第199話 海賊団
朝もやの中、ポーラ・スター号の甲板に一人の水夫の姿があった。
日の出前のこの時間には見張り以外誰も起きてはいない。
水夫は大きな鳥かごを抱えている。
籠の中には三羽の鳩がいて、日の出を待ちわびるように小さく鳴いていた。
水夫は無言のまま鳩を両手で持つと、未だ明けきらぬ空へと解き放った。
どの鳩の足にも「太陽は登った ブロング島へ向かう」という短い文面の手紙が付けられていた。
鳩は帰巣本能によって波の上を自分たちの家のある島へと帰っていく。
ここからならそう遠くない小島だ。
昼前には自分たちの巣に戻り、羽を休めることだろう。
こうして財宝が無事引き上げられたという隠語が記された手紙は海を渡り、宝をつけ狙う者たちへと運ばれていった。
仕事を終えた水夫はほっと安どの吐息をついた。
これで人質になっている彼の妻子は殺されずに済み、金貨十枚の報酬も手に入るはずだった。
目を覚ますと、まだ夜は明けていなかった。
夜明け前は一番闇が濃くなる時間だと聞いたことがある。
それの真偽はわからないけれども、窓から見える景色は真っ暗で、波の音だけが聞こえている。
「もう朝?」
パティーを起こしてしまったらしい。
「ごめん。まだ四時くらいだから夜明けまではもう少しあるよ。寝ていて」
起き上がろうとしたら強引にベッドの中に引き戻されてしまった。
抱きついてくるパティーの肌の触り心地がよくて、俺もしばらくじっと抱きかえしていた。
パティーの呼吸音を聞きながらとても落ち着いた気持になる。
でも、もうあと僅かでこんな生活も終わりになってしまうな。
俺たちはそれぞれのパーティーに戻らなくてはならないのだ。
「ごめんな……新婚旅行がなし崩し的に終わってしまった感じだもんな」
「私は楽しかったよ。財宝の引き上げも含めてね」
パティーの指がそっと俺の胸をなぞっていく。
「本当に?」
「うん。私もゴブ達みたいに海に潜ってみたかったな。こんな風に……」
パティーが大きく息を吸ってシーツの中に潜っていった。
日の出まではもう少し時間がありそうだ。
いつの間にか仄かに明るくなった外界の風景を閉ざすように、俺は少し手を伸ばしてカーテンを閉めた。
もう少しだけ、せめて夜が明けるまでは二人で甘い夢の続きをみていたかった。
最終的な引き揚げ作業と、沈没船の死者を弔う鎮魂式を終えたのは午前十時ころだった。
これより我々は補給のためにブロング島を目指し、そこからボトルズ王国南部最大の港湾都市エリエルへ帰港することになる。
魔導エンジンのついたクルーザーには関係ないが、今のところ風が弱く帆船のスピードは上がっていない。
エリエルへの到着は明日以降となりそうだ。
だが、風があるだけまだましだ。
これで無風状態にでもなったら目も当てられない。
オールを使って漕ぐことのできるガレー船でもない限り、まったく進めなくなってしまうのだ。
下手をすれば海流の影響を受けて、進行方向とは違う場所に流されることだってある。
最悪の場合は上陸用の小型ボートを全て出してロープで牽引するという、たいそう水夫に嫌がられる作業をしなくてはならなくなる。
「マスター、ブロング島が見えてきましたよ」
アンジェラの言葉に水平線の彼方へ目を凝らすのだが、何も見えない。
「あれね」
パティーが指をさしてくれるがやっぱりわからなかった。
そもそもブロング島は小さな島で補給地としてはメジャーではない。
今回は積み荷が積み荷なので敢えてマイナーな補給港を選択している。
「小さな港の割に混みあっていますね」
ようやく俺にも島の形は視認できたが、アンジェラのように港の様子などわかろうはずもない。
「そんなに混んでるの?」
「はい。大型のガレー船を筆頭に大小あわせて九隻もの船が停泊していますよ」
ブロング島にはなにか名物でもあるのだろうか?
