第177話 夜の匂い

 少し重たい料理が続いたが、晩餐の内容は素晴らしかった。

この日のメニューをここに書き記しておく。


雷鳥のポタージュとマッシュルームのポタージュ

フォアグラのソテー ワインのグラニテ添え

手長海老とコンソメのジュレ

キジの卵とプレスしたキャビアクリーム

ヤツメウナギのパイ包み

スパークリングワインとレモンのシャーベット(お口直し)

スズキのアーモンドバターソース

豚の足 アントン・メリノ風(アントン・メリノはボトルズ王国を代表する料理人)

鹿の腰肉 ポルトソースとカンバーランドソース添え

プチ・ゴーフレット

タルトタタンのアイスクリーム添え


 豚の足は柔らかく煮込んだものから骨を抜いて、それにパン粉をつけてカリッとグリルしてあった。

これを食べ終わった時点でお腹がはちきれそうだったが、デザートもついつい食べてしまう。

しばらくは動けそうもない。

どのテーブルを見てもみんな苦しそうで、のんびりと話し込んでいる。

女性は半分くらいしか食べない人がほとんどだ。

コーデリアも肉類は残している。

そんな中でパティーだけが端から料理を平らげていく。

食べ方は上品なのに、次から次へと料理が消えていくのだ。

どこにあれだけの料理が入るというのだ? 

……ああ! 

胸にいくんだ! 

冗談はさておき一流冒険者の基礎代謝はかなりのモノなのだろう。

考えてみれば、ボニーさんもマリアもよく食べる。

あの深窓の令嬢にしか見えないユージェニーさんでさえよく食べるのだ。


 俺たちのテーブルでは意外にもコーデリアとグローブナー公爵の会話が盛り上がっていた。

とはいっても猥談をしているわけじゃないぞ。

コーデリアがコンブウォール鉱山で取れる鉱物について説明して、閣下がしきりに質問しているのだ。

コーデリアの鉱物に対する知識は俺が驚くほど広い。

単なる変態代官だと思っていたが、実は優秀な官僚だったようだ。


「コンブウォール鉱山は王室が所有する鉱山の中でも一番の銀産出量を誇るわ。そこの代官になるには愚か者じゃ無理よね。たとえ性格が最悪でも……」

やっぱりパティーはコーデリアが嫌いなのね。

コーデリアもそれが分かっていて、敢えてパティーを挑発するようなことを言うみたいだ。

パティーを本当に怒らせると怖いのに、無茶をするものだ。

「パティー、コーデリアに思うところはあるだろうが自重してくれよ」

「わかってるわ。全てが落ち着いたら、絶対アイツの前でイッペイといちゃついてやるんだから。新婚旅行はコンブウォール鉱山でもいいわ」

やめてくれ。

あそこのことを思い出すたびにお尻の穴がムズムズするのだ。

そういえば鉱山で仲の良かったドワーフのゴードンは元気だろうか。

ゴードンには貞操の危機を救われている。

もうとっくに出所したはずだ。

今頃は娘さんと仲良く暮らしていればいいのだが……。


 気心の知れた人達と食卓を囲んだおかげか、晩餐会は式典の時のように緊張しないで楽しめた。

公爵や王子に必ず訪問をすることを約束させられてから別れた。

人の目があるのでパティーにおやすみのキスはできなかったが、握手だけして「おやすみ」を言う。

これでパティーが貴族籍から無事に抜けられれば、いよいよ俺たち二人の未来が動き出す。

冬の間は第八階層の探索は厳しいので、再開は四月からという予定になっている。

その間にまずは結婚、そして新婚旅行かな? 

