第224話 別離

 新月の夜だった。

空にはびっしりと雲がかかっていて星一つ見えていない。

だが裏門の町の城塞にはいくつも魔導ランプの光が灯り、慌ただしく人の行き来する様子が見て取れる。

石壁を滑る人影の動きは激しく、さながら出来損ないの幻燈のようだった。

イッペイは影の織り成す物語の中心人物にもかかわらず、傍観者のようにその影絵をぼんやりと眺めていた。



「全員15分で荷物をまとめてジローさんに搭乗しろ! 遅れるな!」

パティーがみんなに指示を出している。

ホイヘンス山の中腹にベースキャンプとなる地を選定してから6日が経っていた。

条件のよい日を選んで出発しようということにしていたが、今夜は絶好のコンディションだ。

風は穏やかだし、どんよりと垂れこめた雲は魔族の目からジローさんを隠してくれることだろう。

既に荷物は積み込み済みなので、後はメンバーが乗り込めば出発できるだけの状態になっている。

「パティー、後の指揮を頼む」

「いいけど、示しがつかないから遅れないでね」

「わかってるよ。ちょっと挨拶してくるだけだ」

パティーにその場の指揮を任せて、ジャンたちに別れを告げに行った。


 廊下に出ると、様子を察したジャンやマリア、アルヴィン、シェリー、オジーが既に俺を待っていた。

「みんな……聞いてると思うけど、十分後くらいに出発だよ。慌ただしくてごめんな」

マリアがすっと俺の手を握る。

「イッペイさん……ありがとうございました。私はこの地で私のなすべきことを見つけました。イッペイさんは…………どうか生きていてくださいっ! 私が貴方に願うのはそれだけです。再びまみえる日まで……」

既に別れは済ませてあったが、話せるのはこれで最後かもしれないと思うと様々な感情がこみ上げてくる。

「マリア、これを持っていてくれ」

ここ数日間、寸暇すんかを惜しんで作り上げたネックレスをマリアに渡した。

「これは?」

「お守りだよ」

装着者の生命活動が極度に低下した時、自動的に回復魔法が発動するようにできている。

魔力を再充填しないと1回しか使えないが、きっとマリアを守ってくれるだろう。

最初は指輪型にしようとしたのだが、意味深長になるといけないのでネックレスにした。

魔石はジェニーさんに無理を言って売って貰ったDランクが使用されている。

「マリアも生き残ることを最優先に考えてくれ。お互い明日はどうなっているかわからない身だけど……。それでも俺はまた君に会いたいんだ」

みんながまた揃って冒険に出かけることはおそらくもうないだろう。

それでも生きていれば、いつか、どこかで、ふとした時に、出会うことだってあるかもしれない。

南大陸のどこか、ネピアのスラム、外国の孤児院、戦場の救護院、これからもいろんなところで俺はマリアの影を探してしまうだろう。

でもいつか、そんな場所のどこかで本当のマリアに出合える気がした。

『待て、しかして希望せよ』*1

遠い昔、地球で読んだ小説の名言を思い出した。


 一人一人と挨拶を交わして、最後にジャンの前に立った。

珍しくジャンの奴が俯いている。

先日、解放軍の戦闘訓練中に4人が魔物に襲われて死亡する事態が起きている。

それからジャンの元気がないと聞いていた。

「ジャン……」

「……」

「お前にはプレゼントはないぞ。食料とか武器の製造とか、ここ何日か散々こき使われたからな」

「わかってる……」

俺は一週間、解放戦線のためにひたすらクロスボウを錬成していたのだ。

しかも食料買い付けのためにジローさんを飛ばしながらだ。

でもな……それくらいは協力するさ。

ジャンやマリア、アルヴィン、シェリー、オジーの門出だもんな。

その程度の手向けくらいしたかった。

こうやって見るとジャンも少し背が伸びたな。

まだまだ成長中か。

「お前は……全部自分で背負い込もうなんて思うなよ」

「……」

「お前なんて所詮おサルのジャンなんだ。出来ないことはできないんだから、出来ることだけをやるんだぞ」

「わかってるさ……」

「うん…………」

いや、本当はこんなことが言いたいわけじゃないんだ。

最後なんだから、今日で本当に最後かもしれないんだから、ジャンにちゃんと何かを言っておきたかった。

でも……。

「おっさん………………ありがとな。俺をここまで連れてきてくれたのはおっさんだ。本当のことを言えば、明日からのことが怖いんだ。いつも俺の前にあったおっさんの背中を明日からはもう見られなくなるんだもんな。でもさ……そろそろいい時期だとも思ってるんだ。メグやクロよりも時間がかかっちまったけど……俺もおっさんから……卒業だ」

