第220話 奇跡のジャガイモ
人族の居住区は城の半地下にあった。
居住区と言っても家庭的な空間とはとても言えない。
冷たい石造りの壁、そして石造りの床の上に寝床代わりの藁が敷かれているだけの部屋だ。
天井近くに明り取りの小さな窓があるだけで、家具などは一切ない。
部屋の隅に置かれた排便用の大きな桶がやたらと存在を主張する不衛生な部屋だった。
そんな部屋に103人もの男女が雑魚寝のように横たわっている。
日中の労働に疲れ果てて目を覚ましている者は誰もいなかった。
その有様は犯罪者収容所であるコンブウォール鉱山によく似ていた。
違いといえば男女の別なく同じ部屋に押し込められているということだ。
これは、人族の繁殖を目的として魔族によって敢えてこのような措置がとられている。
赤ん坊が生まれれば、食料・労働力・しいては財産が増えることになるので、魔族は人族のセックスを禁止していない。
それどころか人族管理官という役職がおり、妊娠確率が高い女性への交合を強制さえしていた。
他に何の楽しみの無い男たちは疲労の残る体に鞭を打って腰をふり、女たちも仕方がなくこれを受け入れていた。
生殺与奪を握られた人々に何の抵抗が出来ただろうか。
もちろん、中には魔族に抵抗する人間もいた。
敵わぬまでも一矢報いようと、石を掴み、木片を持って魔族に立ち向かった者も数知れない。
だが、その度に魔族は人間を叩きのめし、いたぶり、殺さずに嬲り続けたのだ。
男女を問わず肉体的、性的虐待を加え、時には本人ではなく他者をいたぶることによって抵抗者の心を完全に破壊していった。
やがて人々は魔族に対抗することを諦め、家畜として生きる選択をしたのだった。
居住区は獣臭さに満ちていた。
これが人間の発する匂いだとはとても思えない。
だが、極端にレベルの低い生活をすれば、人間も所詮は獣と同じ匂いがするのかと妙に納得もしてしまった。
「α1よりリーダーへ。居住区に到着。囚われている人々を確認」
部隊総括をしているパティーに連絡を入れる。
これより俺たちのチームはここの人たちの保護に努める。
例え魔族がこちらにやってきても、俺が入口でマジックバリアを展開していれば皆を守り切ることはできるだろう。
「了解。これより攻撃を開始する。α1は防御を固めろ、その他のチームは予定通り各魔族の排除を開始」
ヘッドセットから聞こえるパティーの声はやけに無機質に思えた。
俺とアンジェラ、それにハーミーが人族の確保を行った後、それぞれのチームが魔族の寝込みを襲うのが今回の作戦だ。
ミッションはスタートしているようだが、今のところ城内は静かなままだ。
ここにいる人達も誰一人起きていない。
この城の魔族はそれぞれ個室を持っており、一人で寝ている。
それは既にスパイ君で確認済みだ。
38人の魔族をそれぞれ3人一組のチームで次々に倒していく。
出来ることなら物音を立てられる前に暗殺することが望ましい。
「β3、排除完了」
「γ2、目標排除」
次々とヘッドセットに報告が入ってくる。
ちなみにα(アルファ)チームは『不死鳥の団』、β(ベータ)チームは『エンジェルウィング』、γ(ガンマ)チームは『アバランチ』をそれぞれ表している。
「ア、α3、第一目標排除」
今の震えた声はハリーか。
だいぶ緊張しているな。
「β2、エミリーが負傷した。ポーションで傷口を塞ぐ。バックアップをよろしくお願いします」
エミリーは『エンジェル・ウィング』のメンバーだったな。
大抵の傷なら俺のポーションで治るはずだから心配は要らないと思う。
「こちらα2……私のチームがバックアップ……する」
この声はボニーだ。
ボニーが連れているのはアルヴィンとシェリーか。
さっきからかなりのスピードで敵を屠っているようだ。
「γ1より、敵に動きがある。こちらの襲撃に気づきだしたぞ」
今のはロットさんだ。
「2階の北側廊下に3体の魔族を確認。γ2はバルコニーから外をまわって北側の一番端の部屋の窓から突入してください。それで挟み撃ちに出来ます」
スパイ君からの情報を管理しているゴブからの指示が入った。
今回は各チームに魔導パルス弾入りのハンドガンを支給している。
当然サイレンサー付きだ。
殺傷能力はほとんど無いが、命中すると体内の魔力の流れを乱し、数秒間酩酊状態のようにすることが可能だ。
魔力を使って驚異的な肉体能力を作り出している魔族に対してかなり有効な武器になると思う。
夜明け前に始まったこのミッションは太陽が昇る前に終了した。
こちら側にも数人の負傷者はでたが、ポーションのお陰で死者は出ていない。
考えてみれば四人くらいの犠牲者が出てもおかしくはなかった。
