第218話 裏門の町

 少女の名前はラナといった。

辺境に当たる「裏門の町」の警備隊長ババロスの奴隷だ。

いや、少女がいる場所で、人族は奴隷以下の家畜と同じ扱いを受けている。

単なる労働力に加えて食料という側面もあるからだ。

魔族にとって人族は美味なるご馳走でもあった。

幸いババロスはラナを食す気はないようだ。

なぜなら食料として人間を囲っておく場合は、十分に太らせるのが一般的だからだ。

皮肉なことだが、食べ物を与えられないことでラナは死の恐怖からだけは逃れることが出来ていた。

しかし、課せられる苦役は多く、屈辱に満ちた生活を強いられている。

ここでは生まれた時から奴隷の子どもも多いが、ラナは違う。

彼女は二年前にとある小さな漁村から攫われてここにやってきた。

人間狩りにあった当初こそ己の不幸に涙し、よく自殺を考えたものだが、最近は少しづつ感情がマヒしてきていることを自覚している。

一緒に攫われてきた子の中には精神に失調をきたし、壊れてしまった者もいた。

その子はいつもクスクス笑いながら、誰にも見ることのできない妖精さんとお話をするようになっていた。

辛い現実に耐え切れず、優しい妖精さんとの世界に引きこもってしまったのだ。

だから最初にその声が聞こえてきたとき、自分もあの子と同じように妖精の声が聞こえるようになったのかとラナは思った。




「おい……」

って、いきなり「おい」はないでしょうボニー。

ボニーのヘッドセットにつけられたカメラから送られてくる映像を見ると、少女はきょろきょろして、気が動転しているようだ。

天井からいきなり話しかけられたら当然そうなるだろう。

しかもボニーは壁の反響をうまく使って、自分の位置を悟られないようにしている。


「誰? もしかして妖精さん?」

なんで妖精さん?

「私は……影……」

「影?」

怖がらせてどうすんの!

「(ボニー、対象が怯えてる。もう少しフレンドリーな感じで)」

「(りょう……かい)」

接触はマリアにやらせた方がよかったかもしれない。

「こん……にちは~」

「……ど、どなたでしょうか?」

天井からするりと柱の陰に移動したボニーが身をあらわす。

「後ろ……だ」

振り向いた少女の目が大きく見開かれた。

「シャドウデーモン様?」

「そんな雑魚……じゃない」

少女は膝まづく。

「もっと高位の方でしたか。し、失礼いたしました!」

「うむ……大きな声をだすな」

「は、はい……」

どうやらボニーを魔族だと思っているようだ。

『不死鳥の団』の標準装備ってマスクをつけていると魔物に見えなくもないんだよね。

とりあえずは誤解させたままでおくか。

ボニーに人族だとはばらさないように指示をだす。

「君の……名前は?」

「ラナと申します」

「ふむ……ラナ、少々聞きたいことがある」

「はい。何でございましょう」

ラナという少女は小刻みに震えているようだ。

ボニーのことを高位の魔族と勘違いして怯えているのだろう。

「ここは……第九階層であってる?」

「はい?」

「質問に……答えろ」

フレンドリーはどこに行ったんだよ。

「申し訳ございません。この地が第九階層かどうかはわかりません。ここは裏門の町です」

裏門の町? 

ギルドカードの表示は第2位階に変化しているのでここが第九階層であることは間違いないと思う。

ただしシャムニクをはじめとする氷原の民も自分たちが亜空間に暮らしているという自覚はなかったし、第八階層の住人という意識も持っていなかった。

それと同じなのかもしれない。

「(ボニー、ラナに街の様子を質問してみてくれ)」

「裏門の町って……どんなところ?」

「え、えーと」

いきなりの質問に戸惑っているようだ。

もっと具体的に聞いたほうがいいだろう。

「この街には……何人くらいの魔族がいる? それから……人族も」

「魔族の方々は38人です。人族は103人います。ここは辺境ですので少ないです……」

「この城の魔族は全部で何人だ?」

「あ、さっきので全員です。裏門の町と言っても、住人はこの城の方々とそこに仕える私たちだけだから……」

つまりここは国境の砦みたいな場所なのだろう。

この時間、ほとんどの人族は外へ農作業などのために出払っているそうだ。

魔族の方はババロスを中心とした警備隊のようなものらしいが、勝手気ままに過ごすのが常らしい。

おそらく転送魔法陣があるこの場所を守っているのだろうが、そこから人がやって来ることはないので弛み切っているのだ。

まあそうなるわな。

俺たちがこの魔法陣を通ってやってきた史上初の人族なのだから。

見つかったら戦闘になるかな?

魔族の技量は不明だが、こちらは総勢36人いるので、奇襲をかければ制圧するのは無理なことではないだろう。

魔族との友誼が結べるのなら問題ないが、無理そうな気がする。

見つからずに物資を搬入して、探索を続けるのはもっと無理だろうなぁ。

あいつら人族を見つけたらどんな反応するんだろう?


「ババロスは人族をどのように扱っている?」

「そっ! ……それは……」

「正直に……言って」

「た、たいへん優しくして頂いております……」

震えるラナの姿が答えそのものだった。

「もし、この城に人族が来たら……どうなる?」

「そ、その、ババロス様の奴隷になるか、お召し上がりになるかのどちらかかと……」

「召し上がる?」

「は、は、はい。男の人ならシチュー、お、女の人なら炙り肉がババロス様の好物で……う、うぉえっ!! も、申し訳ございません!」

説明している内にラナは吐き気を催したようだ。

以前にそんな光景を見ているのかもしれない。

それにしてもラナの説明から判断するにババロスとはお友達になれそうにないな。


「この街の他にも……魔族の集落は多いの?」

「と、となりの「フゴイ」までは20キロほど離れているそうです。私は一度だけ通ったことがあります」

「通った?」

「その、私は昔ミノスラという村に住んでいて、そこからこちらに連れてきていただきました……」

「ミノスラ? 魔族の……村?」

「いえ……人族の村です。海沿いの……小さな、小さな漁村でした……」


奴隷を集める人間狩りにでもあったのだろう。

第九階層には海もあるのか。

それとも……。

「マスター、私のデータベースにミノスラという地名は三か所ございます。その内、海沿いにあるものは一つだけですが、その村は南大陸に存在しています」

ゴブはラナが南大陸出身の可能性があるといいたいようだ。

「ゴブ、南大陸のミノスラの近くに大きな街はあるかい?」

「カスマットという港町が比較的大きな街になります」


「(ボニー、ラナにカスマットという街を知っているか聞いてみてくれ)」

通信でボニーに指示を出す。


「ラナ、カスマットという街を知ってる?」

「! はい。私は行ったことはありませんが、お父さんが仕事で」

久しぶりに聞いた故郷の地名にラナが興奮しているのが分かった。

そんな些細なことにさえ幸福を感じているのかもしれない。

なんとなくわかる気がする。

この世界に来てから大分経ったけど、俺だって今誰かに、地元の地名を言われたら感動で涙を流すと思う。

 どうやらラナは南大陸出身のようだ。

ひょっとすると第九階層はこれまでのように亜空間ではなく地上の何処かなのかもしれない。

でも単にラナが地上から亜空間に連れてこられたという可能性も否定できないな。

いつものように観測ロケットを飛ばして調べればいいのだが、そんな目立つことをしたら魔族たちに見つかってしまうだろう。

それをするのはもう少し後だな。

今後のことをみんなで検討する必要があるか。


 報告のために第八階層へ行ったマリアがアンジェラを連れて戻ってきた。

「マスター、お呼びでしょうか?」

「うん。あらましはマリアから聞いてるね」

「はい。魔族の巣だとか」

「うん。アンジェラは適当な魔物にでも擬態して中の詳しい様子を探って欲しいんだ」

アンジェラの擬態ならそうそう見破られることはないだろう。

「承知いたしました。活動限界まで頑張ります」

アンジェラはゴブと違い、俺かゴブからMPを補給しないと3時間で動けなくなってしまう。

ランドセルのような外付けの魔導リアクターを装備すれば限界なく動けるのだが、その場合は擬態が出来なくなってしまうのだ。

「余裕を持たせるために二時間たったら戻ってきてくれ。ゴブはアンジェラをサポートしてくれ」

ゴブは魔導リアクターのお陰で俺と同じ波形の魔力を作り出せる。

つまりスパイ君などを操り、MPを供給することも出来るのだ。

ゴブを筆頭としたゴーレムたちがいれば諜報活動はかなり進むだろう。

その間に俺たちは今後の方針を決めるための会議をすることになった。

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