詳しい話は明日以降だ。


 たくさんの馬車が停められた中から、フェニックスⅥの所へ向かった。

今日は運転手としてゴブが来てくれていた。

「お帰りなさいませマスター」

「ゴブ、長い時間待たせてすまなかったね」

「いえいえ、周りの御者や使用人たちにギャンブルを教えてもらいました。楽しかったですよ」

使用人たちは、時間潰しによく賭け事をすると聞いている。ゴブもそれに誘われたのだろう。

「おいおい、大丈夫だったか?」

「確率計算、サイコロを振る技術、心理戦、イカサマを見抜く眼、どれも私に敵う者はおりませんでした」

「ということは……」

「圧勝でございます」

だろうな。

ゴブなら高速でカードを切りながら、順番を暗記することさえ出来そうだ。

「一人勝ちでしたので、皆に酒と料理を振舞っておきましたよ」

「出来るゴーレムは違うね」

「恐れ入ります」

ゴブにドアを開けてもらってフェニックスⅥに乗り込んだ。


 王宮の門は帰宅する馬車でごった返している。

道に出られるまでは時間がかかるだろう。

「マスター、右前方にラムネス伯爵家の紋章が付いた馬車がありますよ」

俺はいちいち紋章など覚えていないが、さすがはゴブだ。

「ああ、さっき例のユーライアに会ったよ」

そういえば、嫌がらせを受けたばかりだな。

窓を少しだけ開けて、偵察・索敵用ゴーレムのスパイ君ミニを放つ。

スパイ君は馬車の車輪をすり抜けてうまいことラムネス家の馬車にとりついた。

届いた映像にユーライアの不遜な顔が映し出されている。

奴の他に護衛の男が二人馬車に乗り込んでいるようだ。

「ゴブ、気づかれないようにユーライアの馬車を尾行してくれ」

「畏まりました」

 ユーライアにはいろいろやられたので、今夜は借りを返しに行こうという気分になっていた。

フェニックスⅥに積んだ俺の荷物の中に「黒歴史玉」という禁断の薬がある。

かつて俺は老冒険者リカルドと「トキ・メモリアル」という花を採取した。

この花は記憶を鮮明にする煙草になるが、「黒歴史玉」はトキ・メモリアルを原料にした悪魔の発明だ。

直径1ミリにも満たない小粒だが、服用すると思い出したくもない黒歴史が次々と脳内で鮮やかに再生されるという恐ろしい丸薬である。

しかも自己嫌悪の感情を増幅させる恐怖のおまけつきだ。

チャンスがあればこいつをユーライアに飲ませてやろうというのが俺の計画だった。

さあユーライアめ、今宵は羞恥と嫌悪の底なし沼で溺れる夢を見るがいい!


 運転をゴブに任せて手早く着替えた。

今日のためにしつらえた豪奢な服を脱ぎ、粗末な神官服を着る。

最近有名人になりつつあるので変装用にこの服を入れておいたのだ。

黒目黒髪、平たい顔ですぐに『不死鳥の団』のリーダーとバレてしまう。

なるべく注目されずに、そっとしておいて欲しいのだ。

神官服の上から真っ黒なコートを羽織って、茶色のウィッグをかぶれば変装は完璧だ。

これで俺は神殿の祓魔師ふつましロバート・レッドブルになる。

神殿発行の本物の身分証明書もあるぞ。

皆さんは覚えておいでだろうか? 

これは俺がコンブウォール鉱山からの逃亡時に着用していた服だ。

当時ウィッグはつけていなかったがより完璧な変装にするために新たに作成した。

この姿ならユーライアに姿を見られても俺だとはわからないだろう。

丸腰は不安なのでホルスターにハンドガンを二丁差し込む。


フェニックスⅥは静かに路肩へ停められた。

「ユーライアが建物に入っていきました」

「奴の屋敷か?」

「いえ。ここはレモンハウス地区ですよ」

レモンハウス地区といえばエリモアのイーストエンドだ。

危険とミステリーが付きまとう歓楽街でアヘン窟くつや娼館、賭博場をいくつも抱える暗黒街としても有名な地区である。

こんなところに貴族の邸宅があるわけない。

「奴が入っていったのは……」

「娼館ではないでしょうね」

うん、ユーライアは勃起障害の刑に処してある。

したくてもできないはずだ。

だとすると……。

「どうやらアヘン窟くつのようですな」

アヘン窟というのはアヘン(ドラッグの一種)を吸引するための施設だ。

内部に忍び込んだスパイ君の映像から、室内は外観に比べてかなり豪華な造りになっていることがわかった。

富裕層を相手に商売をしていることが窺える。

オリエンタルな雰囲気のあるスケスケの服を着ているお姉さんたちも美人ぞろいだ。

アヘンだけでなくいろいろなサービスもあるとみていいだろう。

「ここからは俺一人で行く。ゴブは先に帰っていいよ」

「マ、マスター! このようなおもしろ…… 危険な場所にマスターお一人で行くのですか!?」

「だってフェニックスⅥを放置しておくわけにはいかないだろう?」

「しかし……」

ゴブはこの手のアンダーグラウンドが大好きだからなぁ。

「外から様子を窺うだけだよ」

「自動車をおいたらすぐに戻ってまいります。それまで決して危険なことはなさらないようにお願いします」

ゴブの操るフェニックスⅥが静かに離れていく。

心なしかいつもよりスピードが出ている気がするぞ。


 さて、どうしようかな。

スパイ君から直接脳へ送られてくる映像を見ながら俺は夜のレモンハウス地区を歩き始めた。

黒いマントがうまい具合に俺の身体を闇に溶かしてくれる。

酒、煙草、化粧、香水、排泄物に吐しゃ物、そして阿片、そんな香りがブレンドされてこの猥雑な空気を作り出しているようだ。

なぜだろう、この街をうろつく人々は悲しみの置き場を探して酒を飲み、アヘンを吸っているように見える。

ふと死んだチェイサーのことを思い出した。

久しぶりに神官服に袖を通したせいかもしれない。

そういえば、俺たち二人が目指していたのは、この王都だったな……。

気が付くと、ユーライアのことなんかどうでもいいから強い酒を一杯飲みたくなっていた。

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