第169話 チェロキー地区

 定刻を三十六分遅れて、列車はエリモア中央駅へ到着した。

技術の発展が未熟なこの世界においては、三十六分くらいの誤差ならかなり優秀なレベルと言える。

降車する人、乗車する人、出迎えに見送り、荷物を運ぶポーターたちでホームは混雑している。

そんな喧騒の中でグローブナー公爵と別れの挨拶を交わした。

「イッペイ君はホテルかね? なんなら儂の館に逗留せんか?」

「お言葉は大変ありがたいのですが王都に家がありまして。実は今日初めて行くのですが」

そう、俺は王都に家を持っている。

元々はヴァンパイアのザカラティア・ポーが所有していた家だ。

ポーの財産を接収した時に多くの不動産は処分してしまったが、王都の家は俺が個人的に買い取った。

外国や地方にある不動産と違って、利用価値が高いと踏んだ判断だった。

「どこの地区かな?」

「チェロキー地区です」

「いいところではないか。あの辺は住みやすいと聞くぞ」

チェロキーは王都でも高級住宅街に当たる。

「儂の館はブロンプト地区だ。王都滞在中に一度遊びに来てくれ」

ブロンプト地区も高級住宅街だが、こちらは王室特別区になる。

格が違っていた。

「はい。伺います。」

「君のお陰で実に楽しい旅になった。ありがとう。さらばだ」

閣下はマントを翻して颯爽と去って行く。

老人とは思えない矍鑠かくしゃくとした足取りだった。

見送る俺に閣下のお付きのウォルターさんが身を寄せてくる。

「イッペイ様、この度はありがとうございました。あのように機嫌のいい閣下の様子は久しぶりでございます。こちらは閣下のお屋敷の住所です。ご招待いたします時は改めて招待状をしたためますが、どうぞお納めください」