まったく、30年も生きてきたのに、こんな時に何を言ったらいいのかさっぱりわからない。

考えてみると、人生の大事な場面で気の利いたことを言えたためしは一度もない気がする。

「ジャン、達者でな」

言葉はいつも何かが足りない。

いくつの文字を費やしたって俺の気持を正確に言い表すことはできないだろう。

今日ほど俺は詩人の才能に嫉妬した日はなかった。


 後ろ手に手を振りながら走り出し、ヘッドセットのマスクをかぶる。

こうすれば俺の涙は誰にも見られない。

我ながら気の利いた装備だ。

尽きない名残を断ち切るようにタラップを駆け上がる。

「全搭乗員はナイトビジョンの用意! 3分後に船内の照明を消す」

指令を出しながら自分のシートに座った。



 改装され二回り以上大きくなったジローさん二式・改は暗闇の中をふわりと浮き上がった。

「これよりホイヘンス山へ向かう。到着予定時刻は夜明け前の4時25分だ。各員事前に決められたローテーションで職務を果たしてくれ」

操縦はジローさんのオートクルーズに任せてある。

俺たちは敵襲だけを警戒していればいい。

雲の上に出ると、星々が降るように煌めいていた。

ハリーが俺の席まで飲み物を運んできてくれた。

ゴブといろいろ工夫はしているのだが、船内の空気はどうしても乾燥してしまう。

何か飲んでいないとすぐに喉が痛くなってしまうのだ。

「ミントティーです」

「ありがとうハリー」

ミントティーは第七階層でよく飲まれるお茶だ。

砂漠ではフレッシュハーブを使用するが、今はドライハーブを使って淹れている。

砂糖がたくさん入った甘めのお茶である。

飲み物を置いたハリーは自分の席に戻らずに俺の横に補助席を出して座ってしまった。

「どうしたハリー? 気になることでもあるのか?」

「いえ……それが……」

やけにもじもじしているな。

ハーミーと何かあったのか?

「その、イッペイさんは平気なんですか?」

「ん? なにが?」

「だって、男は僕とイッペイさんだけになってしまいましたよ。あとゴブもかな?」

「!」

言われてみればその通りだ。

今まで旅立ちの感傷で気づかなかったが、今やこの船には『不死鳥の団』と『エンジェル・ウィング』しか乗っていない。

『エンジェル・ウィング』は女子だけで構成されたパーティーだし、現在の『不死鳥の団』の男は俺とハリーとゴブのみだ。

圧倒的に女子の比率が高い。

そういえば船内は女子の匂いが充満している気がする。

意識しだしたら急に息苦しくなってきたぞ。

目視される恐れがあるので照明は禁止しているが、会話は特に禁止していない。

哨戒員以外、船内ではいくつかのグループに分かれて小声で会話がなされている。

「なんか居場所がないんですよ。イッペイさんの横に座っててもいいですか?」

ハーミーは師匠にもあたるセシリーさんたちと話しているから、他に行き場所がないんだね。

ゴブは一生懸命に書き物をしているみたいだし……。

あいつは何を書いているんだ? 

『魔導融合炉の可能性』? 

またとんでもないものを考えているようだ。

ついさっきまで『萌と闘魂とうこんの間』とかいう恋愛小説を読んでいたはずなのに……。

「そうだな、俺も当分眠れそうにないからここにいてくれよ」

今夜は男同士、ハリーと交友を深めるのもいいかもしれない。

たとえ明日には離れ離れになってしまうとしても、今日、この瞬間の関係を大切にしていこうと思った。

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