第153話 歌声は響く

 小雪の降る中を新型車両に乗って遠ざかるパティーたちを見送った。

パティーたちには北西のアラートアの場所などを記した俺の報告書をはじめ、パリーの冒険日誌も渡してある。

彼女たちは一週間ほど第八層を探索したのちに、一度地上へ帰還するそうだ。

物資に余裕がなくなってきているので仕方がない。

『エンジェル・ウィング』の第八階層への到着の報がもたらされれば地上はお祭り騒ぎになるかもしれないな。

なんせ100年ぶりの快挙だ。

俺たちはもう少し探索したいのでギルドへの報告書と提出魔石をパティーに託した。

Dランクが7つとEランクが28個だ、ギルドも文句はないだろう。

『エンジェル・ウィング』さえDランク4個にEランクが35個だ。

そもそもDランクを複数提出できるパーティーなど『アバランチ』くらいだったのだ。

それだって2個とか3個だった。一度に7つも提出できるなんて史上初じゃないのか?

そして俺たちはチェリコーク子爵家お抱えのパーティーということにしてある。

これでチェリコーク家の昇爵は決まりだろう。

パティーもひっそりと貴族家から籍を抜くことが許されるはずだ。

子爵自体はパティーに甘いから、貴族籍を抜いたところで文句など言いそうにないが、一門を説き伏せるにはそれなりの代償が必要だった。

それがこの第八階層到達という快挙なわけだ。

これで、ようやく堂々と俺たちは付き合える。


「よし、俺たちもジローさん2号の飛行訓練を開始するぞ」

既に浮遊装置は2号に付け替えてある。

さっそく無人飛行からテスト開始だ。

「テストが終わったら……どうする?」

「やっぱり北の祠というのを探すことが一番の目的ですよね」

「だけど……ここの調査をして……地力をつけるべき」

ボニーさんの言いたいことはわかる。

いきなり次の階層へいっても、魔物が強くなっていたり、より過酷な環境になったりで先へ進めない可能性が高いのだ。

しっかり実力をつけてから次の階層へ挑むべきだろう。

「せめて一対一であのケナガを倒せるくらいにはなりませんとね」

マリアもサラッと恐ろしいことを言うようになったもんだ。


 シャムニクに聞いた話では北の精霊の祠に行くには、南の精霊の祠から犬ぞりで一カ月以上旅をする必要があるらしい。

犬ぞりが一日で進める距離はおよそ150キロ。

だいたい4500キロ以上の道のりがあると考えられる。

とはいえ、シャムニクも北の祠には行ったことはない。

そういう話を聞いたことがあるだけだ。

もちろん街道などというものはなく、詳しい場所もわかっていない。

「北のアラートアで聞いてみればいい」

とはシャムニクの言だ。

とりあえずは調査飛行をしながら、各地のアラートアを探し、現地の様子を訪ねるのが一番手っ取り早いだろう。

海沿いを行けば必ずアラートアが見つかるはずだと教えられた。

そうしながら魔物を狩り、地形を調査しつつ、自分たちのスキルアップをはかっていく方針だ。

「なあ、早速トナカイ狩りをしてみようぜ。トナカイの肉はうまいんだろ?」

「調査の途中で群れに出くわすはずだからそれまでは我慢しろよ」

ジャンは狩猟民族らしく、まだ見ぬトナカイに思いを馳せている。

今回は野菜や果物類はたくさん用意してきたが、肉類は現地調達をするつもりで、それほど持ってきていない。

アサルトライフルがあるからシャムニクほど熟達した狩人ではなくても獲物は取れると思う。

「トナカイ……楽しみ」

ボニーさんも狩りが好きなんですね。

テスト飛行も問題なかったし、そろそろ出発しようかな。

「よし、全員ジローさんに乗り込め。出発するぞ!」

ついに第八階層の本格的な調査が始まった。


 アラートアは海岸近くに作られることが多いので、最初に西へ進路を取り沿岸部に出た。

「なんだあれ? 魔物か?」

「あれはアザラシとかセイウチという動物だよ」

初めて海獣をみるメンバーが興奮している。

「ジローさん!……緊急下降!」

「どうしましたボニーさん!?」

滅多に出さない大声でボニーさんが着陸を命じた。

何があったというのだ。

ボニーさんがモニターを見つめて震えている。

まさかケナガがでたか? 

