第154話 オールド シャーマン

 ジローさんは高度700メートルの低空をゆっくりと進んでいた。

眼下に一台の犬ぞりが雪の上を疾走しているのが見える。

最大望遠で見てみると、少年が操るソリに老婆が一人乗っていた。

少年は顔面を蒼白にして激しく鞭をふるって犬たちをせかしている。

それもそのはずだ。

ソリの後方からはアイスウルフたちが迫ってきていた。

アイスウルフは真っ白な狼型の魔物だ。

「ジローさん、機銃の用意」

ソリとアイスウルフとの距離はまだ20メートル以上ある。

誤射することはないだろう。

「撃て!」

空にまったく注意を払っていなかったアイスウルフたちは、突然の攻撃になす術もなく、半数以上が倒れ、残りも四散していった。

「よし。素材を回収するよ。ジローさん着陸だ」


 みんなで素材を回収していると、少年が恐々ソリを寄せてきた。

手には石のナイフが握られている。

少年はソリを降りようとはしなかった。

いつでも逃げ出せるようにそうしているのだろう。

「やあ、俺はイッペイだ」

「俺はイケトック……ありがとう」

空から降りてきたのがよっぽど怖かったのだろう。

イケトックは10メートル以内に近づいて来ない。

「なあ、イケトック。アイスウルフの肉は食えるのかい?」

俺はイケトックの恐怖を無視して話しかける。

たぶんこの方が相手もやりやすいだろう。

「肉はまずい。食えば腹をこわす」

「そうなんだ。じゃあ毛皮をとるだけにしとくか」

イケトックの目が俺のナイフを見つめている。

「アンタらは何なんだ? 普通は魔物に出合ったら逃げるしかないんだ。それなのにアンタらは逆に魔物を狩っちまった!」

イケトックは恐怖と好奇心がないまぜになった表情を向けてくる。

「俺たちは精霊の祠の向こうから来たんだよ」

俺の言葉に反応したのは荷台に座っていたおばあさんだった。

「アンタたちネピア人かい?」

それまでずっと黙っていたおばあさんが口を開く。

とても派手な服を着て、貝殻のネックレスなどをつけている。

「ああ。おばあさんはネピアを知ってるの?」

「若い頃、エルヴィスというネピア人に会った」

エルヴィス? 

どこかで聞いたな。

「エルヴィスだと! もしかして『アレクサンドロス』のエルヴィス・クラプトンか!」

ジャンがものすごく反応している。

さてはレジェンド冒険者の一人だな。

「ああそうさ。なんだいエルヴィスはネピアでも有名なのかい?」

「当たり前だ! 伝説の冒険者だぜ。知らないのはこのおっさんくらいだ」

だって俺、日本人だもん。

ジャンの説明によればエルヴィスは『アレクサンドロス』のヒーラーを務めていた人物だった。

民間の治癒士ではなく神殿の法術師で、時の教皇から特別な許可を得て冒険者パーティーに身を置いていたそうだ。

「エルヴィス様と言えばいまだに神殿では崇拝される法術師ですよ。気高く禁欲的で、誰にでも慈愛を持って接せられた方と伝わっています」

マリアがそう言うとおばあさんは首を傾げた。

「私の知っているエルヴィスは慈愛に溢れた優しい男じゃったが禁欲的ではなかったぞ。治療のふりをして必要もないのに女の尻や胸を触っておったからな。私が知っているエルヴィスとは別人かの?」

たぶん同一人物だ。

史実なんて歪曲されたり美化されたりするものだ。

それにしてもエルヴィスは100年前の冒険者だぞ、このおばあさんは何歳なんだよ。

「ところで二人はどこに行くんだい? 荷物も少ないようだが」

「私はシャーマンのアーパ。この子の父親が怪我をしたというんでね、診察に行く途中だったのさ。この術もエルヴィスから伝えられたんだよ。なんでも私に才能があるっていうんでね、神聖魔法を伝授してくれたんだ」