そういってウォルターさんは閣下の名刺を俺にくれた。

「ご丁寧にありがとうございます。あいにくお返しする私の名刺はございません。ガサツな冒険者故の不調法をお許しください」

ウォルターさんも俺の家の住所を聞いてにこやかに去って行った。

「アイツ……相当強いな」

ボニーさんがウォルターさんの背中を見つめながら呟く。

ボニーさんが認めるほどならかなりの手練てだれだろう。

公爵の護衛というのならさもありなんだ。


 閣下との別れの間にポーターたちが俺たちの荷物を貨車から降ろして持ってきてくれた。

この後は辻馬車でも探して、屋敷まで自分たちと荷物を運んでもらわなければならない。

どうしようかと思案していると、後ろから声をかけられた。

「イッペイ君、久しぶりだね」

立っていたのはパティーの父親であるチェリコーク子爵だった。

相変わらず柔和さと上品さを絶妙にブレンドした、マイルド紳士だ。

「子爵。ご無沙汰しております。ご健勝なご様子、何よりです」

「ははは、固い挨拶だね」

以前ならあまり緊張もしなかったのだが、この人が未来の義父になる可能性に思い至ると、どうしても体が固くなってしまう。

そんな俺の気持を汲んでか、知らずか、子爵はフランクに肩に手を回してきた。

「パティーから話は聞いているよ。馬車を用意してきたから家まで送ろう」

俺としては子爵に促されるまま並んで歩くしかない。

『不死鳥の団』は建前上チェリコーク家のお抱えパーティーということになっているので、今後のことも相談しなければならなかった。


 馬車の窓から見える王都エリモアはやはり大都会だった。

ネピアも大きな街ではあるが、エリモアはそれをはるかに凌駕する。

子爵は普段王都に住んでいてネピアにはあまり戻ってこない。

これは子爵に限ったことではない。

貴族家の当主は王都暮らしをするものが多いが、実はそれなりの理由がある。

爵位を持つ男爵以上の貴族は貴族院の議員でもあるからだ。

議会は年に二回開かれ、議員には出席の義務がある。

この議員報酬が貴族が国から貰える基本収入になる。

そして法律を議論する議員には賄賂がつきものだ。

この賄賂が貴族の副収入に当たる。

例えばウィスキーの税率を4%から5%に引き上げようという法改正が議論されたとする。

ウィスキーメーカーとしては税率が低い方がいいに決まっている。

そこで法律に反対してくれる議員に賄賂をばらまく。

こういった賄賂を受け取るため、他にも派閥を作って会合を開くためにも、貴族は王都で暮らす方が有利だった。

議会の会期以外、旅行ばかりしているグローブナー公爵のような人は稀なのだ。

中には領地運営と議員活動を両立させて、頻繁に王都と自領を行き来する有能な貴族もいる。

だが大抵の者は領地の経営は代官にまかせ、都会で政治闘争遊戯に耽りながら遊び暮らすというのがこの国の貴族だった。


 子爵は馬車を二台連ねてチェロキー地区へと走らせた。

前の馬車には俺と子爵とパティーが、後ろの馬車にはジェニーさんと『不死鳥の団』のメンバーが乗った。

一応、パーティーリーダーと当主の会談という体裁をとっている。

実際には父娘と入り婿が一緒にドライブをしているような状態になっていた。

子爵は気さくな人なので、だいぶ緊張は解けてきたが、やっぱりどこか落ち着かない。

子爵も若干気を使っているようにも見えた。

「なんかお洒落な街よね」

何とか話題を提供しようとパティーが口を開く。

実際チェロキー地区に入って、街並みが洗練されたものになってきている。

ここは比較的新しい地区で若い富裕層に人気があるそうだ。

眺めていると、ブティックや高級食材店、高そうな酒が並んだバー、会員制クラブなどが立ち並んでいる。

まだまだ珍しい自動車の数も他の地区より多いようだ。

「私の屋敷があるレヴィントン地区よりずっといい街だよ」

子爵も羨ましそうだ。

「見て! 珍しい食材がいっぱいあるわ。今度行ってみない?」

「食材店が充実しているのはありがたいね。でも俺としては素材屋が近所にあって欲しかったな」

「イッペイらしい感想ね。あ、武器を売る店があったわ。後でチェックしなきゃ」

パティーが少しはしゃいでいる。

ブティックとか宝飾店を無視している辺りがパティーらしくもある。

全然興味がないわけじゃない。

優先順位が他の令嬢と違うだけだ。

「イッペイ君とパティーはここを拠点に暮らす予定なのかね?」

予期しなかった子爵の言葉に一瞬頭が真っ白になった。

パティーも驚いたように子爵を見つめている。

これって、俺たちが結婚してからのことを聞いているんだよな。

「お父様、突然何を」

「だって、パティーはイッペイ君と結婚するつもりなのだろう? そのために貴族籍まで抜けるのだから」

「子爵、そのことについては私からもお詫びを――」

子爵は俺の言葉を遮る。

「詫びる必要などないさ。この子が貴族の奥様をやっている姿など父親の私でも想像できないことだよ。いや、むしろ私だからこそかな」

「子爵……」

「見合いで結婚させても、どうせ長続きしないよ。この子を家に閉じ込めておくことなんてできないのさ」

「お父様……」

「イッペイ君、……パティーをよろしく頼むよ」

子爵はいつものように優しく微笑んでくれた。

「お任せください」

「うん……いい街だ」

車窓からみえる街並みを眺めながら子爵は満足そうに頷いていた。



 チェロキー地区バート通り7番、それが王都の家の住所だった。

需要に対して供給面積が追い付かない事情で、細長い住宅がびっしりと立ち並んでいる。

いわゆるタウンハウスというやつだ。

このタウンハウスの形状がチェロキー地区の景観を形作っていると言っていいだろう。

俺の家もそんなタウンハウスの一つだった。

レンガ造りの四階建てで地階をもっている。

間口は9メートル程で広くはないのだが奥行きが深い短冊状をしていた。

寝室や客間、倉庫も十分な広さがある。

不動産管理会社に管理を委託していたので内部も清潔だった。

さすがにヴァンパイアが使っていたベッドをそのまま使う気にはなれなかったので寝具などは入れ替えてある。

ついでに食器類も入れ替えた。

 俺たちでさえ初めて家に入るのだから、客人を迎え入れる準備など全くできていない。

今日のところは子爵たちにはお引き取り頂いた。

「妻も君に会いたがっているんだ。是非近いうちに招待してくれ」

互いの家を訪問しあう約束をして子爵たちは去って行った。

「どうしたおっさん? 強張った笑顔で?」

緊張していたんだよ。

相手がチェリコーク子爵で助かったと心底思う。

娘の幸せを一心に考える子爵であればこそ、こんなにスムーズに事が運んでいるのだ。

まあこれが跡継ぎの結婚話であれば、さすがのマイルド紳士もこんなに簡単には許さないと思うけどね。


「早速入ってみようぜ!」

ジャンにせかされてポケットの鍵を探した時、チャリンと音がした。

引っ張り出すと小さな青い巾着袋だ。

ウォルターさんから受け取ったグローブナー公爵のお礼だ。

そういえば中身を確かめていなかったな。

金貨三枚くらいで3万リムくらいかなと思っていたら、白金貨が2枚出てきた。

200万リムだ。

確かにカイジンの素材は稀少どころかスーパーレアなのだがこの金額が妥当かどうかは判断がつかない。

使用したのだってごく僅かな量だ。

子爵の家だけではなく公爵の家にもいかなくてはならないな。

皆は楽しそうに王都を見物するらしいが、俺はあまりのんびりできそうもない。

お土産に何を持っていったらいいか頭を悩ませる俺だった。

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