第178話 ネコになろう

 ユーライアが入っていった建物から、通りを挟んだ向かい側に酒場があった。

酒だけを出す、パブと呼ばれる店だ。


「ウィスキーをくれ」

バーテンダーはショットグラスに酒を注いで寄こす。

投げやりな動作に見えるが酒は一滴もこぼしていない。

「500リム」

銅貨五枚で支払った。

客とコミュニケーションをとる気などないバーテンダーの態度が今は好ましかった。


 脳内にスパイ君から送られてくる映像を虚ろに眺めながら、ショットグラスに注がれた琥珀色の液体を流し込む。

復讐などどうでもよくなっていたが、なんとなく惰性でユーライアの動きをおっていた。

まるでぼんやりとテレビを見ているような感覚だ。

ユーライアはアヘンを吸いに来たのかと思ったが、ズカズカと奥の支配人室のようなところへ入っていく。

どうやらこのアヘン窟に出資しているようで、分け前を受け取りに来たらしい。

 俺が元いた世界ではアヘンは法律で制限を受けた品であり、原料であるケシも栽培が原則禁止されていた。

だがボトルズ王国ではそのような法律はない。

それどころか庶民にとってアヘンはなじみ深い品物だ。

この世界では病気にかかった場合、治癒士や神殿の法術師に回復魔法をかけてもらい治療するという方法がある。

だが、それはある一定水準以上の収入がある人だけだ。

人口の大多数を占める庶民にとって、治癒士などにかかることは経済的に難しい。

そこで頼るのが民間の治療薬だ。

ライフポーションなどの高級品ではない。

それこそ薬草や阿片チンキなどがよく使われた。

阿片チンキとはアヘンをアルコールや水に溶かした液状の薬品だ。

鎮痛、鎮咳ちんがい止瀉ししゃによくきく。

更には結核や熱病、コレラにさえ効くと信じられているのだ。

このパブにも滋養強壮剤としてアヘンが調合された薬を売っている。

酒場だけでなく雑貨屋、パン屋などにも普通に置いてあるのだ。

阿片チンキは腸を経由する分、廃人になるようなケースは喫煙の場合よりは少ない。

だが、人々もアヘンの中毒性や害をよく知っていた。

知っていてやめられないところに悲しみがあるのだ。


「ねえ、私にも一杯ご馳走してくれない?」

強い香水のにおいをまき散らしながら、街娼らしい女が声をかけてくる。

酒と煙草に潰れた声をしているが、まだ若い女だった。

神官の服を着ていれば商売女に誘われることもないのだが黒いコートのせいでわからなかったらしい。

断ろうかとも思ったが、チェイサーの顔がまたちらついた。

あいつならなけなしの金をはたいてでも、喜んでこの女に酒を奢っただろう。

今夜は奴の思い出にとり憑かれてしまったようだ。

それもたまにはいいさ。

「お好きなものをどうぞ」

「あら……紳士なのね」

女は甘いアプリコットリキュールを注文していた。

「死んだ友達の供養で飲んでたんだ。君も奴のために乾杯してくれないか?」

「そうなの……わかったわ」

女は少し悲し気な表情を作ってくれた。

「チェイサーに」

「チェイサーに」

二人でグラスを持ち上げて、酒を飲み干す。

「美味しい」

「そいつはよかった。あいつは無類の女好きでね。君みたいに素敵な人が一緒に飲んでくれたらきっと喜ぶよ。お代わりするかい?」

「いいの? こんな高い酒、滅多に飲めないんだ!」

俺は同じものをバーテンダーに注文した。

女ととりとめのない話をしながら頭の中ではユーライアの動きを追う。

どうやら金を受け取ってすぐ帰るのではなく、別室でアヘンを吸っていくらしい。


「お兄さんはこの辺の人?」

「いや、ネピアから来たんだ」

ロビンと名乗った女は俺にしな垂れかかりながら酒を飲んでいる。

おそらく偽名だろう。

俺もロバートと名乗っておいた。

「ネピアと言えばほら、有名な冒険者がネピアから王都に来てるんだってね」

「らしいな……」

「なんて言ったかな? たしか……究極のパーカー?」

俺の知名度は今一つのようだ。

そんなものがあるなら一着欲しい。

「ロバート、この後なにか予定はあるの?」

「そうだなぁ……ある男に借りを返しにいくつもりだったんだけど……」


 アヘン窟の裏口を見張っていたスパイ君から妙な映像が届く。

裏口を窺うように武装した一団が闇の中に潜んでいた。

