セシリーさんの三人、環境により行動を制限されないアンジェラ、そして万全のサポートが出来る俺がアタック隊に加わる。

さらにゴブはジローさんで空中からアタック隊を支援することになった。

他のメンバーは敵の警戒や、気象データーの解析、物資の上げ下ろし、ジローさんへの搭乗要員など色々な役割が振られている。

明日は全員休養して、明後日からホイヘンスの核心へと迫る最後の挑戦が始まるのだ。

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