第180話 ゴッドスピード(よい旅を)!
二月十五日。
人事院からチェリコーク子爵家へ一通の書状が届いた。
書状の内容はチェリコーク子爵家次女、パトリシア・チェリコークの貴族籍を剝奪するというものだった。
ボトルズ王国の貴族にとっては大変不名誉な事態であり、領地の没収や降爵の対象にすらなる場合もあるのだが、そのような騒動は起きていない。
小春日和の日差しの中、葉を落としたスズカケの木にもたれながら、庶民となったパトリシアは嬉しそうに書状を眺めるのだった。
結婚式を来たる二月二十七日に控え、俺とパティーは毎日デニムズ運河沿いの造船ドックへ足を運んでいる。
ここでは今、俺たちの船を建造中だ。
式についてはパティーの母親のエリーゼさんに一任した。
俺にはこの世界の勝手がわからないし、こういったことの準備は新婦の母親が取り仕切るのが常識らしい。
俺としては新婚旅行用のクルーザーの建造に集中できるのでありがたい。
パティーも結婚式にはほとんど興味を示さず、むしろ造船作業の方に意識がむいている。
エリーゼさんは嘆いていたが、冒険者・
建造中のクルーザーは、
全長 27.6m
全幅 7.2m
巡航速度 25ノット
最高速度 33ノット
船内にはリビング二つ、複数の寝室、食堂、キッチン、風呂などを有し、15人がゆったりと旅を出来る広さになっている。
船内型の魔導エンジンを2基搭載しており、魔石か俺が直接魔力を注ぐことによってエネルギーが供給される。
実を言えばこの船は半自律型のゴーレムだ。
第八階層到達のご褒美に貰えたDランク魔石三つで作成している。
こちらとしてはBランク魔石を提出しているのでDランクを貰ってもどうかと思うが、堂々と高ランク魔石を使用できることはありがたかった。
Bランクも高額で買い取って貰っているので文句はない。
建造費は俺とパティーで折半だ。
内装は例によってパティーに任せてある。
連日のように家具やリネン類がドックに運ばれてくる。
設置はパティーとゴブでやっていた。
「アンジェラ、セルフチェックをしてみてくれ」
俺の声に船型ゴーレムのアンジェラのエンジンが動き出す。
モニターに映し出される映像はオールグリーンだ。
今のところ問題ない。
そうはいってもこればっかりは水に浮かべてみないと何とも言えないのだ。
この世界の船はほとんどが帆船だ。
軍艦の中には魔導エンジンを積んだ魔導フリゲートと呼ばれる船もあるらしいが、まだまだ一般的ではない。
貴族の中にはお抱えの魔法使いに風魔法を使わせて動かすヨットや、高速艇を所有するものも多いそうだ。
一般的な帆船の航行速度は3.5ノット(時速6.5キロくらい)。
魔導フリゲートは魔導エンジンを積んではいるがその速度はせいぜい5~6ノット(時速9キロ~10.8キロ)くらいだ。
それでも他の帆船よりはずっと速い。
風魔法を利用するヨットなどは最高速度50ノットも出せると聞いた。
これはもう魔法使いの能力次第だ。
「調子はどう?」
暖かいココアを持ってパティーがコントロールルームに入ってきた。
「いい感じだよ。その様子だとキッチンのコンロも問題なかったみたいだね」
湯気を立てているマグカップを受け取る。
「ええ。楽しみね。結婚式なんてどうでもいいから明日にでも出港したいわ!」
「お母さんが聞いたら泣いちゃうぞ」
俺たちのハネムーンの目的地はボトルズ王国の南、ケウラス群島だ。
まずは運河を使い南の都市ハロアまで移動。そこから海を更に南下する。
「だってケウラス群島よ! 青い空と海、白い砂浜! 海賊伝説だってあるんだから!」
目の付け所がパティーだ。
ケウラス群島というのは100年前まで横行していた海賊の本拠地があったと噂される場所だ。
かなりヤバい海域だったらしい。
海洋貿易と植民地支配に力を入れたボトルズ王国が海軍力の増強を図ってから、海賊はその勢力をどんどんと縮小していったそうだ。
一説によれば海賊自体が海軍として組み込まれたなんて話もある。
だが、海賊は完全に駆逐されたわけではなく、今でも年に数件は商船が襲われているそうだ。
「それにあの辺りは小さなダンジョンがすぐにできるんですって。ダンジョン制覇だってできてしまうかもよ?!」
やっぱり行くのか。
アサルトスーツや装備一式も積み込まなきゃならないのね……。
「……イッペイは行きたくないの?」
「行きたいに決まってるじゃないか!」
俺だって小ダンジョンには興味がある。
向こうでしか取れない素材もあるとグローブナー公爵に教えてもらったしな。
公爵と言えば、この造船ドッグも閣下の口利きで借りることができた。
いろいろ借りが溜まってきてしまっているな……。
