第168話 ネピアマスと甲殻類の温製テリーヌ

 コンパートメントに移った俺たちは、公爵の実験器具を使って各種実験を試したり、互いの冒険の体験談などを語り合ったりして時間を過ごした。

グローブナー公爵は潤沢な資金と時間をもった趣味人で、人生を博物学に捧げた様な人だった。

権力にはあまり興味がないようだ。

「イッペイ君は王都へいくのかね?」

ドラゴンの表皮に様々な波長の魔力をあてながら閣下が聞いてくる。

「そうなんです。王宮で第八階層到達の祝賀パーティーがあるとのことでご招待を受けました」

「……へえ、パーティーか。…………うまくいかんな」

スムーズに魔力が入っていかない。

「たぶん純粋魔力じゃなくて水魔法用に変換された魔力の方が親和性はたかいんじゃないですか?」

「ふむ……で、何の話だっけ?」

「祝賀パーティーです」

「そういえばなんかあったな。儂も呼ばれていた気がするぞ。……お、うまくいった!」

ドラゴンの皮膚は流される魔力によって硬度を変えている。

しなやかな動きを見せながら、強靭な防御力をほこるドラゴンの秘密がまた一つ解き明かされる。

「このドラゴンも皮膚に魔力を流し込んで強度を変えておるわけだ」

「ということは魔力の流れを乱すことができれば、ドラゴン退治が有利になりますね」

「ふふん、冒険者の発想だな」

「では閣下の発想をお聞かせ願えませんか?」

「儂は事象を解き明かして整理したいだけの人間だ。応用なんて考えておらんよ。まあ、ドラゴンの皮膚と同じような素材ができないかという点には興味があるな。魔力の波長で硬度が変わる素材を作ることができれば楽しそうじゃないか」

9時半にネピアを出発してそろそろ1時だ。

かなり集中して遊んでしまったな。

俺の考えを読んだのか閣下が時計を見る。

「昼をだいぶ過ぎてしまったな。そろそろ昼食にしようじゃないかイッペイ君」

食堂車で再会することを約束して、身支度をするために別れた。

コンパートメントから出るとウォルターと呼ばれていた閣下のお付きが近寄ってくる。

30代中ごろの中年で、ずんぐりむっくりの体つきだがおそらく戦闘の達人だ。

自分は強くならないが、強い人を見続けてきたので人を見る目は肥えてきた。

「イッペイ様、この度はグローブナー公爵にお付き合いくださり誠にありがとうございました。こちらは各種サンプルをご提供いただいたお礼にございます」

そういって青いビロードの小さな巾着を渡して来ようとする。

「いやあ、お礼なんていいですよ。私も閣下から学ぶことがたくさんありました。そのようなお心づかいは却って申し訳ないです」

「受け取って頂かなければ私がお叱りを受けます」

ウォルターさんは達人ならではの妙技で俺の手に巾着を押し付けてしまった。

小さな巾着なのでたくさんは入っていないだろう。

あまり遠慮しすぎるのもよくないかと思い直して受け取ることにした。

あとで閣下が気に入りそうなものでも錬成してプレゼントしてもいいかもしれない。



 既にお昼をだいぶ過ぎていたので食堂車は空いていた。

俺は小鳩のロティを、閣下はネピアマスと甲殻類の温製テリーヌを注文した。

ロティはオーブンなどでじっくり熱を通す焼き方だ。

フルーツヴィネガーを使ったソースはさっぱりしていて、ジューシーな鳩肉によく合う。

だけど出てきたものを見て俺もテリーヌにしておけばよかったと後悔した。

閣下の注文したテリーヌはネピアマスと蟹、ホタテ、ロブスターなどがぎっしりと詰まっていて実に美味しそうだ。

「閣下のテリーヌ、とても美味しそうですね」

「うん? これは魔導鉄道食堂車のスペシャリテ(看板メニュー)だぞ。知らなかったのかね?」

鉄道を利用するのは初めての俺が知るわけもない。

帰りの食堂車では絶対にアレを注文しようと心に誓った。


「どなたか、法術師様か治癒士様はいませんか!」

メインディッシュを食べ始めた矢先に、入口で大きな声が響いた。

「お願いします。どうぞお助け下さい!」

見ると貧しい身なりの男が食堂車の入口で叫んでいる。

おそらく三等車の乗客だろう。

「こらこら、ここに入ってきてはイカンよ」

「離してくれ!」

見ているとすぐに車掌たちに取り押さえられてしまった。

おそらくこの食堂車にも他の車両にも治癒士や法術師は乗っていただろう。

だが名乗り出るものはいなかったようだ。

「離してくれ! 妻が苦しんでいるんだ!」

「いいから席へ戻るんだ」

奥さんの具合が悪くなったのかな? 

