第219話 行動原理
「天敵」という言葉がある。
ある生物に対して捕食者となる他の生物のことを言う。
特定の種の生物を殺し、ひいてはその種の繁殖を抑えているような生物のことだ。
人間にとっては魔族がまさにこの天敵に当たる。
自然界の天敵と違う点があるとすれば、魔族は人間をただ捕食するだけではなく、労働力としても使役する。
また、魔族の性格に起因した加虐的欲求や性的欲求を満足させる対象ともなる。
急きょ作成した氷のドームにゴブとアンジェラを除く34人が集まっていた。
俺たちが集めた第九階層の情報をもとに今後の方針を話し合うためだ。
集まった人々の顔は一様に暗い。
第九階層が人間の天敵である魔族のひしめく地帯であることに皆が大きな衝撃を受けていた。
「実際のところ第九階層にはどれくらいの魔族がいるんだ?」
ロットさんがこめかみを抑えながら聞いてくる。
「城の魔族は38人らしいですが、第九階層全体ともなると想像もつきません。そもそも第九階層全体の広さも、ここが亜空間なのか地上の何処かなのかさえも不明です」
まだ第九階層に着いたばかりでわからない点が多すぎるのだ。
下手に魔族を刺激すれば、魔族が大挙して迷宮に攻め入ってくる可能性もある。
俺たちの判断だけで、安易に第九階層の探索に乗り出すことはできないと思う。
「妥当なところとしては、一度冒険者ギルドやボトルズ王国の首脳に報告を入れるべきでしょうね」
もしここが魔族の国だとするならば、俺たちは不法入国の罪に問われても文句は言えない可能性も出てくる。
第九階層の調査をするにしても政治的判断が必要ではないだろうか。
俺たちはただの冒険者であり、勝手なことはできないだろう。
「ということで俺としてはボトルズ王国の判断を待つしかないと思います」
一応俺の意見を伝えると、多くの者がつまらなそうな顔をしながらも頷いてはいる。
「今後の方針ですが、ギルドへ報告するための帰還班と、秘密裏に九層を調査する班に分けるべきだと考え――」
「ちょっと待てよ……」
俺の話を遮ったのはジャンだった。
「さっきの女は、あのラナって娘はどうなる?」
そんなことは想像もしたくない。
「おっさんも見ただろう。さっきは魔族の汚れた足を口に突っ込まれてたんだぜ」
それ以上言わないでくれ。
「夜になれば、更に薄汚れたものを身体のあっちこっちに突っ込まれるんだ……。おっさんだってわかってるんだろっ!!」
わかっている。
魔族が人間をどう扱うかは俺も知っていた。
「黙ってないでなんとか言えよ」
「ジャン……どうしていいか俺も正直わからないんだ。彼女たちを助けたとしてその後どうする? ネピアまで連れて帰るのか?」
「必要だったらそうすればいいさ」
「103人の人間だぞ! どうやって運ぶ!? しかも氷雪地帯に砂漠地帯、魔物が跋扈する迷宮の中を103人を護衛しながらどうやってネピアに戻るんだよ!!」
ついつい俺も怒鳴ってしまった。
無性に腹が立っていた。
「そんなもんは後から考えるんだよ!」
「それを無計画というんだ!」
ジャンは少しだけ考えた後で、幾分トーンを抑えた声で話しかけてきた。
「おっさんは何を怖がってるんだよ?」
ジャンのくせに随分核心を突いた質問をしてくる。
「俺は……人の争いに巻き込まれるのが嫌なんだ。誰かの人生を背負うとか、第九階層の人族の運命を背負うとか……俺にはできない。重すぎるんだよ……。ジャンはあのラナという子のことを最後まで面倒みられるのか?」
「……無理だ」
「だろう。だったら――」
「だがそれは、今あいつを助けない理由にはならない」
ジャンは正しい。
そこは理解している。
でもやっぱり、城の魔族を倒して、解放した人々を放り出したとすれば、それは助けたことにはならないのではなかろうか?
