第148話 前略 僕は元気です
朦朧とした意識の中で、誰かが口移しで俺の口に何かを入れてくるのが分かった。
何だろう?
とっても生臭い。
でもこれを食べなきゃ俺は死ぬんだ、そんな気がして吐き気を抑えて飲み込んだ。
「もう少し食べなさい。アザラシの肉と脂よ」
優しい女の人の声がして、また俺の口が塞がれる。
咀嚼そしゃくされたドロドロの肉が俺の口に入ってきた。
凄く不味くて、再び吐きそうになるけど必死に飲み込んだ。
口の中に広がる獣脂の不快感の中、胃袋は逆に落ち着きを取り戻した気がする。
そして俺はまた眠りに落ちた。
意識がはっきりした時には服を着ていなかった。
パンツまで脱がされた素っ裸で毛皮に包まって寝ていたのだ。
……しかも横には妙齢の女性がこれまた素っ裸で俺に抱き着きながら寝ている。
彼女の胸は俺の脇のところにあり、太腿が絡んでいる。
すっごく気持がいいような、切ないような夢を見ていた気がするけど……
まさか気を失っている間に間違いがあったか!?
と辺りを見回すと、寝ているのは俺たちだけじゃなかった。
獣脂ランプにぼんやりと照らされた室内には大小7人の人間が全員素っ裸で毛皮の布団をかぶって寝ていた。
お爺さんもいれば小さな子供もいる。
これなら寝ている間に何かあったとは考えにくいよな。
俺の服はどこへ行った?
抱きついている女を起こさないように見回すと、隅の方に装備一式が見える。
よかった。俺は助かったんだな。
そう実感できた途端、猛烈な空腹が沸きあがってきた。
それだけじゃない。
いいようもない性欲もこみ上げてくる。
考えてみれば目覚めた時からこの子は元気いっぱいだ。
どちらも仕方がないことだと思う。
だって何日もまともな食事ができなかったし、豊満な美女に裸で抱きつかれているのだ。
いっそ開き直って元気になっている自分を祝おう。
改めて横にいる女をよく見てみる。
歳の頃は20代半ばだろうか。
素朴で可愛い感じの人だ。
肉付きはよく、胸も大きい。そして黄色人種特有の肌の風合いが懐かしくて泣きそうになった。
眼鏡をかけたら経理の塚本さんにちょっとだけ似ていると思う。
寝ている彼女を起こさないようにそっと身体をどけた。
早いとこパンツを履かなければ全快したボクを見られちゃうよ。
「あら、気が付いたの?」
パンツを履き切る前に一緒に寝ていた女の人が声をかけてきた。
ハスキーな声だ。
「あ、ありがとうございました。あなた方は命の恩人です」
むき出しなので振り返るわけにもいかずに、背中を向けたままで礼を言う。
彼女はスッと起き上がり、甲斐甲斐しく服を着るのを手伝ってくれた。
「不思議な服ね。貴方の奥さんが作ってくれたの?」
氷原の民は革の服しか着ないが、衣服を作るのは女の仕事だ。
「いえ、自分で作りました」
錬成魔法ですよ。
「奥さんはいないの?」
首にかかる吐息がくすぐったい。
「まだいませんが、もうすぐ結婚の予定です」
「そう……」
妖しく笑って彼女は俺から離れた。
口移しで食事を食べさせてくれたのは多分この人だよな……。
カロリー不足で低体温症を起こしていた俺を温めてくれたのもこの人だ。
ありがたい気持ちでいっぱいだが、どうしても性の対象として見てしまう。
バカバカ、俺のバカ。
などと反省していたら彼女の口からとんでもない言葉が飛び出した。
「ところで、なんで私を抱かないの?」
はい?
なんでと言われても困ってしまう。
「せっかくアソコも元気にしてあげたのに……私は好みじゃなかった?」
ああ、元気だったのは外的刺激があったからなのですね。
何されたんだろう?
「そ、そんなことはないです、だけど……」
「夫から貴方が目覚めたら慰めてやれと言われてたんですよ。貴方が中々目覚めないからさっきは寝てしまっていたけど……」
人妻だったんですね!
そういえばアラートアのプノハにも奥さんを抱くように勧められたことがあったな。
氷原特有の文化というやつだ。
俺に異文化を否定する気持ちは毛頭ない。
だけど、いやはや困りましたな。
パティーを悲しませるのは嫌だし、ボニーさんに刈り取られるのも嫌だ。
でも、郷ごうに入いっては郷ごうに従えという諺もあるし――なんて
部屋の隅にいた3歳くらいの子どもが手榴弾を転がして遊んでいる。
しかも二つ!
