第171話 フェニックスⅥ
高級と言われるタウンハウスの背後にはミューズと呼ばれる馬車を通すための路地が設けられている。
路地に面している建物はミューズハウスと呼ばれ、馬小屋として使われる。
俺の所有する王都のタウンハウスにもミューズとミューズハウスがついていた。
もっとも我が家のミューズハウスは馬小屋ではなくガレージになっている。
美しい自動車だった。
インテリアもエクステリアもウォード社の最高級モデルのタイプSを上回ると自負している。
それが『不死鳥の団』の新型自動車『フェニックスⅥ』だった。
ボディーの色は目立たないように、エリモアではポピュラーな黒と深緑のツートンカラーを採用している。
6人乗りの大きめのボディーはコンパティブル(オープンカー)だが、この世界では唯一のボタン一つで動く自動オープンルーフを持っていた。
だがフェニックスの真価は見えない部分にこそある。
魔導エンジン、サスペンション、タイヤ、ブレーキ、などの全てがこの世界では考えられないほど高次元なレベルでまとめられている。
最低地上高もレバー一つで調整でき、少々の悪路なら踏破可能だ。
郊外へドライブへ行くのも何の問題もなかった。
そしていくつもの隠された装備がこの自動車にはついている。
王宮で催される祝賀会を明日に控えて午後からチェリコーク子爵邸を訪ねた。
客間に通されると、パティー、チェリコーク子爵夫妻、パティーの兄である跡取り夫妻の計五人が俺を出迎えてくれた。
一人一人と挨拶を交わし無難に時間が過ぎていく。
話題は王都の流行や貴族院での議題、最近普及してきた自動車のことなどといった具合に流れていった。
「これは現時点ではトップシークレットなんだけどね……ギルドは4月から魔石の販売価格を上げるらしいんだよ」
こう教えてくれたのはパティーの兄ブライアンである。
「買取価格も上がるなら冒険者にとってはありがたいことですね」
「今のうちに魔石を買い占めておくといい。手持ちの魔石も今は放出してはダメだよ。売るなら4月以降だ」
得意げに秘密情報を語るブライアンは財務系の友人が多いそうだ。
高級官僚に有力なコネクションがあるわけだが、そんな重大事項をこんなに簡単に漏らしてもいいのだろうかと心配になる。
大丈夫なのかと尋ねてみると、節度を持って儲ける分には罪には問われないそうだ。
その場合に問題になるのは節度の度合いになるわけだが、数百万リムくらいまでならまったく問題ないという。
何千万リムも儲けるのは論外だが、小遣い程度の利益は貴族の正統な報酬の範囲内になるらしい。
その匙加減が俺にはよくわからん。
そもそもあまり興味もない。
情報を漏らしてくれたのは、おそらく義弟になる俺に対して、彼なりの優しさを示してくれたのだと思う。
貴族らしい傲慢さや、独善的なところは多分にあるのだが、俺に対して悪意や隔意は持っていないようだ。
俺に対して含むところがあるのは兄よりも母親のようだ。
パティーが貴族籍を抜けることが納得できないらしい。
当主のチェリコーク子爵が認めているので反対しても意味はないのだが、先ほどから言葉の端々にそのことを匂わしている。
「イッペイさんほどの功績があれば名誉男爵や騎士爵の叙勲など容易いことではないでしょうか? 我が家とてそのくらいの後押しはできますのよ」
「お母さま、何度も言わせないでください。私もイッペイさんも貴族であることに不自由しか感じていないの」
「どうして貴族が不自由なのかしら?」
「エリーゼ、貴族には貴族の義務が伴うのだよ。パティーもイッペイ君も貴族の義務に囚われるよりも、冒険者でありたいと願っているんじゃないかな」
家族の間で幾度か繰り返されたであろう会話がまた蒸し返されている。
パティーの母親であるエリーゼ・チェリコーク子爵夫人は天真爛漫な貴族令嬢がそのまま年を取ったような人だ。
貴族になれるチャンスになぜ貴族になろうとしないかがどうしても理解できない。
己の価値観でしか物事がはかれず、冒険者である俺のことを本気で憐れんでくれている。
だけどやっぱり悪い人ではないのだ。
庶民である俺を頭から拒否することはなく、俺が持参した美容セットなどを手放しで喜んでいる。
慈善事業などにも熱心で、孤児院や救護院に毎年少なくない額を寄付しているとも聞く。
おそらく俺と義母は永遠に理解し合えない部分を共有しながら、それでも折り合いをつけて仲良くやっていくのだろう。
結婚ってこういうものなのかもしれない。
結婚相手は選べてもその家族までは選べない。
パティーの兄にしろ母にしろ、俺は彼らを嫌わないで済んでいるし、今のところは嫌われていないらしい。
これってとても幸運なんだと思う。
今後良好な関係を築いていければありがたい。
「ところでイッペイ君、午後の予定は何かあるかね?」
悪くなりそうな空気を、絶妙なタイミングで子爵が修正してくる。
この人は本当に人間的バランスが取れていると感心してしまう。
先天的な才能かもしれないが周りに敵を作らない能力がある。
「特に予定はありませんよ」
「だったら先月オープンしたヘロッズに行ってみないかね?」
ヘロッズは開店したばかりの高級百貨店だ。
