第147話 噂の男
イエティは俺の身体を掴んで暗い雪原を疾走している。
何故か俺を殺す気はないらしい。
平均速度は時速40キロくらいは出ていると思う。
ボニーさんたちが追いかけてきているとは思うけど、追いつけるかは微妙なところだ。
それにここはもう陸上ではなくて、凍った海の上らしい。
たまに流氷の上を飛び石のように渡っていたりもしている。
すぐの救援はないと考えた方がいいな。
ブンブンと振り回されて乗り物酔いのように気持ちが悪くて仕方がない。
さっきから回復魔法を垂れ流し状態で自分にかけ続けて何とか意識を保っているが、それ以外には何もできないでいる。
それにしてもこいつの毛は硬い。
一本一本が金属ワイヤーのような強度があり、それがびっしりと生えている。
この密集した毛が銃弾を柔らかく受け止めて威力を消しているのだな。
さすがは第八階層の魔物といったところか。
パンツァー系のロケットランチャーか機銃辺りじゃないと倒すのは難しいかもしれない。
高周波ブレードを持ったボニーさんたちなら仕留められるかもしれないけど、これまでよりキツイ戦闘を覚悟しなければならなさそうだ。
二時間以上走り続けてようやくイエティは速度を落とした。
ここは……海岸か?
海の音が聞こえる。
「ギャーギャー」と何かが喚く声がしたと思ったら、目の前に二匹の小さなイエティがいた。
イエティの子どもだな。
……わかった。
わかっちゃったよ。
俺は
親イエティは無造作に俺を子供の前へ放り出した。
「ギャッ、ギャッ!」
魔物の言葉はわからないが「食べなさい」としか聞こえないぞ。
しかもこの食事は戦闘訓練を兼ねているようだ。
イエティはそれなりの知能を持っているようだが俺から武器の類を一切取り上げていない。
アサルトライフルはテントの横に落としてきたみたいだが、マチェットもハンドガンもそのままだ。
くそ、舐めやがって……。
2匹で間合いを詰めてくる子イエティを鑑定したら生後5か月だった。
体長は1メートル50センチくらいで俺より小さいが身体能力はずっと高そうだ。
さて、根気比べになりそうだな。
さっき解放された瞬間に、もうマジックシールドは展開してある。
こいつらの攻撃力が勝つか、俺のマジックシールドが勝つかいざ勝負だ。
今度こそ俺は防御に徹するぜ!
……言っててちょっと情けない。
まず子イエティが左右から飛びかかってきた。
俺を頭から
だが奴らの進撃は魔法の壁に阻まれる。
「ギャッ?」
「グゥゥゥ……」
次は正拳突きを放ってきた。
生後5カ月で攻撃力187の正拳突きかよ!
二人が5発ずつシールドを叩いて1枚目が消滅した。
即座に新しいマジックシールドを張る。
子イエティは俺のシールドを前に暴れまわったが、結局破ることはできなかった。
ふふふ、段々余裕が出てきたぞ。
無駄、無駄、無駄、無駄、無駄ぁ!
君たちではこの防御を突破することは敵わんよ!
「ギャアッ!」
地団太じだんだを踏んで悔しがっている子供たちを押しのけて、親イエティが前に出てきた。
ついに真打登場というわけだ。
頼むぜマモル君。
大きく振りかぶった奴のパンチがマジックシールドに撃ち落とされる。
巨体を生かしたチョッピングライトだ。
腰の入った打ち下ろしの右ストレートは腹の底に響くような衝撃を響かせて、一撃でマジックシールドを2枚破壊した。
攻撃力3720。
ゴブのアンチマテリアルライフルに匹敵する威力だ。
即座に新たなマジックシールドを展開する。
最初は大ぶりの一発を放っていたイエティだが、段々と回転を上げて連打を撃ち込むようになってきた。
高速のマシンガンコンビネーションにシールドが3枚まで破壊される。
先程までの余裕も吹き飛び、破壊される端から必死にシールドを張りなおした。
10分以上サンドバッグになっていたと思う。
最終的に親子3匹に囲まれてタコ殴りにされたが、最後の一枚のシールドはなんとか死守することができた。
イエティたちは肩で荒く息をしながら恨めしそうにこちらを見ている。
やがて「時間の無駄」とでも言いたげに肩をすくめると奴らは去って行った。
イエティたちの姿が見えなくなって、ようやく俺はその場に座り込んだ。
どうやら当面の危機は去ったようだ。
だが事態は結構深刻だ。
通信機を使ってみたが応答はない。
自分がどこにいるのかも分からない。
精霊の祠から北西の方角に連れ去られたのはなんとなく把握している。
だが徒歩で元いた場所まで帰りつける自信はなかった。
それでも泣き言を言っても仕方がない。
まずは自分の荷物を確認しよう。
ハンドガン
マチェット(高周波振動発生装置付き)
サバイバルナイフ
手榴弾×2
予備マガジン×1
携帯食料(200カロリー×8)
ポーション各種
魔石4個(G×2、F×1、E×1)
魔導カイロ(魔石を使ってじんわり暖か)
これが今の俺の持ち物の全てだ。
見渡す限り氷と雪しか見えない。
お陰で水の心配だけはしなくて済みそうだが、そもそも水は魔法で出せる。
問題は食料だ。
アサルトライフルがあれば狩猟も楽だったろうが、今はハンドガンしか手元にない。
これで野生生物を狩ることはできるのだろうか?
