第190話 俺の左腕よ、静まれ……

 手押し車の中の流体金属はメタルスライム十数体分になり、重量は四十キロを超えている。

この荷車を作っておいてよかった。

さもなければ泣く泣く素材をおいてくることになっただろう。

一見普通の荷車に見えるが、車輪の部分に魔力アシストがついている。

市販されている手押し車を改造して作成したものだ。

「パティー、そろそろ今夜のねぐらを確保しよう」

「了解。適当な小部屋があったら占拠するわ」

先行するパティーに休憩場所を確保してもらう。

今夜は迷宮の中で一泊だ。第三階層に入ってから、俺は前衛をパティーに任せ、手押し車を運ぶいつものポーターに戻っていた。

悲しいけどこのポジションがやけに落ち着くぜ……。

 部屋を確保したら野営の準備だ。

「イッペイ、先に洗浄の魔法をかけてもらってもいいかな? スドロアはやっぱりネピアに比べて暑くって」

パティーに頼まれたので体だけじゃなくて、鎧や服も全て【洗浄】で綺麗にした。

「生活魔法ですか? 便利ですね」

ハリーが珍しそうに見ている。

この手の魔法が使える人間は貴族の屋敷などに勤めるのが一般的だ。

あまり迷宮では見かけない。

「女の冒険者には喜ばれるんだよね。ハリーとハーミーもかけてあげるからおいでよ」

『イッペイ……して……』

えっ?!

幻聴か? 

ボニーさんの声が聞こえた気がした。

ボニーさんにはしょっちゅう【洗浄】をねだられたもんな。


 みんなを綺麗にした後は夕飯の準備だ。

お互いに食材を持ち寄って分けた。

ハリーの持ってきた完熟マンゴーと、俺の持ってきた生ハムが凄くよくあった。

マンゴーの甘みと生ハムの塩味が絶妙にマッチする。

「これ、すごく美味しいです」

神妙な顔をしていたハーミーが生ハムマンゴーを食べて笑みをこぼす。

「王都で生ハムを塊で買ってきたんだ。向こうではメロンと一緒に食べるんだよ」

「メロンですか……」

「スドロアのメロンとは品種が違うみたいだけどね」

ハーミーは生ハムとフルーツの組み合わせが気に入ったようだ。

「ハーミー、僕の分も食べるかい?」

「いいよ……ハリーが食べて」

「ほら、半分あげるから」

ハリーとハーミーがなにやらイチャイチャ始めたので放置するとしよう。

そういえばパティーは人前では絶対に甘えてこないんだよね。

唯一の例外はコーデリアの前くらいかな。

エスコートする時以外、指一本触れてこないんじゃないかな? 

俺としてはその方がありがたい。

『不死鳥の団』や『エンジェル・ウィング』の皆の前でイチャイチャするのは気が引けてしまうもんな。


 夜が更けて、俺が最初の見張り番だ。

ゴブがいないので交代で警戒をしなければならない。

こんな夜は錬成に限る。

昼間集めた流体金属を使って早速道具作りだ。

最初に考えたのは流体金属で出来たガントレット型ゴーレムだ。

普段は硬い防御用のガントレットだが、攻撃用に手甲部が伸びて剣になったり、拳のようになって飛び出すギミックを付けてみた。

左腕に装着するので「ヒダリー」と名付けよう。

近接戦闘がまるでダメな俺の代わりにヒダリーが戦ってくれるわけだ。

ぶっちゃけ、マモル君とヒダリーでおんぶにだっこだな。

情けないが第八階層で生き残るために出来ることは何だってやるつもりだ。


 左腕のワイヤーフックを外してヒダリーを装着した。

これからはヒダリー一つでワイヤーフックの代わりにもなる。

結構重たいけど着け心地は悪くない。

ヒダリーにシャドーボクシングのような動きをさせてみる。

重量のため左腕が下がったような構えになるが、そこから高速のパンチが繰り出された。

まるでフリッカージャブみたいだ。

鞭みたいにしなる、軌道の読みにくいパンチがビュンビュンとうなりをあげて連打される。

普通の人間なら一撃で昏倒してしまうだろう。

「くくく、左腕が疼くぜ……」

中二病的戯言はともかく、ヒダリーは道具作りにも非常に役立つ。

手が三本になった様なものだから、何かを持っていてもらったり、支えたりと痒い所に手が届くのだ。

もちろん背中だって掻いてくれるぞ。


 時間が来てパティーと見張りを交代した。

薄手の毛布を被り、目を閉じる。

ゴブはアンジェラをどうするかもう決めただろうか? 

