第196話 幻のクラーケン

 南国にしては少し寒い風の吹く日だった。

三隻の船が時間をおかずにスドロアの港から離れていく。

はじめに帆をあげたのはグローブナー公爵の所有するガレオン船・ポーラ・スター号である。

それに続くのがボトルズ王国海軍所属のフリゲート艦・ヒスパニオラ号だ。

そして最後にイッペイ達が乗り込んだクルーザーが二隻の船を追いかける形で出港した。


「アンジェラ、頼む」

「はいマスター。……船体とのシンクロ率100パーセント。魔導エンジン始動。チェック項目0番から128番までオールグリーン。アンジェラ、出港します」

船の行動は完全にアンジェラの統制下に入っている。

一連の動作はベテランの船乗りが操るよりもスムーズに行われていた。

「一定の距離を開けたままグローブナー公爵の船を追うんだ」

「了解しました。各種センサーにてポーラ・スター号を捕捉。相対距離を保ちつつ追跡を開始いたします」

あとはアンジェラに任せておけば安心だ。

彼女は人型ゴーレムであると同時に、今はこの船自身となって大海原を走っているのだ。


 居間では、緊張のためにコチコチになったハリーとハーミーが直立不動で固まっていた。

波があるのによくあの態勢で立っていられるものだと感心してしまう。

だが、それもそのはずだ。

二人の前でソファーに座っているのは現国王の叔父であるアーサー・グローブナー公爵なのだから。

出航前にお忍びできた公爵がすっかりアンジェラの船体に魅せられてしまい、どうしてもこの船に乗りたいと言い出したのだ。

ゴブやアンジェラは満足そうな顔をしていたが、ハリーとハーミーにとっては青天の霹靂へきれきだった。

ハリハミにとって貴族など雲の上の存在であり、せいぜいがスドロアの領主を遠くから眺めた経験があるくらいのものなのだ。

まさか大貴族と同じ部屋の中で過ごすことになるなど想像したこともなかった。

「閣下、改めてご紹介いたします。この二人はハリーとハーミーと申します。魔法使いであり、この船のクルーでもあります」

促されてハリハミも何とか挨拶する。

ハリーが吐きそうな顔をしているがもう少しだけ頑張れ!

「うむ。厄介をかけるがよろしく頼む」

大貴族にしてはとんでもなく気さくな言葉を閣下がかけるが、ハリハミの緊張は解けないようだ。

「先程も説明したけど、こちらはアーサー・グローブナー公爵閣下だ。隣に座っているのはコーデリア・ルートビアさん。後ろにいるのはお付きのウォルター・ルーカスさんだ。閣下が快適な旅をおくれるように二人も協力してくれ」

「は、はひっ!」

この緊張はしばらく解けそうにないな。

これ以上は可哀想なので、挨拶が済んだら二人を自室に戻してやった。


「可愛らしいカップルだこと」

コーデリアが妖しく目を光らせながら二人の後ろ姿を追っている。

「変なことしたら船から叩きだしますよ」

「うふふ、わかってますよイッペイさん」

本当にわかっているのだろうか。

ハリーにいらないちょっかいをかけてきそうでとても怖い。

その結果ハリハミの間に亀裂が入ったら大変だぞ。

「マスターご安心を。船内のことなら私にわからないことはありませんので」

うん、アンジェラが目を光らせておいてくれれば安心だ。


「そんなことよりもイッペイ、早くこの船について説明してくれんか。それにこのアンジェラというゴーレムについてもだ」

閣下は魔導エンジンを搭載したクルーザーとアンジェラに夢中だった。

別にロリコンというわけではなく、純粋に学術的興味を持っているだけだ……と思う。

でも初老の閣下が興奮しながらアンジェラの手に触れている姿はちょっとアブナイ感じに見えてしまうぞ。

「(アンジェたん……ハア、ハア)」

「(ゴブ、思念で閣下のモノマネはやめてくれ)」

しかも結構似ている。

「(申し訳ございませんマスター。衝動を抑えきれませんでした)」


 アンジェラは船と自分の流体多結晶合金について丁寧に閣下に説明している。

この船をたいそう気に入っているグローブナー公爵が好きになったようだ。

ハリハミとは違って全く緊張もしていない。

今は閣下と流体金属の可能性について大いに語り合っている。


 俺は後ろに控えているウォルターさんに話しかけた。

「それにしてもかなり極秘にことを進めていたようですね。リンドバーグ少佐も閣下のことはご存じなかったようでした」

「それはそうでしょう。推定20億リムを軽く超える財宝ですから」

「そうかもしれませんが、フリゲート一隻では護衛艦として足りないというのは大袈裟ではありませんか? ヒスパニオラ号の乗員はスモレット船長をはじめ優秀な方ばかりでしたよ」

