第167話 教授の実験室

 ボトルズ王国が誇る魔導鉄道の客車は三等級制を採用している。

すなわち、一番廉価な3等車からはじまり、2等車、1等車とグレードが上がっていく。

では3等車がどんな車両かを見てみよう。

飾り気のない室内に3人掛けの硬い木製のベンチが通路を挟んで左右に設置されている。

お世辞にも広いとは言えない。

体格のいい男が並んで座ったら窮屈なことこの上ないだろう。

通路も座席の間も狭いが値段も安い。

主に出稼ぎに行く庶民や季節労働者、行商人などが利用する。

これに対して2等車は木製のベンチから布張りのシートに代わる。

お尻や腰への負担が軽減され3等車に比べればはるかに快適な旅をおくれるようになっている。

そして1等車ともなるとシートのグレードはさらに上がり、連結された食堂車の使用も可能になる。

また使用できるトイレも清掃の行き届いた清潔なものが使えた。

だが厳密に言えば客車はこの3種類だけではなかった。

1日に2本だけだが特等車と呼ばれる特別車両が王都エリモア行きの列車に連結された。

高級素材をふんだんに使ったこの車両は一人掛けのソファーとテーブルが22席だけゆったりと配置されている。

同じスペースに102席が詰め込まれる3等車のことを考えれば、いかに贅沢な空間かわかるだろう。

車両専属のメイドが4人控えて飲み物や軽食のサービスを受けることもできた。

今、我らが主人公イッペイはこの一人掛けのソファーに身を置いて、つまらなそうに車窓から外を眺めている。

周りに彼の仲間の姿はなく、少し離れた席に恋人のパティー・チェリコークとその親友のユージェニー・アンバサ嬢が座っている。

だが恋人といっても公に出来る恋ではない。

身分違いの恋ゆえに人前ではあまり親しく話すことも出来なかった。


 プラットホームに汽笛が鳴り響き、魔導鉄道は軋みを上げながら出発した。

王都エリモアまで約300キロ5時間の旅だ。

斜め前方を見れば、パティーはジェニーさんと楽し気に会話をしている。

実に羨ましい。

こんなことになるのなら自分もボニーさん達と一緒に1等車に乗ればよかったと後悔しても後の祭りだ。

王宮からの招待状にはこの列車のチケットも同封されていたが、皆の分はなかった。

招待されたのは俺一人だったのだ。

一人で行くなんて気が引けて嫌だが、断るという選択肢はなかった。

権力者たちのご機嫌を損ねるのは賢明ではないだろう。

嫌々王都へ向かう俺に対して、他のメンバーは王都見物をするべく嬉々としている。

この魔導鉄道に乗る時だって楽しそうにボックス席に皆で座っていた。

「(ゴブそっちの様子はどうだ?)」

退屈な俺はゴブに思念を送る。

「(こちらは大変盛り上がっていますぞ。王都観光のプランは我々にお任せください!)」

和気あいあいと予定を組んでいるようだ。

ゴブはそれ以上何も言わない。

なんだかすごい疎外感を感じる。

隣の席ではサングラスをかけ、帽子を目深にかぶったお爺さんがむっつりとした顔で寝ていた。

この人は俺がきたときからずっと寝続けている。

旅の同行者としてはあまりありがたくないタイプだ。

手持無沙汰の俺は手荷物から自分の書いた迷宮レポートを出してそれに目を通すのだった。


 ふと視線を感じて横を見ると、隣のおじいさんが俺のレポートを覗き込んでいた。

お爺さんは俺が見返しても別段気にした風もなく、文字を目で追っている。

「これはシーサーペントの一種か?」

唐突な質問だ。

それでも一人で退屈しているよりはましだろう。

ゴブのスケッチをお爺さんに手渡してあげた。

「そうです。ネピア迷宮第八階層の海に住んでいました。現地では「カイジン」と呼ばれています」

「ふむ。北海で目撃されたシーサーペントによく似ておる。ほぼ同種と断定してもよさそうだ」

「生育環境が似ているのかもしれません。私は北海についてはよく知りませんが、ここに第八階層における9月から1月上旬までの気候データがあります」

お爺さんは無言で俺からデータを受け取り見入る。

凄く興味があるようだ。

ひょっとすると研究者かもしれない。

「確かに、気温などの点で北海あたりと類似しておるようだな。ところで君はこのデータをどこから持ってきたのかね?」

「はあ、第八階層で記録しました」

お爺さんが不思議そうな顔をする。

「何を言っとるんだ君は? 儂はどこの研究室から持ってきたのかと……、ひょっとして……君が直接現地に行ったとでもいうのかね?」

「そうです……」

