第185話 海の言霊

 南に進むにつれて海の色が明るくなっていく。

ここはもうケウラス群島の海域で亜熱帯だ。

たまに目にする小さな無人島も真っ白な砂浜を広げている。

ちょっと上陸して、のんびりとランチを楽しんでみたい気分だったが、先に懸案事項を終わらせておきたかった。

それは海賊カドルッスから預かった金のペンダントだ。

こいつをカドルッスの奥さんに渡してやらなければならない。

パティーの水着姿が待ち遠しかったが、ぐっとこらえた。


 コマケラ島はケウラス群島にあって、中規模の人口を有する小さな島だ。

島のおもな産業はラム酒の醸造と砂糖工場、漁業だそうだ。

小さな港に小さな集落、それを取り囲むように広いサトウキビ畑が広がっている。

パティーたちには港で待っていてもらい、神官服を着て、一人でカドルッスの奥さんを訪ねた。

ついでに宝島についての聞き込みもしたかったので、万が一に備えて変装したのだ。

強い日差しの当たる坂道をのぼると、教えられたとおりの場所に小さなラム酒の醸造所はあった。

奥さんはここで働いているそうだ。

神官服を着てきて正解だった。

奥さんを呼び出してもらうのにも何の疑いも持たれなかった。


「こんにちは神官様。アタシにどういった御用で?」

奥さんは少し太めだが、愛嬌のある顔をしていた。

40歳くらいだろうか。

俺は努めて事務的に話すよう心掛けた。

「カドルッスさんの奥さんのアダさんですか?」

「はい。夫は商船にのって遠い外国へ行っておりますが……」

間違いないようだ。

「残念ですがカドルッスさんは海難事故で亡くなりました」

「なっ!!」

俺はあらかじめ打ち合わせた通りの嘘をついた。

「これはカドルッスさんが持っていたペンダントです。それからこちらの財布も……」

奥さんはその場に跪き、財布とペンダントを握りしめて泣き出した。

夫婦の仲は悪くなかったのだろう。

カドルッスが海賊をやっていたことも知らないのだ。

カドルッスは奥さんに自分の仕事を言えなかったらしい。

 俺は彼女が泣き止むまでその場に佇み、死者へと手向ける祈祷を口ずさむ。

「いきなさい あなたは額に汗を流してその日の糧を得る 土にかえるその時まで 大地から糧を得たあなたは 死しては土にかえるのだ 土より出でて土へとかえるよう 塵より出でて塵へとかえるよう 星より出でて星へとかえるよう」

偽神官の祈りがこの後家の心をどれほど慰めるのだろうか? 

照りつける南国の白い日差しの下、甘いラムの香りの中を、まがい物の祈祷は無害な音楽の様に雲に吸い込まれていった。



「おかえりイッペイ」

パティーの笑顔に癒される。

ぎゅっと抱きしめて全身で癒してもらおう。

「お疲れ様」

パティーは俺の背中を優しく撫でてくれた。

さっきまでラムのロックでも飲みたい気分だったけど、パティーに癒されたから爽やかなモヒートに変更だ。

モヒートはラム、ライムジュース、ミント、砂糖、炭酸でつくる爽やかなカクテルだ。

熱い季節に美味しい。

「さっき、誰もいない静かな砂浜を見つけたの。泳ぎに行こうよ」

遂にパティーの水着姿解禁ですか! 

もちろん一糸まとわぬ姿も見てるんだけど、それはそれ、これはこれなんだよね。


 ビーチに到着して、シャツの下から出てきた水着は白のビキニだった。

まさに直球ど真ん中、渾身のストレートをくらった気分だ。

「これ、下着みたいで恥ずかしんだよね。でも、イッペイこういうの好きでしょう?」

何で知ってるの?! 

パティーの身体にダイブしたいけど、見つかったら大騒ぎになってしまうかもしれない。


 波打ち際を走るパティーを見てゴブが言う。


「まさに青春の海ですな。以前に読んだ『ヴィーナスたちの砂浜』『海の言霊―パイオツカイデー―』の世界そのままでございます」

どんな小説だろう? 