大怪我を負うものは居たが、即死しなければ大丈夫というアドバンテージは大きい。
敵の寝込みを襲い3対1で各個撃破出来たこともよかった。
まだ薄暗い廊下の一角でボニーと落ち合う。
「言われた通りババロスは拘束……した。イッペイの作った魔封じの首輪もつけてある」
「うん。見張りをつけて放置しておいて。俺は閣下と囚われていた人たちを診るよ。尋問はその後にするからアルヴィンに用意させといて」
「わかった」
相手の心が読めるアルヴィン王子がいれば尋問はさほど手間取らない。
最初にやらなければいけないことは人々に状況を説明することだろう。
それから健康診断だ。
居住区にいた人たちの栄養、健康、衛生状態はひどいもんだ。
洗浄魔法で綺麗にし、回復魔法で病気等を治していく予定だ。
「イッペイ」
「どうしたの?」
「尋問は私とアルヴィンがする。少し……休んで」
ボニーは心配そうにこちらを見ている。
その顔も装備にも返り血が付いていた。
「わかった。尋問は任せるよ。ボニー」
「ん?」
「愛してる」
周りに誰もいなかったので、囁きながら洗浄魔法をかけてあげた。
ボニーは洗浄魔法が大好きだから。
気持ちを言葉と行動に表すことって大事だもんね。
「知ってる。私も……だ」
夜が明けて凄惨な戦場の跡を、太陽の光が露わにしていく。
血の匂いが立ち込める回廊の一角で、俺たちはほんの数秒だけ抱き合った。
囚われの人々に現在の状況を説明したが、よく理解できていないようだ。
診察をするために階上の清潔な部屋へ移動させる際に魔族の死体を見て、ようやく状況を飲み込み始めたらしい。
だが彼らの顔に喜びの表情はない。
みな一様に不安そうな顔をしていた。
ここで気が付いたのだが、人々の中には魔封じの首輪をしている者がいる。
この人達には魔力があるということか?
第七階層や第八階層の住人は魔力を持っておらず、転送魔法陣による移動はできなかった。
第九階層の人々は違うのだろうか?
それともここは七層や八層のような亜空間ではないのか?
いまだ謎が多い。
診察用の部屋に入室させる時に、一人一人を洗浄魔法で清潔にしていったが、魔法をかける際に目があっても怯えたようにみんな目を逸らした。
自分たちが解放されたと聞いても、俺たちに対する不審は拭えないようだ。
閣下と二人で検査したが、ほとんどの人が何らかの病気に罹患していた。
皮膚病や腫物が多い。
不衛生と栄養失調が原因だ。
治療が終わると次は食事だ。
料理の手伝いを頼むと、特に問題なくこちらの言うことは聞いてくれる。
ただし、一つ一つを指示しないと、どうしていいのか分からないようだ。
これまで自分で考えて行動する状況になかった環境が、彼らから思考能力を奪っているようだった。
居住区にいた人々からは意思というものがほとんど感じられないのだ。
これからのことを考えると頭が痛くなる。
「パティー、この人達の名簿を作って欲しいんだけど頼めるかな」
「わかった。名前と年齢、性別、後は何が必要?」
「出身地なんかも聞いてみて。そこから第九階層の情報をなるべく引き出して欲しいんだ」
「了解」
今後何をするにしても、作戦立案のために名簿は必要不可欠だ。
「さあできたぞ! みんな、俺の作った『奇跡のジャガイモ』を食べてくれ!」
突如、室内にパイルさんのご機嫌な大声が響いた。
極太の彼の手には大皿が握られており、その上にはパイルさんお得意のジャガイモのオーブン焼きが山盛りになっている。
「パイル、またジャガイモかよ。もう飽きたぜ」
仲間のうんざりした表情などパイルさんは完全無視だ。
「あいつのことは気にすんな! みんな食べてみな。うまくてびっくりするからさ!」
いきなり食べろと言ってもまだ食事の支度中で誰も席に座っていないのだ。
「ほれ、食ってみなって。こいつは出来たてが一番うまいんだ」
パイルさんが傍らにいた中年男性に大皿を突き出す。
「あ……う……」
ジャガイモを突き出された男性はどうしていいか困り果てている。
「つまみ食いが一番うまいんだぜ! 食ってみろって」
長身マッチョのパイルさんに再度促され、男は怯えたようにジャガイモをつまみ、口の中に入れた。
「どうだぁ?」
ジャガイモを咀嚼する男はしばらく不安そうな顔しかしていなかった。
だが、ある瞬間に男の目に涙が溢れた。
「味が………………味が……する……」
「へへっ、美味いだろ?」
たぶんパイルさんの作った料理が彼の中の何かを呼び起こしたのだ。
呆けたような表情をしながらもその目には、先程までなかった生気が宿りはじめていた。
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