遭難時の基本は遭難した地点から動かないことだそうだ。
ここで救援を待つしかないだろう。
錬成魔法で雪に穴を掘り、氷の家を作って風と雪を凌ぐことにした。
温度計は敢えて見ない。
見てしまえば心まで凍り付きそうだ。
アラートアでも思ったが氷の家の中は意外と暖かい。
家の中で少しリラックスするとお腹が減ってきた。
携帯食料はイギリスのバターブレットのような味と形をしている。
8本ある携帯食料の1本をゆっくりと時間をかけて食べて、魔導カイロの出力を上げたらやることがなくなってしまった。
体力温存のために寝ることにしよう……。
二日たったが救援は現れなかった。
食料も残すところ携帯食料が1本だけだ。
一度、海岸に上がって日向ぼっこをしているアザラシを見つけた。
射撃しようと近づいたらこちらが狙いを定める前に海へと逃げていった。
ハンドガンで仕留められるような得物ではないのかもしれない。
三日が経過した。
食料も尽き、なるべく体力を使わないようにじっとしている。
なんども通信機に話しかけているが応答はない。
通信機が壊れているのかもしれないと、
イエティに連れ去られてから丸四日目の朝がやってきた。
狂おしいほどの空腹に襲われている。
これだけ待っても救援が来ないということは、ボニーさんたちは俺の痕跡を完全にロストしているのだろう。
体力が尽きない内に自分からアクションを起こした方がよさそうだ。
俺は錬成魔法を使って、氷のイッペイ像を作製した。
俺がここにいたというメッセージだ。
イッペイ像は俺が向かう方向(南東)を指差している。
こうしておけば像を見つけたメンバーが追いかけてくれるだろう。
この像は5キロおき位に作るとしよう。
既に三日間、水以外は何も口にしていない。
そのせいかやたら感覚が鋭敏になっている気がする。
神経が研ぎ澄まされた感じだ。
とは言え、完全に道に迷っているのだから自分が思うほど敏感にはなっていないのだろう。
フラフラする身体を回復魔法でごまかしながら歩き続けている。
?
今、何か音がしなかったか?
あれは……犬の鳴き声だ!
氷原の民は犬ぞりを使う。
つまり近くに人家があるのだ。
なんとかたどり着いた場所には氷の家が二つあった。
きっと家族単位でここに住んでいるのだろう。
歩いてきた俺の周りをわんわん言いながら犬がまとわりついてくる。
その声を聞きつけて子供が出てきた。
アラートアで会った人たちと同じで、ここの氷原の民もモンゴロイド系の顔をしている。
日本人によく似ていた。
「おーい」
俺は力を振り絞って手を振った。
やばい、意識が飛びそうだ。
ん?
子どもが何か叫んでるぞ?
「父ちゃん! 父ちゃん! シャムヤス兄ちゃんが帰ってきた!!」
シャムヤス?
何を言ってるんだあの子は。
お、氷の家から父親らしいのが出てきたぞ。
「何を言ってるんだムーシン、あいつはずっと昔に氷の海へ落ちて死んだだろうが……」
父親も見事に日本人顔だな。
平べったい顔でまばらに髭が生えている。
どこかで会ったか?
ようやく俺に気が付いたようだ。
もう限界だ。
俺はその場に膝をついて倒れた。
「誰か来てくれ!!」
男たちの声が聞こえる。
「どうした?」
「行き倒れだ。家へ運ぶのを手伝ってくれ」
どうやら俺は助かりそうだ。
「おい、シャムニクこれはお前の息子か?」
「いや知らないぞ」
シャムニク?
そうかこいつがシャムニクか。
俺は完全に意識を手放した。
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