暗視カメラを搭載したスパイ君でなければ見つけられなかっただろう。

不審に思って四台のスパイ君の映像を次々と切り替えていく。


「それよりもさあ、私の部屋にいかない?」

ロビンが俺の太腿をゆっくりとさすりながら囁いてくる。


表通りを見張っていたスパイ君の映像に切り替わると、いつの間にか三台もの馬車が路駐されていた。

馬車の中にはやはり武装した男たちだ。


「いっぱいサービスしてあげる。あなた優しいんだもん。朝まで一緒に……ね?」

「悪いけど――」

「3000リムでいいわ。天国へ連れてってあげるからぁ」

天国へのパスポートが3000リムなら格安だよね。

でも太腿を撫でていたロビンの手をスッとどける。

「残念だけど天国ツアーはまた今度にするよ。外にやばそうな奴らが集まってきている」

俺の言葉にロビンは肩をおとした。

「またなのかい? ここのところ抗争が激しいんだよね。アンタも関係者?」

「いや。ただの見学者」

アヘン窟をめぐる縄張り争いなのか、はたまた単なる強盗かはわからないが、戦闘が起きそうな感じがピリピリと伝わってくる。

あれ? 

高密度な魔力を感じるぞ。

そう思ったとたん爆発音が響き渡り、アヘン窟のドアが吹き飛ばされた。

襲撃者には魔法使いまでいるのかよ。


「お客さん、今夜は店じまいだ。早く出て行ってくれ」

とばっちりを食わないために店を閉めるようだ。

バーテンダーが客を追い立てている。


「せっかく上客を掴んだと思ったのについてないねえ。本当にしないの?」

ロビンが胸を腕に擦りつけながら聞いてくる。

俺の理性はマジックシールドほど強くはないのだ。

コートの前を開いて神官服を見せた。

「やだ……私、神官様を口説いてたの? へへへ」

舌を出すロビンは可愛かった。

「貴方に神の祝福を。さあ、騒ぎに巻き込まれない内にお逃げなさい」

ロビンは手を振って笑顔で去って行った。

寄りかかられた時に回復魔法で彼女の性病は治しておいた。

また罹患してしまうだろうが、今夜はぐっすり眠れるはずだ。

明日の朝を彼女がいつもより穏やかな気分で迎えられることを俺も祈ろう。


 建物内での戦闘は続いている。

不意をつかれたアヘン窟側は完全に劣勢に回っていた。

既にアヘンを吸引していたユーライアはふらつきながら剣を抜いている。

あっ! 

刺されたか……。

護衛の二人も床に倒れていた。


 襲撃者たちは店の用心棒を蹴散らし、店内にあった金品を奪って逃げていく。

俺は閉店となったパブの壁に寄りかかりながらその様子を眺めていた。

後に残されたのは、傷つき倒れるもの、状況さえ理解できずに涎を垂らしながら恍惚の表情を浮かべてトリップしているもの、どさくさに紛れて店のアヘンを自分の懐へ入れるものなど様々だ。


 コートの前を広げながら通りを渡った。

賊が引き上げたので野次馬がちらほら建物を覗き込んでいる。

吹き飛ばされたドアから室内に入ると、傷ついた男たちが倒れていたのですぐに回復魔法をかけた。

ただし意識は戻さない。

騒がれたりまとわりつかれても迷惑だった。

負傷者を治療しながら奥へ進む。

もしユーライアが生きていれば治療するつもりだ。

我ながら甘い気もするが、見殺しにするのは精神衛生上よくない。

あいつの為というよりも自分のために助けておかなければならないのだ。

それに、復讐者になるには、今の俺は幸せすぎた。


 ユーライアの部屋で、奴の護衛を含めた三人に回復魔法をかける。

瀕死の重傷だったが傷一つ残さず治したぞ。

……甘すぎるかな? 

せめていたずらくらいしておくか! 

部屋には大きなベッドが一つある。

俺は三人の服を脱がせて、絡み合う様にベッドの上に寝かせた。

かなりの重労働だったが、なかなか良い作品ができたぞ。

目を覚ました時、裸で抱き合っている自分たちに気が付いて、こいつらはどんな顔をするのだろう。

今までと同じ関係でいられるのかな? 

新しい世界に目覚めれば、案外ユーライアは幸せになれるかもしれない。

あそこは役に立たないけどゲイでネコ(入れられる方の人)なら大丈夫だ!


 肉体労働をして火照った体に冬の風が気持ちよかった。

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