このおばあさんは神聖魔法系の法術が使えるのか。

「そうか、じゃあ急がなきゃな。乗っていくか?」

俺はジローさんを指差す。

二人は慌てて首を横に振った。

いくら急いでいても空を飛ぶのは嫌らしい。

ここであったのも何かの縁だ。

また魔物に襲われてもいけないので車両でイケトックたちを護衛して送ることにした。

「犬をつけずに動くソリなんて初めて見たよ!」

犬ぞりに並走するタッ君を見てイケトックが興奮している。

「ここからイケトックの家までどれくらいかかるんだい?」

「そうだな…………犬に休憩させなくても着ける」

それはどれくらいなんだよ? 

やっぱり時間の概念がないのはやりづらい。

まあ太陽が姿を現さないんだから時間の感覚がなくても仕方がないか。

 道中に詳しい話を聞いたが、イケトックの父親はセイウチ狩りの最中に足を負傷したそうだ。

セイウチの牙があたり、そこが化膿してしまったと言っていた。

アーパの方は一人暮らしのシャーマンで、この界隈(といっても半径150キロ)の住人達から頼られる存在だ。

治療費として肉や生活雑貨を貰って生計を立てている。

70歳と自称していたが、どう考えても計算が合わない。

こっそり鑑定したら117歳だった。

とんでもなく元気なおばあさんだ。

それにしても年齢で47もサバを読む人を初めて見た。

誤魔化すというより適当なんだろう。

年齢なんかいちいち数えないのが氷原の民のやり方なのかもしれない。



 案内された場所には氷の家が四軒建っていた。

そこそこの数の人間が暮らしているようだ。

俺たちを見つけた子どもが走り寄ってきて、歓声をあげながあ車両に飛び乗ってくる。

人見知りとかしないのね。

「兄ちゃんたちどこから来たの?」

「南の方さ」

「トナカイいた?」

「群れを見たのは一度だけだよ」

「そっかぁ……」

子どもは非常に残念そうな顔をする。

よく見るとかなり痩せているようだ。

シャムニクのところにも子どもがいたがもっと血色がよかった。

周囲の大人をよく観察しても、顔色が悪くて痩せている。

「なあ、ひょっとして獲物が獲れてないのか?」

小声で子どもに聞くと、やはり俺の予想は当たっていた。

最近、この集落では獲物の取れ高が激減しているそうだ。

トナカイの移動ルートが昨年までと変わってしまったことが大きな原因だ。

「仕方がないからイズガモおじさんがセイウチを獲りにいって、脚を怪我したんだ」

セイウチは牙がソリのブレードに利用されたり、脂肪が大量に取れたりと、便利な獲物だが肉の味としては八層の獲物の中で最低ランクだ。

あれば食べるが喜んで食べるようなものじゃない。

「ジャン、ボニーさん一つ頼まれてくれないか?」

「いいぜ」

「了解……」

依頼の内容も聞かずに返事をしてくれる二人が頼もしかった。



 家の中には8人の男女がひしめき合っていて、人いきれで暑いくらいだった。

「怪我人はどこだい?」

アーパがずいっと前に出ると、人々は左右に避けて道を作った。

さすが100年間この地でシャーマンをやっているだけのことはある。

そこらの者には出せない迫力があった。

「アーパ婆、遠いところをすまん」

40代後半に見える男がトナカイ皮の上に寝かされている。

傷口はむき出しで傷の上を革ひもで縛っただけの状態だ。

「まったく、いい歳して無茶をする。お前は昔から無謀なところがあったからねえ。だれか水を持ってきておくれ。傷口を洗うから綺麗な水だよ」

俺はアーパに近寄り生活魔法で水を作った。

浮かび上がる水球に皆が驚きの声を上げる。

「イッペイ……」

「まあ、俺もシャーマンみたいなもんだ」

「……そうかい。じゃあイッペイも治療を手伝っておくれ」

かくして俺はアーパの助手を務めることになった。

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