第146話 極地の捕食者

 しばらくアラートアで現地の情報を仕入れた。

ここにいる人たちは皆で猟に出るために集まっている。

もう少し人数が増えたら海岸にやって来るアザラシやセイウチ、クジラなどをとりに行くという話だった。

この辺の地理や氷の家の作り方なんかを教えてもらいながら時間を過ごす。

シュクタが凍ったサーモンを捌いてくれた。

半分溶かした刺身状態で食べる。

調味料は塩さえなかったが結構美味しかった。

だけど俺以外のメンバーは刺身を食べようとはしない。

レアであっても、表面さえ炙ってやれば食べられるみたいだ。

たいして違いはないと思うんだけどな。

 サーモンのお礼に小さなぺティナイフをシュクタにあげた。

俺がいつも料理の時に使うナイフだ。

氷原の民が使っている刃物は、ことごとく石か骨で出来ている。

「これ、ひい爺ちゃんが使ってたやつと同じのだ! 今はお父さんが持ってるけど」

「じゃあ、手入れの仕方もわかるな?」

「うん!」

シュクタはかなり喜んでいる。

氷原の民は金属を加工する術を持たない。

俺が考えていたよりずっと貴重なものだったようだ。

シュクタの喜びの声を聞いてどんどん人が集まってきた。

「なあ、アンタ。そのナイフはもうないのか?」

「俺の娘とナイフを交換しないか?」

「俺ならホワイトベアーの毛皮をつける!」

押しかける人々の囲みを破って、なんとかアラートアを脱出した。


祠に戻り、午後は耐寒訓練だ。

最初に、アラートアで教えてもらった氷の家の作り方を応用して、雪と氷で風よけの壁を作ってみた。

氷の家を作ろうと思ったらそれだけで一日仕事になってしまうので壁だけだ。

雪を掘って、その周りにノコギリで切り出した雪のブロックを積んでいく。

それから壁の内側にテントを張って完成だ。

これが第八階層の基本的な休憩所になる。

手袋をはめたままの作業なので結構大変だ。

俺が錬成魔法を使えば簡単なのだが、使えない事態を想定して訓練しておく。


テントの中ではエアマットを敷いて魔導ストーブをつけた。

燃焼系のストーブではない。

おかげで一酸化炭素が発生しないから換気をしなくてすむ。

夜はシュラフ(寝袋)を敷いて全員で一つのテントに寝ることにした。

「見張りは私にお任せください」

寒さを感じないゴブがテントの外で歩哨に立ってくれる。

一応警報装置もテントの周りに設置しておいた。



 夜半から風が強くなって、その音で目が覚めた。

時計を見ると午前3時だ。

ずっと太陽が見えないので時間の感覚がおかしくなっている。

「(お目覚めになったのですか?)」

テントの外のゴブが俺の覚醒を感じ取って思念を送ってきた。

「(ああ、風の音で目が覚めちゃったよ。異常はないかい?)」

「(先ほどトナカイの群れが近くを通りました。それくらいです)」

昼間、アラートアで聞いた話だが、この時期のトナカイは冬を乗り切るために南の方でたっぷりと餌を食い溜めしているそうだ。

だから脂肪が乗っていて肉がとても美味くなる。

「(そうか、今度食料補給の訓練としてトナカイの狩りをしてもいいな)」

「(ええ……)」

「(どうしたゴブ?)」

「(はい。……トナカイというのは夜行性でしょうか?)」

それは知らない。

でも、たぶん昼行性だと思う。

「(こんな、真夜中に移動しているのは確かに不自然な気がするが……)」

「(捕食動物から逃げていたのかもしれません。もし大型の獣や魔物なら、こちらに来る可能性もありますね)」

「(わかった。ススム君を3台出して偵察させるよ)」

皆をおこさないようにシュラフから抜け出し、テントを出た。

強い風がウィンドカッターのように襲い掛かってくる。

気温はマイナス32度をマークしていた。

空には雲が広がっていて星一つ見えていない。

「申し訳ありませんマスター。私が話しかけたばっかりに眠れなくなってしまったのではありませんか?」

「どうせ風の音が強くて眠れなかったさ」

ススム君たちを起動して周辺を索敵させる。

特にトナカイの足跡を逆にたどった方向は念入りに調べさせた。


 モニターからはススム君達から送られる暗視映像が映し出されている。

「今何か動きましたぞ!」

画面の中に一瞬だけ見慣れない生物が見えた。

ススム君はその生物を捉えようとレンズを向けるのだが、移動速度が速すぎてうまくとらえられないようだ。

「大型の猿というか、雪男みたいな感じに見えたけど?」

「雪男ですか?」

「俺の故郷に伝わる未確認生物だよ」

イエティなんて呼ばれることもあるな。

画面の中でちらっと見えた生物も俺が知っているイエティに似た感じだった。

「マスター、足を止めたみたいです」

体長はおよそ5メートル、全身が白い長毛でおおわれている。

毛のために目は見えないが、少し突き出た口には獰猛そうな牙が並んでいた。

そいつは空中に鼻を上げて匂いを嗅いでいるようだ。

こちらに来るのか?