食料品や衣料、家具、宝飾品までなんでもそろう店だ。
専門店しかなかったボトルズ王国にできた初めての百貨店として巷の話題をさらっている。
そっとパティーを見ると目で頷いていた。
一緒に行こうというサインのようだ。
「是非ご一緒させて下さい」
「イッペイ君は馬車で来られたのかな?」
「いえ、自分の自動車で来ました」
俺がそう答えると、ブライアンも子爵夫人も満足そうな表情を浮かべた。
自動車はこの世界のこの時代ではそこそこのステータスシンボルなのだ。
貴族ではないとはいえ新しく親族になる男が自動車を所有しているという事実は彼らの心を満足させるものなのかもしれない。
そしてその思いはフェニックスⅥをみて更に強まったようだ。
「イッペイ君これはウォード社の新型かい?」
ブライアンは随分と興味深そうだ。
「いえ、自作のカスタム車でして」
本当はカスタムでもなんでもない。
完全オリジナルだ。
夫人も興味をひかれたようだ。
「素敵な自動車ですね。でも、なんでこんなところにハチドリの像があるのかしら? 普通はエンブレムや女神像でしょう?」
フェニックスⅥのボンネットの上にはハチドリの像が据え付けられている。
よく見るとボンネットだけでなくバンパーの左右にもハチドリの像がついている。
これは単なる飾りではない。
俺がこの世界に来て間もない頃に活躍した、ゴーレムのハチドリトリオだ。
最近出番がないのでフェニックスⅥの装備としてつけてしまったのだ。
「バリ、バンペロ、ボーラ、皆さんにご挨拶するんだ」
ハチドリ達は俺の意思を受けて一斉に飛び立ち、編隊を組んで舞う様に飛ぶ。
「なんて可愛い!」
「素敵ですね」
これには子爵夫人もパティーの兄嫁であるイライザも大喜びだった。
「よくできているなあ。でも何かの役に立つのかね?」
ブライアンは実質的な人らしい。
ハチドリ達が何の役に立つかを聞いてくる。
「そうですね、魔物が近づいてきたときに教えてくれたりします」
ご婦人の前で血なまぐさい話はできないので事実をぼかして説明する。
最近でこそ出番は少ないが、対人相手なら一瞬で命を奪う能力がこの三羽にはあるのだ。
はじめは子爵家の馬車で買い物へ行く予定だったが、結局フェニックスⅥに乗って行くことになった。
定員は六人なのでちょうどよい。
子爵邸の門から出て少し行ったところで、いきなり子爵夫人に車を止めるように頼まれた。
道の端に女中を連れた貴婦人が歩いている。
知り合いのようだ。
パワーウィンドウを開けてあげた。
「ハリエットさん」
「まあエリーゼさん! 素敵なお車ですこと。子爵様がご購入されたのかしら?」
「いいえ。娘の婚約者の持ち物なのよ」
俺は貴族じゃないけど公言しちゃっていいのかな?
慌てて周りを見回すが誰も気にした風は見せていない。
俺の隣に座っている子爵が小声で話しかけてくる。
「エリーゼは文句は多いが気性はさっぱりしているんだ。君が貴族でないことは不満だが、パティーの婚約者としては認めているんだよ」
パティーも笑顔で頷いている。
だとしたら……少しだけ胸のつかえがとれた気がする。
「貴男、我が家も自動車を購入しましょうよ。こんなに快適な乗り物だなんて思わなかったわ」
「この自動車を他のと一緒にしたらいけないよ。私が知っているのはもっと乗り心地が悪かったからね」
ブライアンが朗らかに聞いてくる。
「イッペイ君、この車を買うとしたら、いくら位かかるのかね?」
思わず言葉に詰まってしまう。
彼らは知らないのだ。
フェニックスⅥが各種兵器を搭載した戦闘兵器であることを。
彼らは知らないのだ。
フェニックスⅥがアンチマジックシールドと分厚い装甲、防弾ガラスで守られた堅固な要塞であることを。
彼らは知らないのだ。
フェニックスⅥが地上だけではなく水上や水中を移動できる特殊車両であることを。
「そ、そうですね、3000万リムくらいでしょうか」
かなり適当な数字をはじき出す。
実際はもっとかかるのだ。
ヘロッズまであと二ブロック程の所で突然轟音が響いた。
一瞬だが空が青く光る。
「雷かしら?」
子爵夫人が空を見上げていたが雷なんかじゃない。
確かに魔力の波動を感じた。
「イッペイ、様子が変よ」
パティーも感づいている。
「どういうことかねパティー?」
「魔法を使った戦闘があちらで行われているようです。たぶんコリントンパークの中で」
白昼に魔法を使用しての戦闘などただ事ではない。
俺は様子を探るために後部に待機させてあるドロシーを飛ばした。
そうしている間にも爆発音は断続的に響いてくる。
やがてドロシーから戦闘現場の様子が送られてきた。
魔法を使っているのは一人のメイドだ。
メイドの後ろには身なりのよい少年がいる。
彼女は八人の追撃者から少年を守るために攻撃魔法を放っているようだ。
みんな食い入るようにモニターを見ていたが少年の姿が拡大された瞬間に子爵が叫んだ。
「アルヴィン殿下!」
とんでもなく嫌な予感がした。
そして俺の予感は嫌な時だけよく当たることを俺は知っていた。
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