でも目の前で苦しんでいる人を放置するのは同じこと。
だけど俺たちが手を出すことによって今後彼女らがよりひどい扱いを受ける可能性だってある。
今のところは食料にはされていないようだ。
でも、やっぱり……。
こうやって俺の思考はぐるぐると堂々巡りを繰り返した。
「私も
アルヴィンもジャンに賛同した。
口には出さないがハリーも気持ちは一緒らしい。
「おっさん、ラナを見て何とも思わなかったのかよ? そんなの……そんなの俺の知ってるおっさんじゃねえ! そんなおっさんはっ!」
ジャンの放った拳は自動生成されたマジックバリアに阻まれたが、俺の心にはダメージが入っていた。
これが、若さか……。
熱いものがこみ上げてきて、眼の端に涙が滲んだ。
「おっさん、一つだけ聞く。おっさんはあの子を助けたいか? それとも放置したいか?」
よく、大人はずるいと言われる。
だけど、子供だって十分ずるいと思う。
そんな聞かれ方をされたら答えは決まっているじゃないか。
「そりゃあ助けたいさ」
「だったら手伝ってくれ。後のことは俺たちが考える」
決然とした表情でジャンは言った。
ジャンとのやり取りを見守っていたロットさんがヘラヘラと笑いながら口を開く。
「イッペイ、俺たちは政治家でも軍人でもねえ。ただの冒険者だ。自由にやらせてもらうぜ」
周りを見れば、少年たちの熱気に
結局、城の人族を救出することが全会一致で決定した。
確かに人族の扱われようを見れば助けたい気持ちにはなる。
さすがにあれを見捨てることはできない。
ただ、俺としてはボトルズ王国が責任を持つというお墨付きを得てから救出作戦に乗り出したかったのだが、事態は俺の思惑を超えて動いていきそうだ。
そして今、俺は30分後に開かれる作戦会議のために城の見取り図を作製中だ。
スパイ君やアンジェラからもたらされる情報を基にフリーハンドで書いていく。
ジローさんの中には俺しかおらず、低い空調のうなりと、ペンが紙の上を走る音だけが聞こえていた。
後部ハッチが開いて、入ってきたのはパティーだった。
「どう、すすんでる?」
パティーが暖かい飲み物を渡してくれる。
匂いでココアだとわかった。
前にもこんなことがあったような気がする。
パティーの作るココアは美味しいのだ。
「ああ、ほとんど完成だよ」
俺はココアに息を吹きかけるふりをして、ため息を隠した。
でもパティーは苦笑していたのでバレバレだったようだ。
「まだ気が進まないの?」
「救出作戦はいいさ。あの人たちを見捨てることはできない」
パティーが優しく俺の肩に手を置いた。
最近では皆の手前スキンシップはとっていない。
随分久しぶりにパティーに触れられた気がする。
「やっぱり、今後のことが心配なの?」
「そりゃあね。救出した後にどうすべきか……」
「イッペイがそこまで責任を持つことはないわよ」
「うん。だからこそギルドの判断を仰ぎたかったんだけどね」
パティーの指に力が入り、優しく俺の肩をマッサージしていく。
凄く気持ちよくて、一瞬だけだが全ての憂鬱を忘れられそうだった。
だけど目の前にある城の見取り図が俺を現実に引き戻す。
「場合によっては魔族との大規模な戦闘になるかもしれない。できるなら自分の人生を戦争に費やすことはしたくないんだ」
「……だけどイッペイは第九階層の人族を見てしまったでしょう」
その通りだ。
だから自分には似合わない鬼退治をすることになってしまった。
他にやる人がいないんだからしょうがない。
人生というのは人の思い通りにはならないとつくづく思った。
たとえチートな能力を天に与えられたとしてもだ。
「わかってるさ。だから似合わないヒーローごっこをしにいくんだよ」
すっとパティーの指が離れて、次の瞬間にはキスされていた。
結構濃厚なやつだ。
ぷはっと擬音が響く感じで口を離すとパティーがしっかり俺の目を見ていった。
「そんな偽物の
かっこいいセリフを返したかったが、何も出てこなかった。
それどころかキスだけでアソコがたってる俺がいた。
もう30歳だけど、これが……若さか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます