第207話 草を刈る君

 予定を過ぎること二週間。

四月中旬の曇天模様の空の下、四隻の船は次々とエリエルの港に入港した。

ようやくボトルズ本土に帰ってきたぞ。

はじめは新婚旅行のはずだったのに、いつの間にやら冒険旅行になってしまった。

だが、それも俺たちらしいと言えば俺たちらしくもある。

どうせ機会はいくらでもあるのだ。

今度はパティーとボニーの三人で旅をするのもいいだろう。

どうせまた冒険旅行になってしまいそうだけどね。


 海軍の皆さんとはこのエリエルでお別れだ。

俺たちはここから魔導鉄道でネピアへと帰る。

クルーザーは公爵が所有するドックへ係留させてもらった。

 港では、駅へ向かう馬車に乗り込む俺たちをたくさんの海兵たちが見送りに来てくれた。

リンドバーグ少佐もその一人だ。

「少佐は本当に除隊するんですか?」

「ああ。まとまった金も手に入ったし、恋人に酒場を経営させて、俺はオーナーに収まるつもりさ。もう切った張ったの軍人稼業はこりごりだよ」

今回の報酬で少佐はかなりまとまった額の報酬を手に入れたようだ。

少佐の恋人はエリエルの酒場で評判の美人さんらしいが、身分の差で結婚はできない。

少佐は四男坊とは言え貴族なのだ。

「お店が出来たら是非教えて下さい。きっと行きますから」

「ああ、是非来てくれ。店の名前ももう考えてあるんだ」

「へえ、どんな名前ですか?」

「酒亭 ヒスパニオラだよ」

海賊たちの猛攻を受けても沈まなかった海軍のフリゲートと同じ名前だ。

「いいじゃないですか!」

「南方のラムが恋しくなったら遊びに来てくれ」

そんな日がいつか来ると思う。

時が経ち、様々な文化が交錯するこの港町を俺はきっと懐かしく思うだろう。

再びこの地に来るときは南国らしい青空であることを願いたい。

その時、思い出を共有する友と飲むラムはどんな香りがするのだろうか? 

俺の人生にまた一つ、小さな楽しみが増えた。



 ネピアに戻り、久しぶりにサンガリアホテルに部屋をとった。

俺がこの世界に来たばかりの頃に利用した宿だ。

もう一年以上も前の話になる。

「これはミヤタ様、お久しぶりでございます。ご活躍はお聞きしておりますよ」

さすがはホテルマン。

フロントの人は俺の顔を憶えていてくれた。

黒目、黒髪、平たい顔なら憶えていて当然か!?

「2週間の予約をお願いします。来客が多くなると思うので応接間のついた部屋がいいんですけど、空いていますか?」

俺とグローブナー公爵、アルヴィン王子はここに部屋をとった。

ハリーとハーミーにはお金の節約になるので俺のアパートの部屋を貸してあげた。

若い二人はシングルベッドでも大丈夫だろう。

ボニーさんもアパートの部屋へ、パティーも子爵家の屋敷へと帰り、久しぶりに一人でのんびりできそうだ。

明日からは錬成作業が俺を待っている。

『アバランチ』のロットさんから頼まれた車両五台に加え、人数が増えた分、俺たちの新型車両も必要だった。

まずは錬成の場所探しをしなくてはならない。

規模も大きくなり、手持ちの素材や、魔石、備品も増えてきたのでアパートの物置だけでは場所が足りなくなっている。

どこか短期で借りられる場所を探そう。

俺たちの新居も必要なのだが、皆で投資したマンションはまだ建設中だ。

昨年の秋にヴァンパイアを倒して得た資産で建設を開始したネピア初の五階建てマンションで、図面はゴブと俺で引いた。

だけど完成は来年の2月になるそうで、すぐに入居とはいかない。

もっとも、これから迷宮に潜って数か月間は探索に明け暮れる予定だから、とりあえずは錬成場所があればそれで充分だ


 次の日はアンジェラだけを連れて不動産屋へいった。

他のみんなはそれぞれ用があるのだ。

ゴブには車両用の素材の買い付けに行ってもらっているし、面倒見のいいジャンがボニーさんと二人で、ハリハミ、殿下、シェリーをネピア観光に連れ出している。

パティーは『エンジェル・ウィング』の幹部たちと話し合いだし、マリアは孤児院へ、閣下は領主のコーク侯爵の所へ挨拶へ行かれた。


 街をアンジェラと歩いていると何度も奇異の視線を向けられた。

外国人にしか見えない俺が、十二歳くらいにしか見えない美少女を連れて歩いているのだ、不思議な光景ではあるだろう。

その内、通報とかされそうで怖い。

誘拐じゃないですよみなさん! と声を大にして叫びたかった。

アンジェラの方は見るもの全てが新鮮らしく、とてもはしゃいでいる。

「マスター、あの建物は何ですか?」

「印刷所のようだね」

「あれは何でしょう」

「新聞スタンドだね。牛乳やお菓子も買えるよ」

いつもそうだが、アンジェラは街に出ると質問が止まらなくなる。

普段はゴブやみんなと交代で答えているのだが、今日は俺一人だ。

「あの人は何をしているんですか?」

「た、立小便だよ……」

体の大きなおじさんが空き地で用を足していた。

「ジャン君の方が大きいです!」

「そ、そういうことは大きな声で言うもんじゃない」

「そうなのですか? なぜでしょう?」

「ひ、人の気持を傷つけるからかな?」

おじさんのものなんて見ていないけど、正直なところ俺と比べてくれなくてよかった。

「……オスのシンボルとしての生殖器を比べるべきではないと?」

「そ、そうだね。その方が平和な場合もある」

「なるほど! 勉強になります」

ゴブを連れてくるべきだったな……。

「マスター!」

今度はなに? 