後者が特に気になった。


 午後のひと時を砂浜で遊びアンジェラに帰った。

アンジェラは漁港の一角に係留されている。

港では漁師さんたちが船の近くで網などを繕う姿が見られた。

この人達なら宝島の絵を見せれば、似ている島を教えてくれるかもしれない。

片っ端からハートに矢が刺さったような島の絵を見せて聞いてみたが、知っている人はいない。

「カサノバの爺様なら知ってるかもしれんよ」

その老人は、この海で60年以上漁師をしていたという土地の古老だった。

近くの酒場で昼間からのんびり酒を飲んでいるというので行ってみる。

頭髪は縮れてまばら、歯も何本かない。

肌は栗の外側の皮の様な茶色をした老人が酒場のデッキで海を眺めながらちびりちびりとラム酒を舐めている。

それがカサノバ老だった。

「カサノバさん、こんな島に見覚えはないかな?」

俺の質問にカサノバは首をひねっている。

「はーて、どこかで見たような……。強い酒でもあれば思い出すかもしれんが……」

そういって歯のない口でにっこり笑う。

どこか憎めない顔だ。

俺は上等な方のラムを注文してご馳走した。

「悪いねえ神官さん。神様に感謝を」

カサノバはおざなりに祈って、いそいそとグラスに口をつける。

「うめえ! さてと、その島だったね。はてねえ……、どこかで見た気はするんだが……神官さん、煙草を吸ってもいいですかい?」

老人は煙草を探してごそごそと懐を探っている。

俺はふと思いついてトキ・メモリアルで作った巻煙草を取り出した。

「よかったらこれを吸いませんか? ネピア産の煙草でね」

「こいつぁ、何から何まで至れり尽くせりだぁ。儂も来週は必ず神殿にお祈りに行きますよ」

その辺はどうでもいい。

神殿に行っても酒も煙草も貰えないと思うよ。

そんなものをくれるのは偽神官だけだ。

なんか悪魔神官って昔のロープレゲームにいたよな……。

トキ・メモリアルの煙草の香りが広がり、カサノバが大きく息をつく。

「どうです? この島、何か思い出しませんか?」

「んー……おお! 思い出したぞ。それはデビルズハート島じゃよ!」

なんかそれっぽい名前の島が出てきたぞ。

「それはどこですか?」

周辺海図を取り出しながら聞く。

「ここからだと、けっこう遠いぞ。ええーと……ここだ、ここ。書いてあるじゃろ」

確かにカサノバの指さす島にはデビルズハート島と書いてある。

だが、島の形は俺のスケッチとは似ても似つかなかった。

「これ、全然違うじゃないですか」

「そりゃあそうだ。40年前のある日から島の形が変わっちまったからな」

海底隆起か! 

火山活動や地殻変動などの理由で海底が隆起することはままあることらしい。

デビルズハート島も海底隆起して形を変えていたのだ。

「元あった島はそのまま山になってるはずじゃよ」

「なるほど。お陰で助かりました」

「それはいいが、神官様はまさかあの島へ行かれる気ですかな?」

カサノバ爺さんは眉根を寄せている。

「どうしました?」

「あの島は呪われた島じゃよ。岩の間から瘴気が吹き出し、キマイラと呼ばれる恐ろしい魔物の生息地でもある。この辺の人間であの島へ行くものはおらん」

火山性のガスでも噴き出しているのかな? 

それに魔物か。

確か肖像画には『神には栄光の光を、悪魔には快楽を』とかって書いてあったよな。

悪魔ってそのキマイラという魔物のことなのか? 

わからないことは多かったが島の位置は特定できた。

ここからさらに南下したケウラス群島の外れだ。

「ありがとうカサノバさん。貴方に神の平安がもたらされますように!」

「ありがとうございます神官様」

カサノバ老は愛想よくグラスを上げて俺を送り出してくれた。


 アンジェラの操縦室でパティーとゴブにわかったことを説明する。

「島の名前が判明したよ。デビルズハート島だ」

モニターに海図をだしてもらい、この島の位置や海底隆起のことも話した。

「つまり四十年前に地形が変わってしまったから、今の海図で同じような島を見つけられなかったというわけね」

「そういうこと」

「アンジェラ、最短距離での最適航路をマスターにお見せしなさい」

「はい、お兄様」

およそ8時間の行程か。

今から出れば到着は夜になってしまうな。

「危険な島みたいだから、今夜はここに停泊して明日の夜明けに出発しよう」

「そうね。じゃあ夕飯のおかずを釣り上げましょう!」

パティーは釣りの用意をして俺を待っていたようだ。

水平線に沈む夕日を眺めながら、のんびりと釣り糸を垂れる。

釣れなかった時は冷蔵庫の中の肉を使えばいい。

緩い気持ちで竿を投げるのはいい気分だった。

遠くでゴブが鼻歌を歌いながらアンジェラの船体を清掃している。

「パイオツカイデ~♪ パイオツカイデ~♪」

なんだその歌は?

ゴブの歌はしばらく俺の脳内でリフレインされた。

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