俺の答えを聞いてお爺さんはガバッと半分身を起こしてサングラスを取り払う。

「ひょっとして君は冒険者かね?」

「その通りです」

「そうか! 儂も聞いておるぞ。100年ぶりに冒険者が第八階層に到達したそうじゃないか。そうか、そうか、君があの緋色スカーレットの・パティーか!」

後ろの方で誰かが紅茶を吹き出して咽る声が聞こえた。


 お爺さんの方へ向ききちんと挨拶をする。

「冒険者パーティー『不死鳥の団』のリーダーを務めるイッペイと申します」

俺が名乗ったとたん周りの乗客たちがざわつき始めた。

「ポーターでリーダー」とか「平たい顔」といった囁き声が聞こえてくる。

俺も少しは有名になったようだ。

だがお爺さんは俺のことは全く知らなかった。

「なんだ『エンジェル・ウィング』じゃないのか?」

「あれは女性ばかりのパーティーでして……」

「そういえば君は男だな」

俺の性別に今気が付いたようだ。

彼にとってはどうでもいいことなのだろう。

研究者や博士と呼ばれる人には変人が多いと聞く。

この人もそんな感じの人なのだろう。

「儂はアーサー・グローブナーだ」

お爺さんが名乗ると俺の時とは比較にならないざわめきが広がった。

どうやら有名人のようだ。

乗客の注目がこちらに集まっている。

きっと有名な博士かなにかなのだろう。

「えーと……教授プロフェッサー?」

俺が呼びかけるとグローブナー氏はキョトンとした顔をした後に笑い出した。

「はっはっはっ、これはいい! 教授プロフェッサーか。うんうん、そう呼んでくれたまえ」

なにか間違ったようだが、グローブナー氏がご機嫌だから良しとしよう。

どうもドラゴンに興味があるようだ。

だったら色々見せてあげようかな。

どうせ退屈をしていたんだ。

俺は保冷機能の付いた手荷物の鞄から各種サンプルを取り出した。

「教授、もしご興味があるなら御覧になりませんか?」

「こ、これは!」

教授は俺が取り出したカイジンの血液や表皮のサンプルを、指先を震わせながら持ち上げる。

その表情は子どものようだ。

「イッペイ君! 素晴らしいぞ君は! ……このサンプル数滴でいい、儂に譲ってくれんか? もちろん対価は言い値で払う!」

カイジンの血液は稀少なものだ。

かなりの価値を持つことはこの人もわかっていて言っているのだろう。

研究にすべてを投げうつような教授の姿勢は嫌いになれない。

「わかりました。お譲りしましょ――」

「ウォルター! 儂の実験道具を持ってこい!」

俺が了承の意を伝えきる前に、教授は隣に座っていた男に命令している。

実験道具だって?

「教授、何をなさる気ですか?」

「早速いくつかの試薬を試してみようではないか!」

教授は朗らかに言い放つ。

「あの、ここでなさるんですか?」

「そのつもりだが?」

試薬を使った実験では化学反応により匂いや煙が出ることだってある。

他のお客さんの迷惑になってしまうぞ。

「あの、さすがにここではまずいと思いますよ」

「そうなのか?」

教授はぜんぜん気にしていないようだ。

それにしても車両の後部には車掌も控えているのに全然注意に来ないな。

このままだと大変なことになるぞ。

「実験は家に帰られてからでもよろしいんじゃないですか?」

「何を言っておるか。エリモアまで後四時間はあるのだ。せっかくの時間を無駄にする気はない。……そうだ、おい君!」

教授は車掌さんを呼び寄せる。

「君、コンパートメント(個室)は空いているかね?」

「少々手狭でよろしければ一つ空きがございます」

「よし、そこに移ろう。手配してくれたまえ。さあイッペイ君これで心置きなく実験が出来るぞ!」

教授はたいそうご機嫌だ。

「閣下、ご用意が整いました」

一度消えた車掌が戻ってくる。

閣下? 

教授は貴族なのか?

「さあイッペイ君ついてきたまえ!」

意気揚々と通路を進む閣下を追いかけようとしたとき、後ろにスッとパティーが近づいてきて囁いた。

「アーサー・グローブナー公爵、現国王陛下の叔父君よ。失礼のないようにね」

うわお! 

俺は教授改め公爵の後について、揺れる通路を歩きだした。

その後ろをさらに六人の男たちがついてくる。

目立たぬように乗客に紛れ込んでいたボディーガードたちだ。

さあ、楽しい理科実験の始まりだ。

鉄道に乗って社会勉強をしながら理科の実験まで出来るなんて、旅は素敵だね! 

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