アンジェラが呼びかけてくる度にドキドキする。

「ライラックの花が綺麗ですね!」

白と紫に色づいた花を眺める俺たちの横を、ようやく身づくろいを終えたおじさんが足早に去って行った。


 そうこうする内に目的の物件が見えてきた。

元々は製粉所だった家屋で川沿いに建てられている一軒家だ。

だが、随分前に製粉所は閉鎖され、今では廃屋と化している。

不動産屋によってドアの前だけ草が抜かれていたが、小さな庭には雑草が生い茂っていた。

俺が預かったカギを取り出すよりも早く、アンジェラが指を突っ込んで開けてしまう。

こういう時に流体金属は便利だ。

「随分と建物が傷んでいるようですね」

「しばらく使われてなかったみたいだからなぁ……」

扉を開けると締め切ってあった室内はかび臭かった。

窓を開けて空気を入れ替える。

元々は作業場だったらしく部屋は広い。

馬小屋も隣接されていて利便性が高い。

脇を流れる小川には水車が連結されており、昔はここで石臼が稼働していたようだ。

もう設備は全て取り外されており、部屋の中は家具一つない。

錬成場所としては充分だった。

「いかがですか、マスター?」

「元々は製粉所だけあって、荷物の搬出搬入が楽そうな造りになっているね。広さも申し分ない。馬小屋も出荷用の馬車を停める場所があるから、車両の駐車スペースに持ってこいだ」

「では、ここに決めますか?」

「そうしよう。せっかく来たんだから少し掃除をしておくよ」

「では私は庭の草刈りをしてきましょう!」

アンジェラは両腕を大鎌に変形させて出て行った。

暫くするとシャキーン、シャキーンと草を刈る音が聞こえてきた。

俺も生活魔法を使って部屋の中を清掃していく。

ここは車両を錬成する二週間だけ借りるつもりなので長逗留するわけではない。

実際、俺は二週間だけこの場所を借りて車両を九台作り上げた。


 エド少年はネピアの南地区に住んでいた。

天気のよい日でいつものように近所の子どもたちと朝から遊びに興じていたが、ちょうど水遊びをしようとしている時にエドは突然に尿意を催した。

だが、トイレのために家に帰れば、親に見つかって手伝いをさせられる可能性があった。

そこでエドは隣の製粉所跡の草むらで用を足すことにした。

エドにとって隣の空き家を使用するのは初めてのことではない。

近所ではこの廃屋は幽霊が出るなんて噂がされていたが、そんなのは空き家に入らせないために大人が付いた嘘ということを十一歳になるエドはちゃんと知っていた。


「やばい、やばい、やばい」

草むらに駆け込んだエドは大慌てでズボンをおろす。

パンツをおろすと同時におっしっこが迸っていた。

シャキーン

鎌が草を刈る音がして顔を上げたエドの目に絶世の美少女の姿が映った。

「まあ……、ジャン君よりだいぶ小さいです」

ジャン君とは誰なのだろう? 

一瞬そんなことを考えたが、少女に自分の小便姿を見つめられていることに気づいてエドは絶句した。

「あら、いけない。私はまた世界の平和を乱してしまいました。お許しください」

許してもらいたいのはエドの方だった。

すぐにでもしまいたいのだが、我慢の限界まで達していた尿は中々出尽くしてくれない。

その間も少女はエドから視線を逸らさずに草を刈り続けている。

「そのあたりの草は刈れませんね。手が汚れてしまいます」

言われて見た少女の手にエドは再び絶句する。

少女は鎌を手に持っているのではなく、少女の手が鎌だった。

「(刈られる!)」瞬間的にエドは自分の大事なところを少女の鎌に切り取られる想像をして慌てて逃げ出した。

おしっこがズボンを濡らしたがそんなことはどうでもよかった。

去り際に目が合った金髪の美少女はエドを見て妖しく微笑む。

「かわいい……」

風に乗ってそんな声が聞こえた気がした。

 その後、エドは恐怖をなんとかねじ伏せて何度か隣の廃屋を覗きに行ったが、そこにいるのは平たい顔の男だったり、目つきの鋭い中年だったり、筋肉ダルマのスキンヘッドだったりで例の美少女は居なかった。

ごついおじさんたちは自動車のようなものを見てたいそうはしゃいでおり、エドはその姿に恐怖した。

だが初めてあの美少女を見た時ほどの震えは来なかった。

そして、少女を見た日からちょうど二週間後、隣の製粉所は再び無人の廃屋へと戻ってしまう。

かつて自分が小便をした場所の草だけが他の場所よりも少し高く茂っており、過去の残滓を僅かに残しているだけだった。

 成長したエドは酒に酔うとよくこう言った。

「俺の初恋の相手は魔物だったんだ……」

大人になったエドの結婚相手は大鎌で麦を刈るのが得意な人だったとか。

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