「ゴブ、皆をおこしてくれ」

「もう……起きてる」

モニターを見つめていて気が付かなかったが、3人ともフル装備で俺の後ろに立っていた。

「なんだこの白いサルは?」

「仮にイエティと名付けた。南からこちらへ向かってきているぞ」

どうやら俺たちの匂いを嗅ぎつけたようだ。

確実にこちらに向かって走ってきている。

全員がナイトビジョンを装着して、銃を構えたまま暗闇を見つめた。

「きた……」

真っ先に見つけたのはボニーさんだった。

人型をしているのでいきなり射撃をするのは躊躇われる。

友好をはかりたいと近づいてくる可能性だって少しはあるだろう?

「コミュニケーションがとれるかな?」

「マスター、親善大使には見えませんぞ」

俺たちを視認したのだろう。

イエティの口角が上がり、牙を伴う凶暴な笑みを作った。

「やる気のようだ…………撃て」

ボニーさんの命令が下り、一斉に射撃を開始した。

「避けながら走ってやがる!」

ジャンの声が緊張をはらむ。

イエティはとてつもない速度で銃弾を避けてジグザグに走ってくる。

全弾避けているわけじゃない。

何発かは当たっているのだが、びっしりと生えた長い毛と分厚い皮、固い筋肉のお陰で傷をつけることができないようだ。

ゴブゴさんの射撃が外れるのを俺は初めて見た。

「全員接近戦の用意! イッペイは防御に徹しろ!」

ボニーさんの声に余裕がない。

それだけヤバい相手ということか。

機銃なら傷をつけられるかもしれないがこの距離では、狙って撃つ前に懐に入られてしまう。

 時間にして数秒後、イエティとボニーさんの身体がすれ違った。

不愉快な振動音をたててボニーさんのマチェットが跳ね返される。

高周波ブレードがはじかれたというのか!?

「あの毛だ……剣の軌道を曲げられる」

刃が真っすぐにあたらなければ深手を与えることは難しいのだ。

だがイエティも無傷というわけじゃない。

白い毛には赤く血が滲みだしている。

「久しぶりに……たぎるよ」

ボニーさんの顔に戦闘の悦びが広がっていた。

 俺以外の全員で半包囲するようにイエティを取り囲み、ジリジリと距離を詰めていく。

だがこの時、俺たちは既にミスを犯していた。

俺たちはこのイエティが他の魔物と同じように本能で人間を襲うと考えていたのだ。

だが、こいつは普通の魔物ではなかった。

一般的に魔物は魔素をエネルギー源とするので食料を必要としない。

けれども第八階層は魔素が薄いようだ。

そのせいで八層の魔物は人間をはじめとする動物を襲い、捕食する。

こいつの目的は殺戮よりも餌の確保にあったのだ。

このことはパリーの日誌にも書いてあったのに、この時点ではまだ読んでいなかった。

情報収集は探索の基本中の基本だが、日誌を精読しなかったこと、それが一つ目のミスだった。

 囲まれたイエティは大きく跳躍し、包囲網の脱出をはかった。

着地点は俺の近くだ。

奴は狩りをする動物の本能で、群れで一番弱い個体をきちんと見抜いていた。

つまり俺だ。

そして俺はもう一つのミスを犯した。

防御に徹しろと命令を受けていたにも関わらず、恐怖でアサルトライフルを連射してしまったのだ。

ここでちょっとした計算問題を解いてみよう。

マジックシールドの防御力は1800×5枚で9000だ。

それに対してアサルトライフルの攻撃力は301×30発で9030。

マジックシールドはダメージ蓄積型で内部からの攻撃でも傷つく。

結果はどうなるかな?

そう、マジックシールドは完全に破壊されて、俺は無防備のままイエティの前に立っていた。

「イッペイ!」

ボニーさんたちの叫ぶ声が聞こえた気がする。

次の瞬間には、俺はイエティに身体を掴まれたまま、夜の雪原を高速で移動していた。

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