明日は迷宮最深部まで潜り、明後日には帰還予定だ。

ゴブが納得のいく答えを出してくれればいいと思う。

アンジェラのコアやボディーを作るのに必要な素材があれば全部集めてやるつもりだ。



「イッペイ、起きて」

パティーに揺り起こされた。

珍しく寝過ごしたようだ。

「ごめん。……久しぶりの迷宮で気が緩んでるな。いつもより深く寝入ってたみたいだ」

「そうね。少し気を引き締めていきましょう」

朝食は珍しくパティーが一人で用意してくれていた。

フライパンで軽く焼き直したパンにクリームチーズを塗って、スライスしたキュウリとオニオン、厚切りのハムが挟んである。

横にはフルーツサラダと紅茶が湯気を立てていた。

「深窓の令嬢とは思えない手際の良さだね」

「私は窓から飛び出したイレギュラーですからね」

普通、子爵家のお嬢様は料理なんてしないものだ。

だけどパティーは長い冒険者生活の中で簡単な料理ならこなせるようになっている。

今朝の丸パンのサンドイッチも、シンプルだが味は良かった。

こういう飾らないけど味わい深い朝食がやけにパティーらしいと感じた。


 朝食を食べながらハーミーがおずおずと話しかけてきた。

「あの、パティーさんは貴族なんですか?」

「元貴族よ。今は貴族籍を抜けたただの庶民なの」

「あの、どうして元貴族の方がこんなところで夫婦で冒険者をやってらっしゃるんですか? その……差し支えなければ教えていただけたら……」

パティーは笑いながらハーミーに、俺と結婚するために貴族籍を抜けたこと、今は新婚旅行でケウラス群島に来ていることを説明した。

「すごい! 恋愛小説みたいです! 私、感動しちゃいました!」

女の子はこの手の話が好きなのかもね。

その後も俺とパティーの馴れ初めや、どのように結婚に至ったかをハーミーは根掘り葉掘り聞いていた。顔を真っ赤にしながらそれに答えているパティーが可愛らしかった。

「ハリー達はここで冒険者を続けていくのかい?」

「いえ。僕らはもうすぐネピアに行く予定なんです」

「はい。二人で貯金してるんです。五十万リム貯まったら一緒にネピアへ行こうって」

若いっていいなぁ。

ハリーもハーミーもなんかキラキラしてるよ。

いや、俺も若いんだけどね。

ここの迷宮はあまり強い魔物がいないので、稼ぐのが難しいのだ。

その分、死亡する冒険者も少なく、少額ではあるが安定した収入を得ることも出来た。

だがハリーとハーミーには魔法の才能がある。

二人がより稼げる都会を目指しても不思議はないだろう。

「もう少しで五十万リムに手が届きそうなんですよ。だから手っ取り早く稼ごうと迷宮にやってきたんです」

確かに普通のアルバイトよりは迷宮の方が稼げるかもしれない。

自分の命をベットする危険な賭けではあるが。

「ネピアのギルドでは初心者講習会というのがあると聞きました。それに参加して、低階層から少しずつランクアップを目指そうと思っていました」

ハリーも一応はいろいろ考えているようだな。

「私たちももう十八歳なのでそろそろ家を出ないといけないんです。だったら二人でネピアに行こうって」

なるほどね。ハーミーも家で居場所がないのかな。


 朝食の片づけをしながらパティーと相談して、ハリーとハーミーをアンジェラに乗っていくように勧めることにした。

俺たちの予定では、帰りはデニムズ運河は使わずにエリエルの港までアンジェラで移動し、そこからは魔導鉄道でネピアへ直接帰るつもりだ。

船旅分の旅費が浮けば、二人にとってはかなり出費が抑えられることになる。

この話を持ち掛けたら二人に大喜びされた。

これも何かの縁だろう。



 迷宮最下層は神殿のような大広間だった。

かつてはここにダンジョンのボスである双頭の大蛇がいたのだが、大昔に倒されている。

今はひっそりとしていて魔物すらいない。

最新の研究では倒されたダンジョンのボスは一〇〇年から五〇〇年周期で復活するそうだ。

ボスが倒された当時、この大広間に巨大な魔法陣が浮かび、次元の裂け目が現れたという記録がある。

それが何だったかを確かめる術はもうない。

裂け目が開いていたのは僅かな時間だったらしい。

今では何の痕跡も残されていなかった。

さあ、ゴブの待つ地上に帰るとしよう。

今頃あいつは首を長くして待っているはずだ。

俺たちは静謐せいひつが支配する迷宮最下層を後にした

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