俺も慌ててモニターに目をやるが、そこに映っていたのは真っ白なゴマフアザラシの子どもだった。

「近くで見たいんですか?」

「……うん」

やれやれ長い旅になりそうだ。


 凍結した海の上に着陸し、しばらくゴマフアザラシたちを観察して過ごした。

ボニーさんはいつまでも飽きずに眺めている。

「かわ……いい」

その表情は笑顔で実に楽しそうだ。

よほどゴマフアザラシの子どもが気に入ったんだな。

 ふと気づくと遠くから人が歌を歌う声がした。

微かだが確かに聞こえてくる。

これは女性の歌声だ。

やけに美しい声だな。

俺は耳を澄まして歌声の聞こえる方向を探した。

ジャンも耳に手をあてて探している。

俺たちは並んで海の方へ歩き出した。

「あら、どちらに行かれるんですか?」

マリアの声がしたが知ったことか。

 大きな氷塊を回り込むと、海の上に流氷が見えた。

そしてその流氷の一つに七人の人魚が座って歌をうたっていた。

人魚たちの人種はバラバラだ。

肌の色も黒から白まで様々だが、皆絶世の美女である。

下半身は魚、上半身は人間の姿をしていて、身に衣服はつけていない。

その時の俺たちは随分としまりのない顔をしていたと思う。

ただ、彼女たちに近づくことだけを考えていた。


「マリア、イッペイを抑えろ……魅了されている」

後ろの方でボニーさんの声が聞こえた気がする。

うるさいから黙っていて欲しい。

歌が聞こえないじゃないか! 

誰だ俺を押さえつけようとするのは?

「離してくれ! 俺はあそこへ行きたいんだ!」

「いけませんイッペイさん!」

マリアが後ろから抱きついてくる。

鬱陶しくてしょうがない。

「遠慮するな……叩きのめせ」

「はい」

マリアの手刀が俺の首筋を狙って叩き落されるが、マジックシールドがそれを阻んだ。

「なめるなよ!」

俺はシールドを全開にして人魚たちの方へ進もうとした。

向こうではジャンとボニーさんが争っている。

いいぞジャン、しっかりボニーさんを抑えておけ。

俺は先に行くからな。

「ジャン……しっかりしろ」

「うるせえペチャパイ! そこをどけ!」

おお、ジャンが剣を抜いたぞ。いけいけぇ!

「バスッ」

くぐもった破裂音が響いて、人魚の一人が海へ落ちていった。

倒されたのはモンゴロイド系に見える人魚だ。

他の人魚たちはのたうつように雪の上を這って、氷塊の影に実を隠した。

どうやら俺は魅了されていたようだ。

俺を魅了していたの人魚が倒されて、正気を取り戻したらしい。

「マスター、お気を確かに」

ゴブが人魚を狙撃してくれたんだな。

歌が止んで魅了が解けたか。

……ジャンはどうなった? ジャンは……まだボニーさんと対峙している。

「……マリア……ジャンが死んじゃう!」

なんてことだ。

あいつはボニーさんに向けて剣を抜き、あまつさえ禁断の一言を言ってしまった。

「もう、私ではどうすることも出来ません……」

マリアが諦めたように首を降る。

「ゴブ……ジャンの魅了はまだ解くな。こいつを……叩きのめしてからだ」

「イエス マム!」

ゴブよ、いい返事だ。

俺だってそうする。

さよならジャン。

お前は最高の仲間だったよ。

 上段に振り上げたジャンの剣が、高速でボニーさんの肩口へ振り下ろされた。

俺はおろかマリアでさえ攻撃が決まったと思った。

だがジャンの剣がとらえたのはボニーさんの影でしかなかったのだ。

それが残像なのか、物理的なものなのか、魔法的なものなのかは誰もわからない。

ただ、突如ジャンの横にあらわれたボニーさんが、ジャンを蹴り上げ、殴り、殴り、殴り、叩き落したことだけは皆分かった。

「イッペイさん、さっきの技こそボニーさんが影鬼えいきと呼ばれる所以ゆえんです」

何という恐ろしい技だ。

今夜中に精神に干渉してくる音波を遮断する機構をヘッドセットにつけるぞ!

ジャンのようにはなりたくない!

「イッペイ……治療」

「イエス、マム!」

死ぬなジャン! 

今助けてやるぞ! 

スキャンでジャンの身体を調べたが見た目ほどの負傷はしていなかった。

きちんと手加減はしていたらしい。

あばら骨は折れてたけどね。

「ジャンも……少し腕を上げた」

……ボニーさんは本気のジャンと闘ってみたかったのかもしれないな。

普段の訓練ではどうしてもリミッターがかかってしまう。

だけどボニーさんをペチャパイと呼べる状態のジャンなら遠慮はない。

全力でボニーさんに切りかかるはずだ。

「やれやれ、相手が魔物とはいえ、美女を狙撃するのは嫌な仕事ですな」

「ありがとうなゴブ。汚れ仕事をすまない」

さっきの人魚はセイレーンと呼ばれるものだな。

船乗りたちを歌声で惑わせ海に引きずり込んでしまう魔物だ。

この凍った海に引きずり込まれたら、窒息する前に死んでしまうだろう。

氷の手で心臓を鷲掴みにされるような感覚を想像して、俺は身震いした。

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