リンドバーグ少佐は、ブロング島には漁船が休憩のために停泊するくらいで、嵐が近づいている時くらいしか大型船は立ち寄らないと聞いている。
「そんなに混んでいるなら、係留施設がいっぱいでとめられないかもしれないなぁ」
「ご心配なく。丁度四隻分の空きがありますわ。大きな船は湾の沖で投錨しているようです」
そいつはよかった。
その時の俺は深く考えることもなく、場所が空いていてラッキーくらいにしか思っていなかった。
港はいかにも鄙びた田舎といった風情で、特に目立つものはなく人もまばらだった。
港につきものの酒場も休業のようで扉は閉められている。
係留施設の係員に料金を払って上陸した。
先に係留を終えていた閣下や殿下たちと合流する。
なんでも丘の向こうに泉の湧く綺麗な森があるので、物資を積み込んでいる間にハイキングへ行くことになったそうだ。
「積み込み作業は2時間もかからないはずだ。それまでには戻ってきてくれよ」
リンドバーグ少佐から注意を受けて、俺たちは先ず町へと繰り出した。
「本当に何にもねぇな……」
ジャンがぼやくのも無理はない。
通りにあるのは民家ばかりで店というものがない。
通行人に店の場所を聞こうにも、人っ子一人いないのだ。
「なんか、様子が変じゃないですか?」
シェリーが周囲を見回しながら警戒を強めている。
そうはいってもあたりは長閑な田舎町だ。
「とまれ……」
「どうしましたボニーさん?」
「イッペイ……シールドを張れ。みんな……くるぞ」
そういってボニーさんが腰の刀に手をかけると同時に、鋭い口笛が鳴り響いた。
口笛と共に民家の屋根の上に200人を超える人間が現れ一斉に矢を放ってきた。
俺は閣下をかばいながらシールドを展開する。
最初の斉射を受けてボニーさん、ウォルターさん、マリアが負傷した。
3人はそれぞれ近くにいた人間を庇ったのだ。
『不死鳥の団』標準装備をつけていればこれくらいの攻撃では怪我をすることもなかったろうし、たとえ怪我をしてもポーションで回復できたはずだ。
だが、今はそんなことを悔やんでいる場合ではない。
間をおかず第二射が放たれるが先程より数は少なかった。
パティーがシールドを足場に飛び立ち屋根の上の射手を強襲したのだ。
続いて負傷したままのボニーさん、ジャンやマリア、殿下とシェリーも屋根の上に躍り上がった。
「ウォルターさん!」
ウォルターさんの肩と太腿から矢を抜いて回復魔法をかける。
「マスター、こちらへ!」
ゴブが民家の扉を蹴破り、室内を確保したようだ。
「その家を拠点にする。アンジェラは負傷者を運んでくれ。閣下、回復魔法をお願いします」
「心得た。ウォルターよ、入口を死守せよ」
「御意!」
「ゴブ、ボニーさんとマリアにポーションを渡してくれ」
「了解いたしました」
混戦の中でも俺はどこかで余裕を感じていた。
負傷者は十人を超えていたが即死した者はいなかった。
それは即ち俺の回復魔法でいくらでも治療できるということだ。
しかも『不死鳥の団』の精鋭が揃っているのだ。
戦闘は長くはかからないと思っていた。
だが俺の感覚などあまりにも楽観的過ぎたのだ。
「イッペイ!
入口からアルヴィン殿下が入ってきた。
その背中に担がれたジャンを見た時、自分の血がすっと引いていくのが分かった。
ジャンの身体にはハリネズミのようにたくさんの矢が刺さっていた。
「私とシェリーを庇ってやられたのだ」
「軽症のアルヴィンとシェリーは私が診る。イッペイは彼の治療をしたまえ!」
閣下の声で我に返った。
「ジャン、死ぬなよ」
「バカか……急所くらい……外してあらぁ」
幸い意識はしっかりしているようだ。
コイツの憎まれ口をこんなにうれしく思ったことはなかった。
「誰か、矢を抜くのを手伝ってください!」
「おっさん、急いでくれ。敵に……やばい奴らがいるんだ」
ジャンの表情に戦慄を憶える。
「パティーとゴブもいるんだぞ?」
「ああ。だが奴らも相当な
名前を言われても俺にはどんな海賊なのかはわからない。
「ボトルズ、イスリア、サンフランセアなど数国を股にかける大海賊団じゃよ」
閣下の説明で港にあった九隻の船を思い出した。
もし、あれら全てが海賊船なら敵の規模は2000人を超えているかもしれない。
対してこちらは300人しかいないのだ。
彼我の戦力差は圧倒的だった。
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