人前で医療魔法を使うわけにはいかないがポーションを渡してやることはできる。

「閣下、私は少々――」

俺が腰を浮かして立ち上がろうとすると、ナイフとフォークをおいた閣下が声を荒げた。

「いい加減にせんか!」

その迫力に俺も車掌も乗客もみんな凍り付く。

先ほどまで慌てていた車掌たちはさらに顔を青くして頭を下げる。

「申し訳ございません閣下。すぐに連れ出しますので!」

「ばかもん! その男を離してやれ」

閣下の手招きに、完全に気勢をそがれた男がよたよたとやって来る。

「何があったのか申してみよ」

男は額の汗をぬぐいながら平身低頭して話だした。

「妻が急に腹が痛いと苦しみだしまして。脂汗をたらたら流してただ事じゃない様子なんで」

「ふむ……お前に問診しても仕方ないな。よし、行こう」

閣下はごく気軽な感じで席を立ちあがる。

周りの人間は驚きの表情を隠すこともなく、事の成り行きを見つめているだけだ。

「私もご一緒してよろしいですか?」

「もちろんだとも。イッペイ君は元々行くつもりだったのだろう?」

「はい。とはいえ資格がありませんので回復魔法は使えませんけどね」

「うむ。儂も治癒士の資格はないが、爵位があるでな」

ニヤリと笑う閣下はいたずらっ子がそのまま大きくなった顔つきだった。

貴族は治癒士の資格がなくても自由に回復魔法を使うことができる。


 狭い通路を移動しているとゴブからの思念が届いた。

「(先ほど治癒士を探している男がいましたが、マスターのところまで行きましたか?)」

「(ああ、今患者のところへ向かっているところだ。先に行って治療の態勢を整えておいてくれ)」


 公爵一行が三等車に到着すると、毛布を敷いたベンチに中年の女性が寝かされていた。

ゴブが手配したようだ。

「お待ちしておりましたマスター」

俺を出迎えるゴブを興味深げに公爵が見つめる。

「この者は?」

「私が生み出したゴーレムです」

「ほお!」

「閣下、ゴブのことは後で。先に病人を診ましょう」

「うむ、そうであったな」

公爵は女性に向き直り問診から始める。

ヘソの周りが痛いようだ。

続いて触診に移る、虫垂や回盲部の位置を圧迫するとかなり痛むようだ。

急性虫垂炎(盲腸)だろう。

医療スキルのスキャンで確認したので間違いない。

ところでこの世界の医療知識はとんでもなく遅れている。

これは偏に回復魔法のせいだ。

たいそう便利な回復魔法があるおかげで医療技術が全く発達しなかったのだ。

「おそらく患部はこの辺りだな。それでは回復魔法をかけるのでじっとしているように」

右手のひらを患部に当てて、閣下は回復魔法を流し込んだ。

専門家でないせいか上手な魔法ではない。

むしろたどたどしささえ感じる。

だが生来の気質だろう、閣下は真摯しんしな面持ちで取り組んでいた。

「閣下、2センチほど右にずらして下さい。そうすれば魔法が患部に当たりやすくなります」

「……これくらいかの?」

苦痛に喘いでいた女性の表情がみるみる緩和されていく。

「そのままで………………もう大丈夫です。完治いたしました」

「君のスキルはスキャンかね?」

「はい」

「サポートをありがとう」

「いえ、閣下も見事な回復魔法でした」

俺たちはオペを終えた医者のように握手を交わした。

その様子に三等車が拍手に包まれる。

お礼を言ってくる中年夫婦を手で軽く制して閣下は三等車に背を向けた。

「イッペイ君、食堂車へ戻って昼飯のやり直しだ。さっきのは冷めてしまっただろうからもう一度注文しないといかんな。今度は君もネピアマスと甲殻類の温製テリーヌにしたまえ」

あと一時間もしない内に列車は王都エリモアへ到着してしまうだろう。

また食べ損ねるのはごめんだ。

自然と早足になる俺をからかう様に、公爵は優雅な足取りで通路を進むのだった。

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