閣下は俺たちが新婚旅行じゃなかったら一緒についてきたかったそうだ。
今度、お礼を兼ねて『不死鳥の団』のゲストに招いてもいいな。
凄く迷宮に興味を持っていたし、自分のギルドカードとか持ったらかなりはしゃいでしまいそうだ。
横からじっとパティーが俺の顔を覗き込んでいる。
「イッペイ……楽しみだね!」
「うん。本当のこと言うと……俺もすぐに出発したいんだ!」
パティーが俺の胸に飛び込んできた。
「(マスター、ゴブは小一時間ほど……いえ、二時間ほど出かけてまいりますので、何もお気になさらずにお過ごしください)」
パティーと仲良くしていたら、ゴブから思念が送られてくる。
「(あ~、そんなに気を使わなくてもいいんだよ……)」
「(なんの、この後どうなるかをゴブはちゃんと心得ております。既に勉強済みですので)」
「(ソースは?)」
「(もちろん不朽の名作『令嬢、ナイトクルージング』でございます!)」
ゴブよ、お前は間違っている。
「(あのな、ゴブ。常にお前のコレクションの内容通りに事が運ぶわけないだろう)」
「(左様でございますか……。この本はいかにクルージングを女性と楽しむかを極めた名作。マスターであればこの本の通りの展開をされて、楽しまれるとばかり……)
おいおい、メチャクチャ気になるじゃないか。
「(それでは私は届いたベッドの固定作業に戻ります)」
「(そうしてくれ。……ゴブ)」
「(何でしょうか?)」
「(その本、貸してくれないか?)」
「(そうおっしゃられると思い、既に船内に持ち込み済みでございます)」
うん、やっぱりゴブはゴブだ。
「どうしたのイッペイ?」
ゴブと思念で会話をしていた俺にパティーが声をかけてくる。
「何でもない。ゴブと作業について打ち合わせをしてたんだ」
二人でココアを飲みなが話をして休憩を終えた。
ゴブが期待するような展開にはならなかったぞ。
少し残念ではあるけどね。
でも旅行の間はパティーと俺はずっと一緒にいるのだ。焦ることは何もない。
結婚式はチェロキー地区の小さな教区神殿でひっそりと執り行われた。
エリーゼさんは最後までセント・ポーラ大聖堂でやりたかったとぼやいていたが、庶民はそんな場所で結婚式など上げないのだ。
僅かな友人と親族だけの慎ましい式になった。
ネピアからはメグとクロも来てくれたぞ。『エンジェル・ウィング』の皆さんも当然参加だ。
そして今日はいよいよハネムーンへ出発の日だ。
見たこともないような形の白い船に全員が息を飲む。
冬のか細い光の下でなお、その船は美しかった。
「イッペイさん。楽しんできてくださいね。その……今度は私もこの船に乗せてください!」
髪が伸びて、また少し大人になったねメグ。
「今度、僕のレポートを読んでください。それを読んだら、イッペイさんもロードリア島に興味を持ってくれると思うんです」
クロは真面目に勉強をしているようだ。
ロードリア島?
面白そうじゃないか!
「いってらっしゃい。パティーさんを大切にしてあげてくださいね」
マリアはいつだって優しい。
夜中まで俺の錬成を助けてくれたのはいつだってマリアだった。
「おっさん……お土産は食い物と面白いものな」
オッケー、モンキー!
楽しみに待ってろ!
「……」
「ボニーさん……」
「……」
「行ってきますね」
「……」
「四月には帰ってきます。それまでの準備はお任せしていいですか?」
「……うん」
ボニーさんの表情から彼女の感情はうかがえない。
「イッペイがいないと……退屈」
「一カ月なんてあっという間じゃないですか。次は第八階層の深部ですよ」
「わかった……パティー……それまでイッペイを貸しておく」
ボニーさんがパティーに言い放つ。
「何言ってるの、イッペイは私の夫よ!」
「知らん! こいつは『不死鳥の団』のリーダーだ!」
「なっ!! ……」
「その意見には私も賛同します」
マリアがボニーさんの横に立つ。
「へへへ、パティーさんには悪いけど迷宮踏破は俺たちの夢だからな」
ジャンも笑っている。
パティーは大きなため息をついた。
「いいわ。一カ月だけイッペイを独占したら、あなた方に返してあげるわよ」
それは俺も同じだ。
一か月後にはパティーを『エンジェル・ウィング』に返さなければならないのだから。
……ところでゴブ、なんで操縦席に座っているの?
「さあ、マスター参りましょう!」
え?
「ゴブはどこまでもマスターと一緒です!」
……まあいっか!
友人たちに見送られて船はデニムズ運河へと滑り出した。
期限付きの冒険が今始まろうとしている。
第二章 おわり
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