この世界の艦隊戦は大砲の代わりに魔法使いが攻撃魔法をぶっ放すのだが、ヒスパニオラ号に搭乗している魔法使いの質も高いようだった。

「ええ、相手が海賊程度でしたら私の配下だけでも充分でした。ポーラ・スター号には閣下の手のものが揃っていますからね」

「敵は海賊だけではないと?」

「そうなのです」

ウォルターさんの顔に深いしわが刻まれている。

事態はかなり深刻なのか?

「最近、例の海域で大型の魔物の存在が複数報告されているのです。被害にあった船は七隻です。しかもうち一隻はガレオン級の戦艦でして……」

「軍艦がやられたんですか!?」

軍艦なら商船と違い強力な魔法使いが乗っていたはずだ。

弓兵だって100人単位で攻撃しただろう。

それが沈められるとはとんでもない化け物だ。

「どんな魔物何でしょう」

「生き延びた人間の証言から考えますに、おそらくクラーケンです」

ゴブが自分に内蔵された記憶の石板からクラーケンの資料を思念で送ってくれた。

この世界のクラーケンという魔物はほぼ大型のイカと言っていいだろう。

だが大きさは地球のダイオウイカなど比較にならないくらい大きい。

触腕を含めると体長は40メートルを超えるのだ。

「……厄介な相手ですね」

「ええ。ですから私はもう一隻軍艦を派遣してもらえるようにお願いしていたのです。幸い軍艦ではなくイッペイさんが来てくださいましたがね。この船の魔法使いはハリー君達ですか?」

確かにハリハミは魔法使いなのだが艦隊戦の経験もなければ、艦船を沈めるほどの魔法も撃てない。

とてもじゃないがクラーケンに有効なダメージをいれられるとは思えなかった。

「彼らはまだ見習いみたいなものです。魔法攻撃にはあまり期待しないでください。その代わりと言ってはなんですが、一応船に武装はついています」

万が一を考えて魚雷は四発搭載してはある。

「クラーケンが出て来たら私が出るわ!」

シールドリングとワイヤーフックを見せながらパティーが張り切っている。

シールドの足場を使って海上からクラーケンを攻撃するつもりなのだろう。

パティーなら大丈夫だとは思うが、敵が海中から出てこない時は厄介だな。

その時は魚雷を叩きつけるしかないか。

もしくはゴブが……。


「マスター、通信が入っております。マスターの携帯通信機にお繋ぎしますか?」

アンジェラの声に思考が途切れる。

「頼む、繋いでくれ」

「了解です。お繋ぎしました」

相手はボニーさんかな?

「こちらイッペイ」

「イッペイ……まだ?」

ボニーさんたちは合流地点の無人島に既についてしまったらしい。

「現在移動中です。あと二時間くらいはかかると思います」

「早く来ないと……イカ焼きなくなる」

イカ焼き?

「ボニーさん、これ臭すぎて食えねえや!」

後ろからジャンの声が聞こえてきたぞ。

「ボニーさん、イカ焼きって何? もしかしてクラーケンを倒したの?」

「知らん……でっかいイカだ」

あ、パティーが物凄く悔しそうな顔してる。

「ど、どうやって倒したんですか?」

「霞から雷帝……のコンボ」

技の名前を言われてもわかんないよ。

「早くこい……お腹が空いた。このイカ……臭くて食べられない」

それだけ言ってボニーさんは通信を切ってしまった。


ウォルターさんがじっと俺の顔を凝視している。

「え~、クラーケンは大丈夫そうです……」

「そ、そのようですな……」

俺とウォルターさんは同時に大きな息をついた。

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