「それダメッ!」
つい大きな声を出してしまった。
子どもから手榴弾を取り上げていると、俺の声に皆が寝床から起き出してくる。
「んあ? ……ふあああ、おう気が付いたか?」
計7人もの裸の男女がニコニコと俺を見つめている。
服を着ているのは俺だけだ。
何故か着衣が恥ずかしい。
「あ、ありがとうございました。お陰で助かりました。自分はイッペイと言います」
「ん、よかったな。俺はシャムニクだ。ゆっくりしていけ」
この人がシャムニクか!
俺に似てるか?
シャムニクは50代くらいの冴えないが優しそうなオヤジさんだ。
「……ところでイッペイ……お前はシャムヤスじゃないよな?」
「ちがいますが」
「……そうだよな。……あいつは海に落ちたもんな」
それだけ呟くと少し悲しそうな顔をしてシャムニクはまた寝てしまった。
え?
きちんとお礼とか言って、今後のこととか相談したかったんだけど……。
ものすごく自由だ。
シャムニクだけじゃない。
他にも言葉一つ交わさずに寝てしまうもの、外に用を足しに行くもの、食事をするものと全員がバラバラに行動している。
「私はイヌーティ。お腹が空いているでしょう。食べて」
俺を温めてくれた人はイヌーティと言ってシャムニクの2番目の奥さんで、ウスアクジュの奥さんでもあるらしい。
一夫多妻と一妻多夫が入り混じっているかなりカオスな状況だ。
ちなみにウスアクジュさんとやらは二番目の奥さんと子どもを連れて200キロ北へ旅行中だという。
やっぱり氷原の民は自由だな。
差し出された肉はトナカイの背肉フィレだった。
病み上がりなので柔らかいところをくれたそうだ。
例によって調理はされていない。
自分のナイフでそぎ落としながら食べていく。
臭みは全然なくて食べやすかった。
「美味いか?」
白いひげを生やしたお爺さんがニコニコと俺を見つめながら話しかけてくる。
氷原の民は総じて愛想がよく、客人を喜ぶそうだ。
「とても美味しいです。この地に来てから食べたものの中で一番おいしいです」
「そうか、そうか」
俺の言葉にお爺さんも上機嫌だ。
一方で手榴弾を取り上げられた子供がベソをかいている。
この辺りは全て雪と氷で覆われ、玩具にしようとも木切れ一つない。
ようやく見つけた球状の物体を取り上げられて意気消沈しているのだ。
「ごめんな、あれは凄く危険なものなんだ」
子どもは涙をこらえて頷いている。
なんかとてもイジらしい。
俺の荷物は何もないが、子供の遊び道具になるようなものはないだろうかと辺りを見回すと、部屋の隅に石がいくつか積み上げてある。
「お爺さん、石を一個貰っていいかな?」
「構わんが何をするんだい?」
「ちょっとしたおもちゃを作るんだよ」
俺は手頃な大きさの石を手に取って、錬成魔法で石を彫っていく。
すぐに小さな石のトナカイが完成した。
子どもの期待に満ちた目が熱いぜ。
「ほら、あげるよ」
「ありがとう!!」
大きな角をもったトナカイの石像は我ながらよくできている。
「その力……イッペイはシャーマンか?」
「いや、俺は氷原の民じゃないんだ。精霊の祠の向こうから来た」
「その割にアンタは儂らと同じような顔をしてるじゃないか」
お爺さんも子供も何が楽しいのかクスクス笑っている。
俺もつられて笑顔になる。
「まあ、そうなんだよな。アラートアでもシャムニクさんの息子に何回も間違えられたんだ」
「ああ、お前は死んだシャムヤスによく似とるな」
するとイヌーティが会話に入ってきた。
「シャムヤスは私の一番最初の夫だったのよ」
そうか、夫のシャムヤスが死んで、シャムヤスの父親のシャムニクと再婚したわけだ。
「ところでイッペイ、シロクマもつくれるか?」
お爺さんが期待に満ち満ちた眼で新しい石を持ってきた。
俺は石を受け取ってシロクマの石像を錬成する。
一宿一飯の恩義はちゃんと返さなきゃダメだよな。
「たいしたもんだ!」
いつの間にか全員が起き出して俺の手元を覗き込んでいる。
さっきまで全員ばらばらに過ごしていたのにいつ起きたんだ?
「なあイッペイ、アザラシも作ってくれ!」
嬉しそうにシャムニクが石を追加してきた。
その後、氷の家の中に小さな博物館が出来上がり、興奮したシャムニクは大量の肉を出してきて宴が始まった。
宴と言っても酒はない。
穀物がとれないので当然だ。
大量の肉、歌、踊りが振舞われ、氷の家の中の気温は8度まで上がっていた。
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